冷蔵庫やエアコンでおなじみの日立製作所。その正体は、発電から鉄道、ITまで手がける巨大企業だ。 2009年、製造業史上最大の赤字を出し、そこから選択と集中で生まれ変わった。 日立は、エネルギーとデジタルを両輪にした企業へ姿を変えた。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.2倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
「5馬力電動機」——修理工場から生まれた国産技術
1906年、小平浪平は茨城県の日立鉱山に工作課長として入りました。小平は電気機械の国産化を志し、その4年後、国産初の5馬力誘導電動機を完成させています。
日立はこの年を創立年と位置づけています。翌年には久原鉱業の一工場として電気機械の製造を本格化し、そこからおよそ10年後には日立・亀戸の両工場を持つ株式会社として独立しました。鉱山の修理工場が、のちに日本最大級の総合電機メーカーへ育っていく出発点でした。
新幹線とMARS-1——高度成長を支えた技術力
戦後、日立は家電から発電設備までを手がける総合電機メーカーへと成長しました。1960年には国鉄向けに座席予約システム「MARS-1」を完成させています。当時としては先進的な、コンピューターによる座席管理の仕組みでした。
1964年には東海道新幹線用の電車も製作しました。高度経済成長期の日立は、鉄道インフラという社会の基盤を支える技術を、次々と実用化していきました。
7,873億円——製造業に刻んだ史上最大の赤字
2008年秋、日立は自動車や半導体向けの需要急減にみまわれました。決算では、当期純損失7,873億円という金額を計上しています。
売上高は前の期から1割以上落ち込み、繰延税金資産の評価減なども重なりました。当時の日本の製造業では例のない規模の赤字で、日立にとって戦後最大級の危機でした。
「100日ルール」——川村隆が敷いたラストマン精神
巨額赤字を受け、2009年に社長兼会長に就任したのが川村隆でした。川村は、社長・会長と副社長5人の合計6人だけで100日以内に重要事項を決める「100日ルール」に意思決定の仕組みを変えたと、自著で振り返っています。
さらに、上場していたグループ会社の完全子会社化も進めました。子会社に流れていた利益を本社に取り込み、グループ全体の力を集める狙いだったと川村は説明しています。誰も傍観者でいられないというこの姿勢を、川村は「ラストマン」と呼びました。この改革を経て、日立は黒字転換を果たしました。
選択と集中——上場子会社を4社まで絞り込んだ
黒字転換のあとも、日立の事業再編は続きました。かつて20社を超えていた上場子会社は、日立国際電気やクラリオンなどの売却を経て、4社まで絞り込まれています。
さらに「御三家」と呼ばれた日立化成は、昭和電工へのTOB買収したい会社の株式を、価格・期間・株数をあらかじめ公表して市場外で買い集める手法。が成立して日立の手を離れました。日立金属についても、全保有株式をファンド連合に売却すると発表しています。祖業に近い素材・部品の事業よりも、エネルギーとITに経営資源を集中させる判断でした。
「ホライズンプロジェクト」——撤退に終わった英国原発計画
日立は英国アングルシー島で、新規原子力発電所を建設する「ホライズンプロジェクト」を進めていました。ですが資金調達や採算のめどが立たず、2019年にプロジェクトを凍結し、その後減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。損失等2,946億円を計上しています。
凍結から時間が経っても状況は改善せず、日立は正式にプロジェクト運営からの撤退を決めました。この失敗を教訓に、日立はエネルギーの再編とデジタル分野への投資へ活路を求めていきます。
「クラス800」の亀裂——英国の高速鉄道を止めた
日立は英国で、高速鉄道車両「クラス800」シリーズを走らせていました。ですが2021年、車体を持ち上げる部分などに亀裂が見つかり、地元記者の取材によれば亀裂が確認された車両は800両にのぼったと報じられています。
亀裂の原因について日立レールは、応力腐食割れの可能性を挙げたと報じられています。ドル箱である高速列車の運休によって運行会社は大幅な減収が避けられないとされ、「鉄道の日立」の信頼を損ねる出来事になりました。
1兆円——ABBとGlobalLogicが描いた次の成長
2020年に発足した日立ABBパワーグリッド(現・日立エナジー)では、日立の西野壽一副社長が会長を兼務し、ABBで送配電システム事業を率いてきたクラウディオ・ファキンがCEOに就きました。約7,400億円を投じ、世界トップシェアの送配電技術を手に入れています。
翌2021年、約1兆円を投じた米GlobalLogic買収を後押ししたのは、病床から取締役会に参加した当時の会長・中西宏明でした。中西は「巨額な投資でリスクもあるが、私は買収を支援したい」と反対派を説得し、東原敏昭社長も「CEOとして、日立全社のためにグローバルロジックが必要だ」と続けました。二人の言葉が、慎重だった取締役たちを動かしています。
