SUUMOやIndeedを運営するリクルートホールディングスは、東京大学新聞の広告営業から始まった。 リクルート事件やダイエー傘下入りを乗り越え、世界60以上の国と地域をつなぐグローバル企業になった。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上はほぼ2倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
Indeedを中心とするHRテクノロジー事業は、企業の採用意欲と連動して業績が振れやすい構造があります。求人広告収入は労働市場が活況なときに伸びやすく、需給が緩むと減りやすいため、雇用に関する経済ニュースを合わせて見る視点が参考になりそうです。
海外M&A企業の合併・買収の総称。他社の株式や事業を取得して一体化すること。を重ねてきたぶん、のれん企業買収の際、買収先の純資産額を上回って支払った金額を計上する無形の資産項目。・無形資産の比率が比較的高いという特徴があります。買収した事業の業績が計画を下回ると減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。損失につながる可能性があるため、海外事業の伸びだけでなく、買収の中身にも目を向けると理解が深まりそうです。
芝信用金庫の300万円——大学生向け求人という新しい発想
1960年前後の日本は大学進学者が急増していましたが、就職市場は教授の推薦や縁故が中心で、体系立った採用の仕組みはありませんでした。とくに中堅・中小企業には、学生に求人情報を届ける手段がほとんどなかったといいます。
東京大学新聞の広告営業を経験していた江副浩正は、この情報の隔たりに事業機会を見いだしました。大手銀行には相手にされず、芝信用金庫から父の不動産を担保に300万円の融資を受けて、これを元手に事業を始めたと伝えられています。「物を仕入れて売るのではなく、情報の流れそのものを商品として設計する」という発想が、のちの求人メディア事業の原型になりました。
「企業への招待」——1日13社訪問から始まった営業
1962年、江副は就職情報誌「企業への招待」を創刊しました。学生に人気の大企業だけでなく、知名度の低い中堅・中小企業にも広告主として声をかけ、1日に12〜13社を訪ね歩く飛び込み営業で開拓を進めたと伝えられています。
成約率はおよそ10社に1社だったといいます。地道な訪問営業の積み重ねが、翌年の法人化(株式会社日本リクルートセンター)につながりました。
「リクルート事件」——戦後最大級の疑獄事件と、その後の再建
1988年、リクルートの関連会社であるリクルートコスモスの未公開株が、川崎市の助役をはじめとする政財界に広く譲渡されていたことが発覚しました。中曽根康弘・竹下登・宮沢喜一ら多数の政治家が未公開株を通じて利益を得ていたとされ、戦後日本最大級の贈収賄事件に発展します。江副浩正やNTT前会長の真藤恒ら多数が逮捕・起訴されました。
リクルートは「社会に迷惑をかけた」という現実を受け止め、社員から広く再建策を募る「ニューリクルートへの提言」を実施します。1989年には企業理念と経営の三原則(新しい価値の創造・個の尊重・社会への貢献)を制定し、商業的な合理性の追求から、新しい情報価値による貢献へと経営の軸を転換しました。この理念は現在も同社の企業活動の基盤になっています。
「1兆4000億円」——ダイエー傘下からの自力再建、そして独立
リクルート事件とバブル崩壊で経営が悪化したリクルートは、1992年、創業者の江副が保有株の約35%をダイエーに売却しました。ダイエーの中内功会長がリクルートの会長を兼務することになりますが、ダイエーは経営には深く介入せず、「物言わぬ株主」に徹したといいます。
リクルートは約1兆4000億円まで膨らんだ有利子負債を自力で返済していきました。皮肉なことに、2000年前後にはダイエー自身が経営危機に陥り、保有していたリクルート株を段階的に手放していきます。2006年までにダイエーとの資本関係は解消され、リクルートは独立した企業として歩みを続けることになりました。
中国での足踏み——ゼクシィと51jobでの遠回り
2000年代初頭、リクルートは中国市場に進出しました。半年の市場調査を経て結婚情報誌「ゼクシィ」を現地展開し、あわせて中国の求人サイト大手「51job」の株式も取得して、二正面から市場を攻めようとします。
ですが、結果は思うようにいきませんでした。当時の担当役員は後年、「51jobは業績面で優れた企業でしたが、我々が具体的にどういう価値を提供して、どれだけ業績拡大に貢献できたかを考えると、結局、うまくいかなかった」と振り返っています。経営企画が交渉までを主導し、完了後に事業部へ引き継ぐという進め方では、現場が当事者意識を持ちにくかったことが一因とされます。この反省から、2010年以降は「担当の執行役員が自らやりたいと思わなければ、起案してはいけない」という原則を導入し、海外M&Aの進め方そのものを変えました。
Indeedという賭け——36歳の提案が生んだ1000億円買収
2012年、リクルートは米国の求人検索サイトIndeedを約1000億円で買収しました。提案したのは当時36歳の出木場久征です。赤字企業に1000億円超を投じる判断には、社内外から慎重論が相次いだといいます。
最終的にゴーサインを出したのは当時のCEOでした。出木場はその後Indeedの最高経営責任者を務め、「求人版グーグル」と呼ばれる規模へIndeedを育て上げました。買収から10年ほどで、リクルートの海外売上比率は3.6%から55.5%まで伸びました。出木場は2021年、リクルートホールディングスの社長に就任しています。
東証一部上場——1兆8200億円でのスタート
2014年、リクルートホールディングスは東京証券取引所市場第一部に上場しました。上場の狙いは資金調達手段を広げ、海外M&Aによる成長戦略を後押しすることでした。
新株発行と売り出しをあわせた調達額は概算で約930億円。初値は公開価格を上回る3170円をつけ、時価総額は約1兆8200億円に達しました。これは1998年のNTTドコモ以来の大型上場だったと報じられています。
「求人版グーグル」が抱えるいまの課題
Indeedを中核とするHRテクノロジー事業は、2022年3月期の売上高が8000億円を超え、グループの成長を牽引してきました。会員登録なしで検索できる手軽さと、クリック課金型で採用コストを抑えられる仕組みが評価されています。
一方で、コロナ禍の労働需給の乱れがIndeedの追い風になっていた面もあり、労働需給が正常化すれば求人広告収入が減る可能性があると同社自身も認識しています。海外M&Aで積み上げてきたのれん・無形資産の比率も相応に大きく、2025年3月期の連結売上収益は3兆5,574億円(前期比4.1%増)となる一方、こうした構造をどう乗りこなすかが今後も問われ続けています。
