1876年、27歳の益田孝が興した旧三井物産は、貿易総額の約2割を扱う大商社に育った。 戦後の財閥解体第二次大戦後、GHQの占領政策で三井・三菱・住友などの財閥系企業グループが解体された出来事。でいったん200社以上に散らばったが、12年をかけて一つに戻った。 いまは鉄鉱石からエネルギーまで、世界中の資源開発に足場を持つ会社になっている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約3.2倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
三井物産の業績は資源価格や為替の変動を受けやすく、2016年3月期の赤字から2023年3月期の最高益まで大きく振れてきました。決算を見るときは、資源事業と非資源事業の比率がどう変わっていくかに注目する視点が参考になりそうです。
ローズリッジ鉄鉱石事業のように、三井物産は数十年単位で資源権益に投資する判断を重ねてきました。目先の市況だけでなく、投資先の資源が長期にわたり供給を続けられるかという視点も、この会社を読み解く手がかりになりそうです。
「金儲けのためではない」——益田孝、27歳の船出
1876年、三井組の後ろ盾を得て、27歳の益田孝が旧三井物産を設立しました。職員はわずか16人でした。益田は「金が欲しいのではない、仕事がしたいと思ったのだ」と語り、「眼前の利に迷い、永遠の利を忘れるごときことなく、遠大な希望を抱かれること望む」という志を掲げたと、三井物産の公式サイトは伝えています。
同じ年に三井組国産方(貿易部門)を合併し、職員は70人余りに拡大しました。1880年までに上海・パリ・香港・ニューヨーク・ロンドンなど海外支店も開設しています。のちに日本の貿易総額の約2割を扱うまでになる貿易商社は、こうして小さな所帯から始まりました。
「一手販売契約」——豊田佐吉を支えた10年
1897年、豊田佐吉は木製動力織機を完成させ、豊田商店を設立します。1899年、旧三井物産は豊田式織機の一手販売契約を10年間結び、井桁商会を設立しました。佐吉自身も技師長として名を連ねます。
1900年には不況と義和団の乱の影響で井桁商会が解散する場面もありましたが、旧三井物産は出資や資金融通を続けました。1926年に豊田自動織機製作所が設立され、1933年には自動車部が設けられます。旧三井物産の資金支援が、のちのトヨタ自動車誕生を支えた土台の一つになりました。
財閥解体、200社への分裂と「大合同」
1945年の敗戦後、GHQは三井・三菱・住友・安田の四大財閥本社の解体を発表しました。1947年、過度経済力集中排除法により旧三井物産にも解散命令が下り、元社員たちが興した新会社は200社以上にのぼりました。新会社の一つ「第一物産」も、このとき設立された会社です。
1952年に商号使用の制限が解け、旧三井物産系の企業を束ねる動きが始まります。しかし派閥対立などもあり合流は難航し、1959年、ようやく12社が対等合併して現在の三井物産株式会社が発足しました。GHQの解散命令から12年、三菱商事の大合同から4年遅れの再結集でした。
マウントニューマンからローズリッジへ、60年の鉄鉱石開発
1960年、オーストラリアで鉄鉱石の輸出が解禁されると、三井物産はいち早く現地の開発に加わりました。1965年にローブリバー鉄鉱山に参画し、1966年にはマウント・ニューマンの鉄鉱石と長期契約を結びます。1971年にはブラジルの鉄鉱石会社MBR(のちのヴァーレ)にも参画しました。西オーストラリアのピルバラ地区は、パートナー企業とともに世界有数の鉄鉱石産地へと育っていきます。
この関係は今も続いています。2025年、三井物産はオーストラリアの新規鉱山「ローズリッジ」の権益40%を約8,000億円で取得すると発表しました。堀健一社長は「クラウンジュエル(王冠の宝石)のような案件だ」と述べ、取締役会は全会一致で投資を決めたと説明しています。60年前の出資判断が、いまも会社を代表する事業として生き続けています。
イラン石油化学、6000億円規模の挑戦と清算
1971年、三井物産を中心とする日本企業グループはイラン国営石油化学会社と合弁契約を結びました。1976年に着工した「イラン・ジャパン石油化学(IJPC)」は、天然ガスの随伴ガスを原料にエチレンなどを生産する巨大コンビナート計画で、総事業費は6000億円を超えたと報じられています。
ですがイラン革命、続くイラン・イラク戦争がプロジェクトを直撃しました。コンビナートは全体の85%まで完成していたものの、日本人スタッフは現地から撤収を迫られます。完成を見ないまま、1989年に日本側とイラン側は清算交渉に合意し、1990年、出資金や融資の大半を放棄する形でIJPCは清算されました。
メキシコ湾原油流出、870億円の後始末
2010年、米ルイジアナ州沖の石油掘削基地で爆発事故が発生し、大量の原油が流出しました。三井物産の孫会社「MOEXオフショア2007」は、この掘削権益の10%を保有していました。BPは、MOEXオフショアが事故関連費用を補償する義務を負うとして21億4,400万ドルを請求します。
翌2011年、三井物産グループはBPに10億6,500万ドル(約870億円)を支払うことで和解しました。当初の請求額のほぼ半分に圧縮した形です。三井側は、この和解によって「損害の可能性を大幅に限定でき、株主にとっても不透明性やリスクを減少できる」との見方を示しています。
「戦後初の赤字」834億円、そしてV字回復
2016年3月期、資源価格の急落が三井物産を直撃しました。チリの銅事業などで大規模な減損損失を計上し、最終損益は834億円の赤字に転落します。1959年の大合同による再出発以来、初めての赤字でした。
ですが翌2017年3月期には3,061億円の黒字に回復し、その後も業績を積み上げます。2023年3月期には資源高を追い風に純利益が初めて1兆円を超えました。落ち込みが深かった分だけ、回復の振れ幅も大きい決算でした。
サハリン2、制裁下で権益を維持した判断
「サハリン2」は、ロシア極東で三井物産などが出資してきた液化天然ガス(LNG)開発事業です。ロシアによるウクライナ侵攻後の2022年、出資社の一角だった英シェルが撤退を表明し、プーチン政権はサハリン2の資産を新会社に無償で移管する大統領令を出しました。
三井物産は新会社への参画をロシア政府に通知し、2022年、旧運営会社と同じ12.5%の出資比率で権益を維持することが承認されました。西村康稔経済産業相(当時)は、この承認について「エネルギー安定供給の観点から非常に意義がある」とコメントしています。
「24年ぶり」の首位、初めての1兆円利益
2023年3月期、三井物産の連結純利益は前期比24%増の1兆1,306億円となり、会社として初めて1兆円の大台を超えました。原油・天然ガスなど資源価格の高騰が純利益の約6割を占める資源分野を押し上げ、自動車関連事業の伸びも加わりました。
同時期、三井物産は約24年ぶりに総合商社の利益首位に立ったとも報じられています。2016年の戦後初の赤字から7年、資源事業への長期投資という同じ土台の上で、三井物産は最高益を記録するまでに立ち直りました。
