電話をかけるだけの会社が、携帯電話とインターネットの両方を制する会社へ。 電電公社を割るか一つに残すか、政府とNTTは長年争い、持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。という妥協案で決着した。 いま社名から「電信電話」の文字が消え、通信とITにまたがる企業へと姿を変えた。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.3倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
NTTの経営は、政府が3分の1以上の株式を持つことを義務づけるNTT法の制約を受けてきました。この法律の扱いが変われば、外国企業との提携や外資参入のしやすさが変わる可能性があります。
NTTはドコモとNTTデータという上場子会社を相次いでTOBし、完全子会社化しました。この「親子上場」解消の流れがさらに続くのか、意思決定の速さを左右する論点になりそうです。
「増税なき財政再建」——臨調が電電公社を民営化へ導いた
1980年代初め、膨らみ続ける財政赤字を立て直す議論の中心にいたのが、発足したばかりの臨時行政調査会——会長・土光敏夫の名を取って「土光臨調」と呼ばれた組織でした。土光は「増税なき財政再建」を掲げ、日本国有鉄道・日本専売公社と並んで日本電信電話公社を民営化の対象に挙げます。その提言は、中曽根康弘政権の一連の行政改革に結実していきました。
臨調の最終提言は、電電公社の経営に自立性を持たせ、事業の運営と監督の役割を分けたうえで、競争条件を整えるよう求めました。1985年、電電公社は日本電信電話株式会社として生まれ変わり、115年続いた官営・公営の独占体制が終わりました。
初値160万円——NTT株が生んだ「大衆投資家」
1987年、政府はNTT株を大量に売り出しました。買いが殺到して上場初日には値がつかず、翌日ようやく初値160万円で取引が始まります。株価は公開から2か月で318万円まで駆け上がり、当時の時価総額株価に発行済み株式数をかけた金額。企業の大きさを市場の評価額で示す数値。世界一を記録したと伝えられています。
サラリーマンや主婦まで巻き込んだ株式ブームが起きました。それまで株式投資と縁のなかった人々が、にわか投資家としてNTT株を買い求めます。ですがこの熱狂は長くは続かず、NTT株はやがて「金の卵」から一転、多くの個人投資家に損失をもたらす株へと姿を変えていきました。
225万円へ暴落——ブラックマンデーが直撃した
1987年、ニューヨーク株式市場が歴史的な暴落に見舞われました。ブラックマンデーです。318万円まで高騰していたNTT株はこのあおりを受けて225万円まで暴落し、「政府が売り出す株」という信頼感を頼りに買った個人投資家に大きな損失を与えたと伝えられています。
バブル経済が崩壊すると、株価の低迷はさらに長く続きました。「金の卵」と呼ばれたNTT株を高値で買った個人投資家の多くが、含み損を抱えたまま長い年月を過ごすことになります。バブル崩壊の象徴として、この株価の記憶はいまも語られています。
14年越しの決着——NTT分割論争が妥協に着地した
NTTを分割するかどうか——この論争は、第二次臨調の時代から実に14年間続きました。公正な競争のためには市内網という「ボトルネック」を握るNTTの構造分離が不可欠だ、とする電気通信審議会の答申に対し、NTTと郵政省の交渉は決着せず、当時の論評で「不毛の論議」と呼ばれるほど議論は長期化します。
1996年の暮れ、論争は郵政省とNTTの合意という形で事実上決着しました。純粋持株会社のもとに東西2社の地域会社と長距離会社を置き、長距離会社には国際通信への進出を認めるという妥協の形でした。純粋持株会社は当時まだ独占禁止法企業同士の不当な競争制限やカルテル、行き過ぎた企業結合を規制する法律。で設立が禁じられており、再編は解禁を前提にした綱渡りの計画でもありました。1999年、NTTは持株会社と、地域会社のNTT東日本・NTT西日本、長距離国際のNTTコミュニケーションズという体制に生まれ変わりました。
号泣した新人——iモードを生んだ「異端」のチーム
1999年、NTTドコモは携帯電話でインターネットに接続できる「iモード」を始めました。開発チームを率いたのは、リクルート出身の松永真理や、ベンチャー企業の役員だった夏野剛といった、生え抜き社員とは異なる経歴を持つ人材でした。社内では当初、異端の集団と見られていたそうです。
チームに異動した新人社員は、当時を振り返って「泣くほど嫌だった」と語っています。部長自らが毎朝コーヒーを入れ、全員参加の会議で対等に意見を交わす、それまでの社風とは異なるチーム文化だったと伝えられています。iモードはサービス開始から半年で契約100万人に達し、わずか1年で1,000万人まで急拡大しました。
「利益で3番手」——ドコモが完全子会社に戻った日
2020年、NTTは携帯電話子会社のNTTドコモに対してTOBを発表しました。買い付け総額は4兆2,540億円で、国内企業へのTOBとして過去最大級の規模でした。当時の社長・澤田純は、決断を後押しした理由について「ドコモが(利益面で)3番手になり、GAFAなり、海外の強豪が出てきている市場に対する危機感が一番」と語ったと報じられています。
親会社と子会社がともに上場する「親子上場」の状態では、意思決定のスピードに限界がありました。完全子会社化によって、NTTグループ全体でリソースを機動的に振り向けられる体制を整えています。ドコモは同じ年のうちに上場廃止株式が取引所での売買対象でなくなること。となりました。
社名から消えた「電信電話」——40年ぶりの商号変更
2025年、NTTは正式な商号を「日本電信電話株式会社」から「NTT株式会社」に改めました。1985年の民営化から40年、社名と実際の事業内容との隔たりが広がっていたことが背景にあるそうです。
同時にコーポレートロゴの色を黒から青へ変えています。書体については、先に海外展開していたNTTデータのCIを「逆輸入した形」だと、社長の島田明が説明したと報じられています。NTT東日本・NTT西日本も社名に「株式会社」を付ける形に改称し、NTTコミュニケーションズは「NTTドコモビジネス」、NTTコムウェアは「NTTドコモソリューションズ」に名を変えました。電信と電話を組み合わせた社名は、公社時代から数えて70年以上使われた末に姿を消しました。
2兆3,700億円——NTTデータを完全子会社にした理由
2025年、NTTは上場子会社のNTTデータグループに対してもTOBを実施し、完全子会社化しました。買い付け総額は約2兆3,700億円で、NTTデータグループの事業をグループ成長の原動力と位置づけ、より機動的な成長投資と事業ポートフォリオの強化をめざすためだと説明しています。
NTTはこれより前の2020年にドコモを、その2年後には海外事業をNTTデータ傘下に集約するなど、分社体制の再編を段階的に進めてきました。今回の完全子会社化により、複雑だった資本関係とガバナンスの構造がさらに一段、単純になりました。
