みずほ銀行やみずほ証券を束ねる、日本のメガバンクの一角、みずほフィナンシャルグループ。 生い立ちの違う富士・第一勧業・日本興業の3行が、2000年に一つになって生まれた。 発足直後は大規模障害に何度も見舞われたが、いまは新しい基盤システムで前へ進む。

01

創業から現在へ — ストーリー

1880 — 1902
富士銀行と日本興業銀行、それぞれの始まり
富士銀行の前身である安田銀行は、1880年、安田善次郎によって創業しました。もう一方の日本興業銀行は、製鉄や造船といった重工業に長期の資金を貸す特殊銀行として、1902年に営業を始めています。資本金は1000万円で、当時の国家予算の1割を超える規模でした。まったく異なる目的を持つ2つの銀行が、この時すでに歩き出していました。
1948 — 1971
財閥解体からの再編、富士銀行と第一勧業銀行の誕生
敗戦後の財閥解体第二次大戦後、GHQの占領政策で三井・三菱・住友などの財閥系企業グループが解体された出来事。で、安田銀行は安田家と決別する意味を込めて1948年に富士銀行と改称し、以後は芙蓉グループの中核として存在感を示します。もう一方では、第一銀行と日本勧業銀行が1971年に合併し、第一勧業銀行が発足しました。戦後初となる都市銀行同士の合併で、総資産では富士銀行を抜いて国内首位に立っています。
1997 — 1999
総会屋事件と、3行の経営統合合意
1997年、第一勧業銀行は総会屋への利益供与事件で家宅捜索を受け、頭取経験者ら11人が逮捕される事態に発展しました。銀行の信頼が大きく揺らいだこの時期、富士・第一勧業・日本興業の3行は再編に動きます。1999年、3行の頭取が帝国ホテルに並び、経営統合で合意したと発表しました
2000 — 2002
みずほホールディングス誕生と、発足初日の大規模障害
2000年、3行は株式移転によって共同持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。「みずほホールディングス」を設立しました。総資産140兆円を超える、当時世界最大規模の金融グループの誕生でした。2002年、傘下銀行はみずほ銀行とみずほコーポレート銀行に再編されましたが、発足初日からシステム障害が発生し、ATM停止や口座振替の遅延が全国で相次ぎました。
2003 — 2011
持株会社体制への移行と、再びの大規模障害
2003年、株式会社みずほフィナンシャルグループが新設され、いまの持株会社体制に移りました。障害の記憶が薄れかけた2011年、東日本大震災の直後に義援金の振込が集中し、夜間バッチ処理が異常終了します。2度目の大規模障害が起き、金融庁から業務改善命令を受けました
2013 — 2019
One MIZUHOと、20年越しのMINORI完成
2013年、みずほコーポレート銀行がみずほ銀行を吸収合併し、銀行・信託・証券を一体で動かす「One MIZUHO」体制を整えました。同じ時期から着手していた新勘定系システム「MINORI」の開発は、4000億円台半ば・延べ35万人月という異例の規模となり、2019年に全面稼働しています。3行統合から数えて、実に20年越しの技術的な統合でした。
2021 — 2025
相次ぐ障害からの立て直しと、過去最高益
MINORI稼働後の2021年、8度のシステム障害が相次ぎ、金融庁から4度目の業務改善命令を受けました。会長・社長・頭取がそろって引責辞任する事態になりましたが、みずほは体制を立て直し、2024年に改善命令は事実上解除されています。2025年3月期には純利益が過去最高を更新し、楽天証券への出資などグループ外との連携も広げています。
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
個人・中小企業向けの窓口(リテール・事業法人カンパニー)
個人の預金・各種ローンや資産運用の相談から、中小企業向けの融資や事業承継の支援まで、みずほ銀行・みずほ信託銀行・みずほ証券が一体で対応する事業です。全国の個人・法人にとっての窓口として、グループの顔になっています。
柱 02
国内大企業向けの金融(コーポレート&インベストメントバンキング)
国内の大企業や金融機関を対象に、融資だけでなくM&A企業の合併・買収の総称。他社の株式や事業を取得して一体化すること。の仲介や不動産、資本市場を使った資金調達まで手がける事業です。コンサルティング機能を軸に企業の競争力強化を支えています。
柱 03
海外進出企業を支える国際金融(グローバルコーポレート&インベストメントバンキング)
海外に拠点を持つ企業向けの金融サービスを担う事業です。地政学リスクの高まりを背景に、サプライチェーン原材料の調達から製造・物流・販売まで、製品が消費者に届くまでの一連のつながり。の再構築を支援する場面が増えています。
柱 04
市場部門(グローバルマーケッツ)
為替や金利、株式などの市場取引を通じて、顧客の資金調達・運用ニーズに応えたり、自己勘定で投資したりする事業です。相場の変動に直接さらされやすい部門でもあります。
柱 05
資産運用(アセットマネジメント)
個人から年金基金などの機関投資家まで、幅広い顧客に向けた運用商品やサービスを開発・提供する事業です。個人の資産形成ニーズの高まりを受けやすい分野と見られています。
03

投資指標

株価
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東証プライム
前日比
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配当利回り
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年間予想
PER
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株価収益率
PBR
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株価純資産倍率
時価総額
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円換算
52週高値
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過去1年
52週安値
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過去1年

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投資家の博士

投資家目線のポイント

みずほは2002年・2011年・2021年と、大きなシステム障害を繰り返してきました。銀行株を見るときは、業績の数字だけでなくシステムなどの経営基盤への投資姿勢にも目を向ける視点が参考になりそうです。

3メガバンクの一角として、みずほは楽天証券への出資など祖業の銀行業以外への広がりを見せています。今後どの分野に力を入れていくのかも、注目ポイントになりそうです。

「安田財閥」——両替商から始まった富士銀行のルーツ

富士銀行の源流は、1864年に安田善次郎が江戸日本橋で開いた両替商「安田屋」でした。1880年に安田銀行として創業し、三井・三菱・住友・第一と並ぶ五大銀行の一角に育ちます。

第二次世界大戦後、財閥解体によって安田銀行は安田家と決別する道を選び、1948年、日本最高峰にちなんで「富士銀行」と改称しました。行員アンケートで選ばれた新しい名前は、旧財閥色を消すための改称でもありました。

日本興業銀行が背負った、工業の中央銀行という役割

明治期の日本には、農業や軽工業向けの金融機関はあっても、製鉄や造船といった重工業に長期の資金を貸す銀行がありませんでした。産業界の要望を受け、1902年、資本金1000万円という当時の国家予算の1割を超える規模で日本興業銀行が営業を始めます。

戦後は一時、GHQから閉鎖の対象になりかけましたが、1952年に長期信用銀行としての立場を確立しました。重工業の発展を金融面から支えるという役割は、戦前・戦後を通じて一貫していました。

「総会屋事件」——第一勧業銀行を揺るがした460億円

1971年、第一銀行と日本勧業銀行の合併で発足した第一勧業銀行は、戦後初の都市銀行同士の合併として、一時は総資産で国内首位に立ちました。

ですが1997年、総会屋への利益供与事件が発覚します。累計で460億円にのぼる利益供与が問題視され、頭取経験者11人が逮捕、元会長が自殺するという深刻な事態に発展したと伝えられています。3行の経営統合は、この2年後に動き出しています。

帝国ホテルの共同記者会見——3行が選んだ対等合併という道

1999年、富士・第一勧業・日本興業の3行トップが帝国ホテルに並び、経営統合を発表しました。バブル崩壊後の不良債権処理や、長期信用銀行という業態そのものの限界が背景にあったとされています。

3行は互いに優劣をつけず、システムも組織も「対等」に統合するという道を選びました。この選択が、のちに繰り返すシステム障害の遠因になったと指摘されています。

「リレーコンピュータ」——発足初日を襲った大規模障害

2002年、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が発足しました。ですがその初日から、ATMが使えなくなり、口座振替の遅延が250万件にのぼる大規模なシステム障害が発生します。

原因は、旧3行のシステムをそのまま残し、「リレーコンピュータ」と呼ばれる中継機器でつなぐという応急的な設計でした。金融庁は業務改善命令を出し、個人顧客の1割を失ったとも言われるほど、社会的な信用は大きく傷つきました。この失敗は、のちの抜本的なシステム刷新の出発点になっています。

譲れなかった勘定系システム、3頭体制の代償

発足当初のみずほは、旧富士銀行の「TOP」と旧第一勧業銀行の「STEPS」という異なる勘定系システムを、どちらも捨てずに両立させようとしました。3行が対等な発言権を持つ「3頭体制」のもとでは、どちらかのシステムに一本化する決断が下せなかったとされています。

関わったベンダーは富士通・日立製作所・日本IBMなど、のべ約1000社にのぼりました。複雑さそのものが、その後のトラブルの土壌になっていったと指摘されています。

震災直後に、再び——2011年のシステム障害

2011年、東日本大震災の直後、みずほ銀行の口座には義援金の振込が殺到しました。夜間のバッチ処理がこの量をさばききれずに異常終了し、約116万件・約830億円にのぼる取引が滞ります。

給与振込の集中する時期とも重なり、企業・個人ともに大きな影響を受けました。みずほはこの障害を受け、それまでの継ぎ足しでしのぐシステム運用を捨て、勘定系そのものを作り直す決断をしています。ここから、次の勘定系システムの開発が本格的に始まりました。

「MINORI」——20年越しの勘定系統合

2011年の障害を機に始まった新しい勘定系システム「MINORI」の開発は、投資額4000億円台半ば、開発規模はのべ35万人月という、国内でも例のない規模になりました。富士通・日立製作所・日本IBM・NTTデータの4社を中心に、約1000社が関わっています。

開発は2度延期されましたが、2019年、9段階に分けた移行作業を経て全面稼働しました。1999年の3行統合発表からは、実に20年がかりの完成でした。

8度の障害と経営陣総退陣、そしていまのみずほ

MINORI稼働から2年後の2021年、みずほは再び8度のシステム障害に見舞われ、金融庁から4度目の業務改善命令を受けました。会長・社長・頭取がそろって引責辞任するという、重い結末になっています。

それでもみずほは体制を立て直し、2024年には改善命令が事実上解除されました。楽天証券への出資や米投資銀行グリーンヒルの買収など、銀行という祖業の外へも手を広げながら、2025年3月期には過去最高益を更新しています。