主力商品の需要が世界的に消えていくなかで、それでも生き残った。 同じ危機に直面した海外の最大手は経営破綻した。 いま社名に「フイルム」を残したまま、稼ぎ頭は医薬・電子材料・オフィス機器に移った。

01

創業から現在へ — ストーリー

1919
コダックとの技術提携を断られる
世界最大手の米コダック社に技術提携を申し入れたが、「日本に適地なし」として断られた。独力での技術開発を進め、1934年に富士写真フイルム株式会社が設立された。
1934
医療用X線フィルムを発売
設立の翌月に稼働した足柄工場で、写真フィルムに加え医療用X線フィルムの製造を始めた。榎本光学精機製作所の買収により光学機器分野にも進出した。
1958
海外展開と複写機事業への参入で規模を拡大
ブラジルへの現地法人設立を皮切りに国際展開を進めた。その4年後、英国ランクゼロックス社との合弁で富士ゼロックスを設立し複写機事業に参入した。
1993
医療事業への布石と富士ゼロックスの連結子会社化
千代田メディカルの株式51%を取得し、医療機器事業へ本格的に進出した。2001年には富士ゼロックスへの出資比率を75%へ引き上げ、連結子会社親会社の決算に売上・利益をまとめて計上する子会社。親会社が過半数の議決権を持つ会社などが対象。化した。
2000
「第二創業」を掲げる
古森重隆社長が「第二創業」を掲げ、事業構造の立て直しを進めた。その6年後、持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。体制に移行し富士フイルムホールディングス株式会社が発足した。
2008
M&Aで医薬・医療機器事業を強化
バイオ医薬品受託製造やSonoSite買収などヘルスケア領域のM&A企業の合併・買収の総称。他社の株式や事業を取得して一体化すること。を重ねた。2019年には富士ゼロックスを完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。し、事業の再編を進めた。
2020
過去最高益を更新
翌年、後藤禎一が社長に就任し、富士ゼロックスは「富士フイルムビジネスイノベーション」に改称した。2026年3月期は売上高・営業利益とも過去最高を記録した。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.4倍

4兆円
2兆円
2016 · · · · · · · · 2025
売上 純利益(会社に残った利益)
売上
10年前
23,222億円
↓
現在
33,570億円
約1.4倍に増加
純利益
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
10年前
1,315億円
↓
現在
2,767億円
売上100円につき約8円
従業員
10年前
78,501人
↓
現在
73,526人
約6%減少
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
ヘルスケア事業
画像診断機器や医薬品受託製造(CDMO医薬品の開発・製造を受託する事業者。)、化粧品まで手がける事業です。
柱 02
半導体材料事業
半導体メーカー向けに電子材料を供給する事業です。
柱 03
オフィス機器事業
複合機やプリンターの製造・販売とDX支援を行う事業です。
柱 04
イメージング事業
チェキやカメラ、写真用フィルムなど撮影機器を担う事業です。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

「幽霊写真」から始まった——独力でフイルムを開発した

傘下の東洋乾板が手がけていた写真乾板は、洗浄が不十分な再生ガラス板を使っていたために、陸軍飛行学校で撮影した写真に前の結婚写真の像が重なって写るという「幽霊写真」事件まで起きるほど、品質に深刻な課題を抱えていたと伝えられています。

技術提携という近道を断たれたまま、フィルムベースの平面性・透明性・柔軟性を同時に満たす技術を独力で積み上げた末に、富士写真フイルムの設立にたどり着いたのです。

古森体制が立て直した——市場が10分の1に縮んだ

2000年を境に、写真フィルムの世界需要は年率20〜30%という急降下で縮小を始めたと報じられています。当時、写真関連製品は富士フイルムの売上の6割、利益の3分の2を占めていたとされ、10年ほどでその市場が10分の1に縮んだと伝えられています。

当時の経営トップ・古森重隆氏は、社員に「本業消失の危機」を訴え、「第二創業」として事業構造そのものを作り直す方針を掲げたと報じられています。技術の棚卸しを行って既存技術と新しい市場の組み合わせを検討し、ヘルスケアやデジタルイメージングといった領域に力を入れる事業を絞り込んだとされています。

同じ危機、割れた明暗——世界最大手コダックの経営破綻

写真フイルム最大手だった米コダック社は、実は世界で初めてデジタルカメラを発明した会社でもあったと報じられています。しかし主力のフィルム事業で世界トップを走っていたがゆえに、自らデジタル化を本格的に進める判断が遅れたとされます。1990年時点でコダックの売上高は富士フイルムの1.5倍ありましたが、フィルム需要がピークを迎えた2000年には両社の売上高がほぼ並び、その後コダックは縮小、富士フイルムは事業の多角化によって売上を伸ばしたと報じられています。

同じ市場消失に直面しながら、一方は破綻に至り、一方は生き残りました。この明暗を分けたのは、技術をどこまで違う市場に転用できたかという経営の選択の違いだったと分析されています。

「アスタリフト」誕生の日——コラーゲンが化粧品に変わった

フィルム需要の激減に直面していた2006年、富士フイルムは化粧品事業に参入しました。同じ年に設立された富士フイルム先進研究所から、翌年、スキンケアブランド「アスタリフト」が生まれています。土台になったのは、写真フィルムの開発で蓄積してきたコラーゲン研究、光の解析技術、抗酸化技術、そして独自のナノテクノロジーという4つの技術だったと説明されています。

開発では、高い抗酸化力を持つが水に溶けにくいアスタキサンチンをどう安定的に配合するかが課題となりましたが、フィルム製造で培ったナノレベルの乳化・分散技術がこれを解決したそうです。写真の会社がなぜ化粧品を作るのか——その答えは、フィルムの中にすでにあったのです。

チェキが辿った終売危機——年間100万台から12万台へ

1998年に発売されたインスタントカメラ「チェキ」は、その4年後に年間100万台を売り上げるヒット商品となりました。しかしその後の数年で販売は急減し、ピーク時の10分の1にあたる年間10万〜12万台まで落ち込んだと報じられています。

富士フイルムは「写真文化を守り育てることが弊社の使命」との声明を出し、同業他社がフィルム事業から撤退するなかで事業を継続すると宣言したと伝えられています。転機はその翌年、韓国ドラマへの登場をきっかけにアジア圏で人気が広がったことでした。その後、海外の若い世代の支持を受けて販売は右肩上がりに転じ、2018年には年間1,002万台に達したと報じられています。

1年9カ月の消耗戦——米ゼロックス買収が破談した

2018年、富士フイルムホールディングスは自社株買い企業が自社の発行済み株式を市場などで買い戻すこと。と新株発行を組み合わせ、現金の持ち出しをゼロに抑えるスキームで米ゼロックスの買収を発表しました。ところが米ゼロックスの大株主だったカール・アイカーン氏らが、ゼロックスは過小評価されているとして買収差し止め訴訟を起こし、同年、米ゼロックスの新経営陣が合意そのものを破棄しました。

富士フイルムは損害賠償を求めて米ゼロックスを提訴しましたが、交渉は「商標権、直販エリアを盾にした応酬」という消耗戦に発展したと報じられています。1年9カ月に及んだ停滞の末、2019年の終わりに富士フイルムは買収を断念しました。その代わりに、米ゼロックスが保有していた富士ゼロックス株25%を買い取り、約60年に及んだ合弁関係を独資に切り替える形で決着させたと報じられています。

ヘルスケア企業の総仕上げ——日立の画像診断事業を買収した

2019年、富士フイルムは日立製作所の画像診断機器事業を買収すると発表したと報じられています。この買収でCTやMRIといった大型画像診断機器がラインアップに加わり、内視鏡・超音波診断機器、医薬品の受託製造(CDMO)、化粧品まで、ヘルスケア領域の事業が一通り揃いました。

写真フィルムという一つの市場に依存していた会社が、複数のM&Aを重ねてヘルスケアを中核事業の一つに育てた道のりの、一つの区切りでした。