フィルムの需要が急速に消えていくなかで、生き残った「写真フィルムの会社」。 同じ危機に直面した海外の最大手は経営破綻した。 いま社名に「フイルム」を残したまま、売上の中心はヘルスケア・オフィス機器・半導体材料へ移った。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.4倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
いまの富士フイルムは、化粧品・医薬品の受託製造・半導体材料・複合機・写真という、値動きの理由がまったく異なる事業を同時に抱える複合企業になっています。どれか一つの事業のニュースだけで会社全体を判断すると実態とずれやすく、決算のたびに「どの事業が伸びたか」を確認する視点が欠かせません。
過去には海外企業の大型買収が土壇場で崩れたこともあります。医薬品の受託製造や半導体材料は工場新設に長い年月がかかる事業でもあり、今後も海外M&Aや大型投資のニュースが会社の姿を左右し続けるとみられます。
コダックの門前払いと「幽霊写真」——独力開発の原点
富士フイルムの前身・大日本セルロイドは、写真フイルムの国産化にあたり世界最大手の米コダック社に技術提携を申し入れましたが、「日本に適地なし」という理由で断られたと伝えられています。傘下の東洋乾板が手がけていた写真乾板は、洗浄が不十分な再生ガラス板を使っていたために、陸軍飛行学校で撮影した写真に前の結婚写真の像が重なって写るという事件まで起きるほど、品質に深刻な課題を抱えていました。
提携という近道を断たれたまま、フィルムベースの平面性・透明性・柔軟性を同時に満たす技術を独力で積み上げていった先に、1934年の富士写真フイルム設立があります。
「第二創業」——写真フィルム市場が10年で10分の1に
2000年を境に、写真フィルムの世界需要は年率20〜30%という急降下で縮小を始めたと報じられています。当時、写真関連製品は富士フイルムの売上の6割、利益の3分の2を占めていたとされ、10年ほどでその市場が10分の1に縮んだと伝えられています。
当時の経営トップ・古森重隆氏は、社員に「本業消失の危機」を訴え、「第二創業」として事業構造そのものを作り直す方針を掲げたと報じられています。技術の棚卸しを行って既存技術と新しい市場の組み合わせを検討し、ヘルスケアやデジタルイメージングといった領域に注力事業を絞り込んだとされています。
同じ危機、割れた明暗——世界最大手コダックの経営破綻
写真フイルム最大手だった米コダック社は、実は世界で初めてデジタルカメラを発明した会社でもあったと報じられています。しかし主力のフィルム事業で世界トップを走っていたがゆえに、自らデジタル化を本格的に進める判断が遅れたとされます。1990年時点でコダックの売上高は富士フイルムの1.5倍ありましたが、フィルム需要がピークを迎えた2000年には両社の売上高がほぼ並び、その後コダックは縮小、富士フイルムは事業の多角化によって売上を伸ばしたと報じられています。
同じ市場消失に直面しながら、一方は破綻に至り、一方は生き残りました。この明暗を分けたのは、技術をどこまで違う市場に転用できたかという経営の選択の違いだったと分析されています。
フィルムのコラーゲンが、化粧品「アスタリフト」になった日
フィルム需要の激減に直面していた2006年、富士フイルムは化粧品事業に参入しました。同じ年に設立された富士フイルム先進研究所から、翌年、スキンケアブランド「アスタリフト」が生まれています。土台になったのは、写真フィルムの開発で蓄積してきたコラーゲン研究、光の解析技術、抗酸化技術、そして独自のナノテクノロジーという4つの技術だったと説明されています。
開発では、高い抗酸化力を持つが水に溶けにくいアスタキサンチンをどう安定的に配合するかが課題となりましたが、フィルム製造で培ったナノレベルの乳化・分散技術がこれを解決したそうです。写真の会社がなぜ化粧品を作るのか——その答えは、フィルムの中にすでにあったのです。
年間100万台から12万台へ——チェキが辿った終売危機
1998年に発売されたインスタントカメラ「チェキ」は、2002年に年間100万台を売り上げるヒット商品でした。しかしその後の数年で販売は急減し、2004年から2006年にかけては年間10万〜12万台まで落ち込んだと報じられています。ピーク時の10分の1という水準でした。
2006年、富士フイルムは「写真文化を守り育てることが弊社の使命」との声明を出し、同業他社がフィルム事業から撤退するなかで事業を継続すると宣言したと伝えられています。転機は2007年、韓国ドラマへの登場をきっかけにアジア圏で人気が広がったことでした。その後、海外の若い世代の支持を受けて販売は右肩上がりに転じ、2018年には年間1,002万台に達したと報じられています。
1年9カ月の消耗戦——米ゼロックス買収破談
2018年、富士フイルムホールディングスは自社株買い企業が自社の発行済み株式を市場などで買い戻すこと。と新株発行を組み合わせ、現金の持ち出しをゼロに抑えるスキームで米ゼロックスの買収を発表しました。ところが米ゼロックスの大株主だったカール・アイカーン氏らが、ゼロックスは過小評価されているとして買収差し止め訴訟を起こし、同年、米ゼロックスの新経営陣が合意そのものを破棄しました。
富士フイルムは損害賠償を求めて米ゼロックスを提訴しましたが、交渉は「商標権、直販エリアを盾にした応酬」という消耗戦に発展したと報じられています。1年9カ月に及んだ停滞の末、2019年の終わりに富士フイルムは買収を断念しました。その代わりに、米ゼロックスが保有していた富士ゼロックス株25%を買い取り、約60年に及んだ合弁関係を独資に切り替える形で決着させたと報じられています。
日立の画像診断事業買収——ヘルスケア企業への総仕上げ
ゼロックス買収が破談した2019年、富士フイルムは日立製作所の画像診断機器事業を買収すると発表したと報じられています。この買収でCTやMRIといった大型画像診断機器がラインアップに加わり、内視鏡・超音波診断機器、医薬品の受託製造(CDMO)、化粧品まで、ヘルスケア領域の事業が一通り揃いました。
写真フィルムという一つの市場に依存していた会社が、複数のM&Aを重ねてヘルスケアを中核事業の一つに育てた道のりの、一つの区切りでした。
