みずほ銀行やみずほ証券を束ねる、日本のメガバンクの一角、みずほフィナンシャルグループ。 生い立ちの違う富士・第一勧業・日本興業の3行が、2000年に一つになって生まれた。 発足直後は大規模障害に何度も見舞われたが、いまは新しい基盤システムで前へ進む。
創業から現在へ — ストーリー
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
みずほは2002年・2011年・2021年と、大きなシステム障害を繰り返してきました。銀行株を見るときは、業績の数字だけでなくシステムなどの経営基盤への投資姿勢にも目を向ける視点が参考になりそうです。
3メガバンクの一角として、みずほは楽天証券への出資など祖業の銀行業以外への広がりを見せています。今後どの分野に力を入れていくのかも、注目ポイントになりそうです。
「安田財閥」——両替商から始まった富士銀行のルーツ
富士銀行の源流は、1864年に安田善次郎が江戸日本橋で開いた両替商「安田屋」でした。1880年に安田銀行として創業し、三井・三菱・住友・第一と並ぶ五大銀行の一角に育ちます。
第二次世界大戦後、財閥解体によって安田銀行は安田家と決別する道を選び、1948年、日本最高峰にちなんで「富士銀行」と改称しました。行員アンケートで選ばれた新しい名前は、旧財閥色を消すための改称でもありました。
日本興業銀行が背負った、工業の中央銀行という役割
明治期の日本には、農業や軽工業向けの金融機関はあっても、製鉄や造船といった重工業に長期の資金を貸す銀行がありませんでした。産業界の要望を受け、1902年、資本金1000万円という当時の国家予算の1割を超える規模で日本興業銀行が営業を始めます。
戦後は一時、GHQから閉鎖の対象になりかけましたが、1952年に長期信用銀行としての立場を確立しました。重工業の発展を金融面から支えるという役割は、戦前・戦後を通じて一貫していました。
「総会屋事件」——第一勧業銀行を揺るがした460億円
1971年、第一銀行と日本勧業銀行の合併で発足した第一勧業銀行は、戦後初の都市銀行同士の合併として、一時は総資産で国内首位に立ちました。
ですが1997年、総会屋への利益供与事件が発覚します。累計で460億円にのぼる利益供与が問題視され、頭取経験者11人が逮捕、元会長が自殺するという深刻な事態に発展したと伝えられています。3行の経営統合は、この2年後に動き出しています。
帝国ホテルの共同記者会見——3行が選んだ対等合併という道
1999年、富士・第一勧業・日本興業の3行トップが帝国ホテルに並び、経営統合を発表しました。バブル崩壊後の不良債権処理や、長期信用銀行という業態そのものの限界が背景にあったとされています。
3行は互いに優劣をつけず、システムも組織も「対等」に統合するという道を選びました。この選択が、のちに繰り返すシステム障害の遠因になったと指摘されています。
「リレーコンピュータ」——発足初日を襲った大規模障害
2002年、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が発足しました。ですがその初日から、ATMが使えなくなり、口座振替の遅延が250万件にのぼる大規模なシステム障害が発生します。
原因は、旧3行のシステムをそのまま残し、「リレーコンピュータ」と呼ばれる中継機器でつなぐという応急的な設計でした。金融庁は業務改善命令を出し、個人顧客の1割を失ったとも言われるほど、社会的な信用は大きく傷つきました。この失敗は、のちの抜本的なシステム刷新の出発点になっています。
譲れなかった勘定系システム、3頭体制の代償
発足当初のみずほは、旧富士銀行の「TOP」と旧第一勧業銀行の「STEPS」という異なる勘定系システムを、どちらも捨てずに両立させようとしました。3行が対等な発言権を持つ「3頭体制」のもとでは、どちらかのシステムに一本化する決断が下せなかったとされています。
関わったベンダーは富士通・日立製作所・日本IBMなど、のべ約1000社にのぼりました。複雑さそのものが、その後のトラブルの土壌になっていったと指摘されています。
震災直後に、再び——2011年のシステム障害
2011年、東日本大震災の直後、みずほ銀行の口座には義援金の振込が殺到しました。夜間のバッチ処理がこの量をさばききれずに異常終了し、約116万件・約830億円にのぼる取引が滞ります。
給与振込の集中する時期とも重なり、企業・個人ともに大きな影響を受けました。みずほはこの障害を受け、それまでの継ぎ足しでしのぐシステム運用を捨て、勘定系そのものを作り直す決断をしています。ここから、次の勘定系システムの開発が本格的に始まりました。
「MINORI」——20年越しの勘定系統合
2011年の障害を機に始まった新しい勘定系システム「MINORI」の開発は、投資額4000億円台半ば、開発規模はのべ35万人月という、国内でも例のない規模になりました。富士通・日立製作所・日本IBM・NTTデータの4社を中心に、約1000社が関わっています。
開発は2度延期されましたが、2019年、9段階に分けた移行作業を経て全面稼働しました。1999年の3行統合発表からは、実に20年がかりの完成でした。
8度の障害と経営陣総退陣、そしていまのみずほ
MINORI稼働から2年後の2021年、みずほは再び8度のシステム障害に見舞われ、金融庁から4度目の業務改善命令を受けました。会長・社長・頭取がそろって引責辞任するという、重い結末になっています。
それでもみずほは体制を立て直し、2024年には改善命令が事実上解除されました。楽天証券への出資や米投資銀行グリーンヒルの買収など、銀行という祖業の外へも手を広げながら、2025年3月期には過去最高益を更新しています。
