半官半民の翼から、世界を結ぶ航空会社へ。 その歴史は、戦後有数の経営破綻を越えた再生の物語でもあります。 稲盛和夫の哲学とともに、わずか2年8か月で空へ舞い戻りました。
創業から現在へ — ストーリー
7年で、売上は約1.5倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
日本航空(証券コード9201)は、全日本空輸(ANA、証券コード9202)と名前や事業が似ていて、混同されやすい銘柄です。両社は別の会社で、路線構成やグループ会社の顔ぶれも異なります。
航空事業は、燃料費や為替、感染症・災害といった外部要因の影響を受けやすい構造です。日本航空は2010年に一度経営破綻を経験しており、業績の振れ幅が大きい業種であることを、この会社の歴史そのものが物語っています。
「日本航空株式会社法」——政府出資と国の認可に縛られた半官半民時代
1953年、日本航空株式会社法が公布されます。この法律により、日本航空は国際線と国内幹線だけを担う特殊会社と位置づけられました。政府が出資する一方、代表取締役(社長)の選任や定款変更、合併・解散の決議には運輸大臣の認可が必要という、半官半民の体制です。
空の便利さを国全体で支える一方、経営の自由度は限られる体制でした。この体制は、1987年の完全民営化まで34年間続きます。
よど号ハイジャック事件——日本初のハイジャックが変えた法律
1970年春、日本航空351便「よど号」が乗っ取られました。日本で初めてのハイジャック事件です。犯人グループは北朝鮮への亡命を求め、機長を脅して福岡空港、そして韓国・金浦空港へ向かわせました。
運輸政務次官の山村新治郎が乗客の身代わりを申し出て人質になり、乗客・乗員は解放されます。事件から2か月後、「航空機の強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)」が制定され、日本の航空保安の仕組みが大きく変わりました。
御巣鷹山、520人——日本航空123便墜落事故
1985年、日本航空123便が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲になりました。単独機の事故としては世界最悪の犠牲者数です。原因は、過去の修理でボーイング社が施した圧力隔壁の補修に不備があったことでした。
日本航空はこの事故を教訓に、2006年、全社員が安全の重みを学ぶ「安全啓発センター」を開設しています。忘れてはならない事故として、いまも社内教育の原点に位置づけられています。
完全民営化と「45/47体制」の終わり
1985年、国内の航空会社の路線を国が割り振る「45/47体制」が廃止されます。同じ年、当時の中曽根康弘首相が進めた民営化路線を受け、日本航空も完全民営化の方針を打ち出しました。
1987年、日本航空は特殊会社としての立場を離れ、普通の株式会社になります。半官半民として生まれた会社が、設立から36年で民間企業に生まれ変わった瞬間でした。
「事業改善命令」——2005年、国からの異例の処分
2005年、日本航空では管制指示の誤認識や非常口モードの変更漏れなど、ヒューマンエラーによるトラブルが相次ぎました。国土交通省は同年、航空法にもとづく事業改善命令を出します。過去に前例が2回しかない、異例に重い処分でした。
日本航空はこの年のうちに安全アドバイザリーグループを設置し、安全最優先の体制づくりに動き出しています。トラブルの連鎖を、組織立った安全管理の見直しにつなげた出来事でした。
「JALシステム」——日本エアシステムとの経営統合
2002年、日本航空は国内線を主力とする日本エアシステムと経営統合し、持株会社「株式会社日本航空システム」を発足させました。2004年にはいったん国際線担当と国内線担当の2社に分かれますが、2006年に再び一つの事業会社に合併します。
国内路線網の厚みを得た統合でしたが、組織の複雑さは、のちの経営再建でも課題として扱われることになりました。
2兆3,000億円の負債——2010年、戦後有数の経営破綻
2008年のリーマン・ショック後、原油高と需要減が重なり、日本航空の経営は急速に悪化しました。供給座席数が需要を上回りがちな路線構造、ホテル事業など関連投資の失敗、複雑な労使関係といった課題が積み重なっていたところに、外的なショックが直撃した形です。
2010年の年明け、負債総額約2兆3,000億円を抱えて会社更生法の適用を申請し、わずか1か月ほどで上場廃止株式が取引所での売買対象でなくなること。となりました。戦後4番目の規模とされる、事業会社としては異例の大型破綻でした。
稲盛和夫と「JALフィロソフィ」——無給の会長が持ち込んだ哲学
経営破綻から間もない2010年、京セラ名誉会長の稲盛和夫が、無報酬で日本航空の会長に就任しました。当時のJALは、倒産した危機感や当事者意識に乏しく、再建は不可能とさえ言われていたと伝えられています。
稲盛は「JALフィロソフィ」と呼ばれる行動指針と、小集団ごとに採算を管理する「アメーバ経営」を導入しました。全社員が経営者意識を持つことを目指したこの取り組みは、社員の意識改革につながったと伝えられています。
世界2位の大型上場——2012年、2年8か月での再生
2010年3月期に1337億円あった営業赤字は、2012年3月期には2049億円の営業黒字に転じました。2012年、日本航空は東京証券取引所に再上場します。初値新規上場した株式が取引所で最初に成立する取引価格。は売り出し価格を上回り、時価総額株価に発行済み株式数をかけた金額。企業の大きさを市場の評価額で示す数値。は約6900億円。この年、世界の株式市場で米フェイスブックに次いで2番目の規模の上場になったと報じられています。
破綻からわずか2年8か月での復帰でした。いまも日本航空は、LCCや国際線の拡大を通じて、世界とアジアを結ぶ航空会社であり続けています。
