坂本龍馬の海援隊を継いだ船の商いから、三菱は始まった。 太平洋戦争の敗戦で一度は解体されたが、4社の合同で生まれ変わった。 いまはコンビニのローソンから銅山まで、資源と暮らしの両方に足場を持つ。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上はほぼ3倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
商社は資源やインフラへの投資が多く、価格変動や為替といった外部環境の影響を受けやすい面があります。資源事業と非資源事業のバランスがどう変わっていくかを見る視点が参考になりそうです。
海外の著名投資家の出資をきっかけに、事業を継続的に入れ替えていく経営への転換が進んでいます。どの事業を伸ばし、どこから手を引くのか。入れ替えの動き自体が、読み解く手がかりになりそうです。
「九十九商会」——海援隊を継いだ、三菱の船出
三菱の起源は、坂本龍馬が率いた海援隊にあるとされています。龍馬が非業の死を遂げたのち、その後始末を託されたのが後藤象二郎でした。
海運の実務に通じた人材が乏しいなか、経営の一切を任されたのが、まだ無名だった岩崎彌太郎です。この経営を託されたことが、のちに三菱グループへと育つ商いの、最初の一歩になりました。
九十九商会の船旗——三角の意匠が、スリーダイヤへ育った
創業したばかりの九十九商会は、船に掲げる旗印として三角形を組み合わせた意匠を採用しました。この図柄が、いまの「スリーダイヤ」の原型になったと三菱グループは説明しています。
岩崎家の家紋「三階菱」と、土佐藩主・山内家の家紋「三ツ柏」を組み合わせたものと伝えられています。
「三綱領」——処事光明を掲げた企業理念
1920年、四代目社長の岩崎小彌太は、三菱商事の幹部を集め、「一攫千金を狙うような暴利の獲得を目的とする投機に走ってはならない」と訓示しました。この考え方は1934年、旧三菱商事の行動指針「三綱領三菱グループの経営理念。「事業を通じて社会に貢献する(所期奉公)」「公明正大で品格のある行動をとる(処事光明)」「世界を視野に事業を行う(立業貿易)」という3つの心得。」として制定されます。
所期奉公・処事光明・立業貿易。この3つの言葉は、旧三菱商事がいったん解散したあとも企業理念として引き継がれ、いまの三菱商事にも受け継がれています。
GHQの解体命令——岩崎小彌太は正面から抗った
1945年、GHQは財閥解体の方針を打ち出しました。四代目社長の岩崎小彌太は、「三菱は国家社会に対していまだかつて不信の行為をしたことはなく、なんら恥ずべき事はない」と、解体の要求に異を唱えたと伝えられています。
それでも占領下の日本に、この主張を押し通す力は残っていませんでした。翌1946年、持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。の三菱本社は解散し、三菱各社はそれぞれ独立した会社としての道を歩み始めます。三菱商事もこの後、同じ運命をたどりました。
「失敗したら三つつぶれる」——藤野社長が懸けた
投資額は1億2500万ドル、当時の資本金をはるかに上回る規模でした。社内では「失敗したら三菱商事が三つつぶれる」とまで言われるほどの賭けです。
それでも藤野忠次郎社長のもと、現場は交渉を重ねて調印にこぎつけました。数年後、ブルネイからのLNG船が初めて大阪に入港し、社運を賭けた挑戦は実を結びます。
「K-PLAN」——見えていたのに直せなかった弱点
1986年、三菱商事は経営計画「K-PLAN」を発表しました。通常の取引利益だけではコストを賄えず、過去の海外投資からの配当で会社の業績を支えている、という自社の弱点を踏まえたものです。社長に就任したばかりの諸橋晋六が、この改革を主導しました。
ですがこの方針は、その後の資源高の波にかき消されます。新興国需要で資源価格が上がると、掘れば売れる利益がかつての教訓を覆い隠し、三菱商事は資源投資をふたたび積み増していきます。
4,300億円の衝撃——減損が変えた三菱商事の経営
三菱商事はチリの銅鉱山会社アングロ・アメリカン・スール(AAS)の株式を取得していましたが、銅市況が反転すると、2016年3月期に4,300億円の減損損失を計上し、創立以来はじめての赤字に沈みました。
この赤字をきっかけに、三菱商事は財務規律の立て直しに動きます。その年に就任した垣内威彦社長は資源偏重からの脱却を掲げ、Enecoの買収など非資源分野への投資を広げました。数年後には、過去最高となる純利益を計上するまでに回復しています。
バフェットの出資——根づいた株主を意識する経営
2020年、著名投資家ウォーレン・バフェット氏率いるバークシャー・ハサウェイは、三菱商事を含む5大総合商社の株式を、それぞれ5%超取得したと公表しました。発表当日、東証の卸売株指数は全33業種の中で上げ幅首位に立ちました。
この出資をきっかけに海外投資家の保有比率が上がり、2022年に就任した中西勝也社長は「循環型成長モデル」を掲げ、事業を継続的に入れ替えていく経営へと転換を進めました。
共同経営への転換——伊藤忠とは真逆の道をローソンで選んだ
三菱商事とローソンの関わりは、2000年にダイエーからローソン株を取得し、資本業務提携出資を伴いながら、特定の事業で協力関係を結ぶ提携の形態。を結んだことに始まります。その後子会社化して売り場改革を進めましたが、日販などで王者セブン-イレブンとの差は縮まりませんでした。
三菱商事はKDDIとの間でローソンを非上場化し、折半出資で共同経営する契約を結びます。ローソンは連結子会社親会社の決算に売上・利益をまとめて計上する子会社。親会社が過半数の議決権を持つ会社などが対象。から持分法適用会社議決権の20〜50%程度を持つなど、経営に重要な影響を与えられる会社。連結決算では利益の持ち分だけを反映する。になりました。ファミリーマートを完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。した伊藤忠商事とは、真逆の選択でした。
