手術で体を縫う針や、歯の治療器具をつくる医療機器メーカー、マニー。栃木の小さな工場が、なぜ120か国以上で使われる会社になったのか。 転機は、当時「不可能」と言われたステンレス製縫合針の実用化だった。 ニッチ市場だけを狙う経営は、いまも変わっていない。

01

創業から現在へ — ストーリー

1956 — 1965
松谷正雄、ステンレス製の縫合針で世界初に
栃木県高根沢町で、松谷正雄が医療用の縫合針づくりを始めました。当時主流だった鉄製の縫合針は、錆びやすいという弱点を抱えていました。そこで松谷は、錆びに強いステンレスを使った縫合針の開発に取り組みます。1961年、世界で初めてステンレス製の縫合針の製造に成功しました。
1966 — 1975
メスづくりの失敗と、「極細治療器」への集中
会社の存続のため、松谷製作所は手術用のメスづくりにも挑戦しました。ところが、縫合針で培った針金の技術と、メスに必要な板金の技術はまったくの別物でした。畑違いの分野に手を出し、損失を出す結果に終わります。この失敗をきっかけに、自社の得意な技術だけで勝負する「極細治療器以外はやらない」という方針が生まれました。同じころ、競合他社が加工できなかったステンレスへの穴あけに、レーザーを使う技術の研究も始めています。
1976 — 1995
歯科・眼科への参入と、経営の骨格づくり
針金を生かした微細加工の技術をもとに、1976年には歯科の根管治療機器の市場に参入しました。1980年代には「企業理念」「社訓」「経営基本方針」を相次いで制定し、いまに続く経営の骨格をつくります。営業基本方針の「世界一の品質を世界のすみずみへ」は、創業者が「これで世界一になる」と宣言したことに由来すると社史に記されています。1993年には眼科用の縫合針・糸でも市場に参入し、数年で大きなシェアを獲得しました。
1996 — 2010
社名を「マニー」に変え、生産をベトナムへ
製品ブランド名として広まっていた「MANI」に合わせ、1996年に社名を松谷製作所からマニー株式会社に変更しました。同じころの超円高を背景に、コストを抑えるためベトナムとミャンマーに生産拠点を設け、2009年には第3の拠点としてラオスにも工場を設立します。ベトナムの子会社は増築を重ね、いまでは主力工場に育ちました。2000年には自社の縫合針特許をめぐる侵害裁判で勝訴し、2001年には株式を店頭公開しています。
2011 — 2022
東証プライムへ、海外M&Aも経験
2011年に東京証券取引所第二部に上場し、翌年には第一部に指定されました。同じころ中国・ベトナムでの販売体制も整えます。2015年には、ドイツの歯科修復材メーカーSchütz Dental Groupを子会社化しました。ただしこのうち販売部門にあたるSchütz Dental GmbHの株式は2018年に譲渡し、開発・製造に特化する体制へ整理しています。2022年、東京証券取引所の市場再編でプライム市場に移行しました。
2023 — 2024
中国でのダイヤバー回収と、社長交代
2024年、中国市場向けの「マニーダイヤバー」が現地の抜取検査で不合格となり、自主回収を実施しました。会社は、他の地域で販売する製品への影響はないと説明しています。同じ年、日立製作所出身で社外取締役を務めていた渡部眞也が新しく代表執行役社長に就任し、それまでの齊藤雅彦社長は執行役会長に退きました。
2025 — 2026
自主回収からの回復と、次の成長目標
2025年、中国向けダイヤバーの登録情報に不備が見つかり、自主回収の量は想定より膨らみました。この影響で25年8月期の純利益は前の期を下回りましたが、回収完了後に販売を再開すると、四半期の売上は回収前を上回るペースまで回復しました。栃木県では新工場「花岡工場」が稼働し、次の中期経営計画では売上500億円を目指す方針を示しています。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.8倍

400億円
200億円
2016 · · · · · · · · 2025
売上 純利益(手元に残った利益)
売上
10年前
166億円
現在
300億円
約1.8倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
30億円
現在
46億円
売上100円につき約15円
従業員
10年前
3,379
現在
4,140
約1.2倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
眼科・外科手術機器(サージカル事業)
眼科ナイフや硝子体鑷子(しょうしたいせっし・目の中の組織をつかむ器具)など、目や体の手術で使う精密機器を手がけています。世界シェア30%の眼科ナイフをはじめ、ニッチな分野で高いシェアを持つ製品群です。
柱 02
医療用の糸付き縫合針(アイレス針事業)
あらかじめ糸を通した状態で出荷する縫合針で、世界シェア2位のポジションを持ちます。医療現場のニーズに合わせた品番の追加や、生産技術の支援を通じて既存の取引先との関係を深めています。
柱 03
歯科の根管治療・切削器具(デンタル事業)
歯の根の治療に使うファイルや、削る・磨くためのダイヤバーなどを手がけています。新製品「JIZAI」はニッケルチタン合金を使ったファイルで、日本・インド・ベトナムなどで販売を広げています。
柱 04
歯科用の修復材料(MMGブランド)
2015年に子会社化したドイツ企業を土台にした事業です。歯を修復するための材料を開発・生産しており、他社ブランド向けのOEM発注元のブランド名で製品を製造すること。相手先ブランドでの生産。(相手先ブランドでの生産)が先行するかたちで、自社ブランドの育成を進めています。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

売上の多くを海外が占め、なかでも中国の比率が大きい会社です。為替や海外の規制動向の影響を受けやすく、2025年には中国向け製品の自主回収が業績に響いた例もあります。地域ごとの規制対応がどう進むかは、注目しておきたい点です。

ニッチな市場に絞る分、特定の製品や地域に業績が左右されやすい構造です。過去には自主回収で一時的に売上が落ち込んだこともありますが、その後の販売回復ペースも公表されており、回復までの動きを追いやすい会社とも言えます。

松谷正雄、栃木の小さな工場から医療機器づくりへ

創業者の松谷正雄は、栃木県高根沢町で医療用の縫合針づくりを始めました。地方からでも世の中に貢献できる産業をと考え、当時鉄製が主流だった縫合針に目をつけたと社史に記されています。鉄は錆びに弱く、医療の現場では扱いにくいという弱点がありました。

松谷は、錆びに強いステンレスを使った縫合針の開発に挑みます。1961年、世界で初めてステンレス製の縫合針の製造に成功しました。「差別化」と「世界一を目指す志」は、ここから生まれたと社史では位置づけられています。

「畑違い」のメスづくりと、極細治療器への集中

会社を存続させるため、松谷製作所は手術で使うメスの製造にも挑戦しました。ところが、縫合針で培った針金の技術と、メスに必要な板金の技術はまったくの別物でした。畑違いの分野に手を出し、損失を出す結果に終わっています。

この失敗の教訓から生まれたのが、「極細治療器以外はやらない」という方針です。自社の得意な技術だけで勝負するという、いまも続くマニーの事業領域の輪郭は、ここで定まりました。

競合が諦めた加工に、レーザーで挑む

アイレス縫合針の開発で、マニーは針に糸を通すための穴をあける方法を研究していました。競合他社はドリルで加工していましたが、マニーが使うステンレスにはドリル加工ができませんでした。

そこで行き着いたのが、レーザーで穴をあける技術です。当時は費用対効果の面から見合わないという見方が多かったものの、安全性を追求するという方針のもとで開発が進められました。このレーザードリリング技術が、その後の会社の発展を支える技術になったと社史では位置づけられています。

「世界一の品質を世界のすみずみへ」という営業方針の由来

1980年代、マニーは「企業理念」「社訓」「経営基本方針」「営業基本方針」を相次いで制定しました。営業基本方針の「世界一の品質を世界のすみずみへ」は、創業間もなくステンレスの縫合針が完成した際、創業者が「これで世界一になる」と宣言したことに由来すると社史に記されています。

世界一の品質であれば世界中の人に使ってもらう必要があり、販売できなければ患者が良い治療を受ける機会を奪うことになる、という考え方も込められているといいます。

実質赤字の会社を継いだ2代目、松谷貫司

1940年生まれの松谷貫司は、1964年に松谷製作所へ入社しました。1969年に代表取締役専務、1986年には代表取締役社長に就任しています。

継いだ当時の会社は、社員10名ほどで外注が多く、実質的には赤字だったと報じられています。そこから手術用縫合針の国内シェアで9割を握るまでに育て上げ、2007年には取締役会議長兼代表執行役会長に就いています。

ドイツ企業の買収と、一部売却による立て直し

2015年、マニーはドイツの歯科修復材メーカー、Schütz Dental Groupを子会社化しました。先進国での新製品投入を加速化する狙いでした。

ところが2018年、このうち販売部門にあたるSchütz Dental GmbHの株式を譲渡しています。開発・製造を担うグループ会社を残し、事業体制を開発・製造に特化する形に整理しました。この会社は2023年にMMGへ社名を変更し、自社ブランドの育成を進めています。

中国での自主回収と、新社長の就任が重なった年

2024年、中国市場向けの「マニーダイヤバー」が現地の抜取検査で不合格となり、自主回収を実施しました。会社は、対象は中国の製品登録における独自の記載事項に関するものであり、他の地域で販売する製品への影響はないと説明しています。

同じ年、日立製作所出身でマニーの社外取締役を務めていた渡部眞也が、新しく代表執行役社長に就任しました。それまでの齊藤雅彦社長は執行役会長に退いています。

「登録情報の不備」による自主回収と、想定を超えた回復

2025年、中国向けのダイヤバーで、製品登録における記載情報の不備が見つかりました。自主回収の量は想定より膨らみ、この影響で25年8月期の純利益は前の期を下回る見通しとなりました。トランプ米政権の関税措置も、あわせて減益要因になったと報じられています。

回収完了後、規制当局の承認を経て販売を再開しました。中国での売上は想定を上回るペースで回復し、円安の継続やドイツ子会社MMGの受注増加とも重なって、四半期の売上高・営業利益はともに過去最高を更新しています。数字だけを見ると後退した年に見えますが、その後の回復の速さも記録に残る出来事でした。

「カンブリア宮殿」が伝えた、地方発の世界一戦略

2010年、マニーはテレビ東京の経済番組「カンブリア宮殿」で「世界一しか目指さない!奇跡の成長を遂げた栃木の田舎企業」として取り上げられました。

同社は現在も、「医療機器以外扱わない」「世界一の品質以外は目指さない」「ニッチ市場以外に参入しない」という方針を公式に掲げています。栃木の地方都市に本社を置きながら、世界120カ国以上に製品を届けています