1918年、渋沢栄一が理想の住宅地づくりを掲げてつくった一社に、この会社の歴史はさかのぼる。 東急グループを率いた五島慶太のもとで不動産子会社として育ち、バブル崩壊で業績が落ち込んだこともあった。 いまは創業の地・渋谷に本社を戻し、広域渋谷圏の再開発を率いている。

01

創業から現在へ — ストーリー

1918 — 1928
渋沢栄一が「田園都市株式会社」を設立
1918年、渋沢栄一や中野武営らが発起人となり、東京府荏原郡の玉川村・洗足池付近に理想の住宅地をつくる田園都市株式会社が設立されました。1922年に洗足地区で最初の分譲が始まり、1923年には多摩川台地区(現在の田園調布)でも分譲が始まっています。この年に起きた関東大震災でもこの住宅地の被害は小さく、郊外への人口移動を後押ししました。1928年、田園都市株式会社は目黒蒲田電鉄と合併し、のちの東急グループの土台になっています。
1951 — 1956
公職追放が解け、東急不動産を設立
東急グループを率いた五島慶太は、戦後の公職追放で経営の一線を退いていました。1951年に追放が解除され経営に復帰すると、鉄道事業だけに頼らない関連事業の拡大を掲げます。田園都市事業から続く不動産業を引き継ぐ形で、1953年に東急不動産が設立されました。1956年には東京証券取引所市場第二部に株式を上場しています。
1970 — 1976
管理・仲介の分社化と東急ハンズの誕生
東急不動産は1970年に管理業務を担う東急コミュニティーを、1972年に仲介を担うエリアサービス(のちの東急リバブル)を、それぞれ分社しました。1976年には「手の復権」というキーワードを掲げるDIY専門店、東急ハンズも設立しています。開発・管理・仲介を分ける事業体制が、この時期に形づくられました。
1990 — 2002
バブル崩壊で減益、構造改革の10年余り
1990年の株価下落で、保有株式の評価額下落による多額の営業外損失・特別損失が表面化しました。業績は1991年3月期をピークに減益へ転じ、地価下落や施設利用の低迷も重なり、1994年から構造改革を進めています。2000年には新中期経営計画を策定して既存事業の採算性向上を目指し、不動産証券化時代への対応などで収支を改善して、2002年度の連結決算でようやく配当を再開しました。
2013
3社そろって上場廃止、持株会社体制へ
東急不動産と、上場していた子会社の東急コミュニティー・東急リバブルは、持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。として東急不動産ホールディングスを設立し、3社そろって上場廃止株式が取引所での売買対象でなくなること。しました。人口減少で分譲マンション市場の先行きが厳しくなるとの見通しから、自己資本比率総資産のうち、返済不要の自己資本が占める割合を示す指標。を高めて再開発への投資余力を確保する狙いがあったと説明されています。
2019 — 2024
本社を渋谷に戻し、広域渋谷圏を開発
2019年、東急不動産ホールディングスは本社を渋谷ソラスタに移し、創業の地である渋谷に戻りました。同じ年に渋谷フクラス・東急プラザ渋谷が開業し、渋谷駅を中心とした半径2.5km圏内を「広域渋谷圏」と位置づけた開発を進めています。2024年にはShibuya Sakura Stageが開業しました。
2021 — 2026
東急ハンズを譲渡、再生可能エネルギーを拡大
東急不動産ホールディングスは2021年、東急ハンズの全株式をカインズへ譲渡する契約を結びました。一方で再生可能エネルギー発電を手がけるリエネ・エナジーを2026年に完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。するなど、戦略投資事業の強化を進めています。
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
都市開発事業
オフィスビルや商業施設、住宅分譲、賃貸マンションや学生レジデンスの開発を手がける事業です。渋谷を中心とした都市再開発の中核を担っています。
柱 02
不動産流通事業
東急リバブルや東急住宅リースなどが担う、不動産の売買・賃貸仲介や販売受託、賃貸住宅管理を手がける事業です。
柱 03
管理運営事業
東急コミュニティーによるマンション・ビルの管理のほか、リフォーム工事やホテル・レジャー施設の運営などを手がける事業です。
柱 04
戦略投資事業
再生可能エネルギー発電施設や物流施設の開発、北米・アジアなど海外での不動産投資を手がける事業です。リエネ・エナジーなどが担っています。
03

投資指標

株価
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東証プライム
前日比
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配当利回り
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年間予想
PER
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株価収益率
PBR
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株価純資産倍率
時価総額
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円換算
52週高値
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過去1年
52週安値
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過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

都市再開発は着工から竣工まで数年単位の時間がかかるため、期中の金利や資材価格の変動が、数年後に計上される利益に影響しうる事業構造です。再開発案件の進捗と着工時期は、将来の業績を占う手がかりになりそうです。

バブル崩壊期に業績が落ち込み配当を止めた過去が示すように、不動産開発は地価や金融環境の変化に業績が左右されやすい面があります。分譲マンション市場など主力事業の需要動向は、注視する価値がありそうです。

渋沢栄一が思い描いた「理想の街」——田園調布と洗足

1918年、渋沢栄一や中野武営らが発起人となり、東京府荏原郡の玉川村と洗足池付近で田園都市株式会社が設立されました。電灯・電力は自社で直営し、上水道は玉川水道から引き、下水道には高地を利用するなど、当時としては珍しい水準の住宅地づくりが構想されていました。

1921年に計画を上回る面積の土地買収が完了し、1922年には洗足地区で最初の分譲が始まりました。約8割がすぐに予約で埋まる好調な売れ行きだったといいます。1923年に多摩川台地区(現在の田園調布)でも分譲が始まった直後、関東大震災が起こりましたが、この住宅地の被害は小さく、安全性の高さが評価されて郊外への人口移動を後押ししました。

五島慶太、追放解除から興した「東急不動産」

東急グループを率いた五島慶太は、戦後の公職追放を受けて経営の一線を退いていました。1951年に追放が解除され経営に復帰すると、「ローカルな事業、鉄道事業のみに閉じこもることなく」関連事業に乗り出す方針を掲げます。田園都市事業から続く不動産業を引き継ぐ形で、1953年に東急不動産が設立されました。

設立当初、株式はすべて親会社の東京急行電鉄が保有していましたが、業績の向上を受けて1954年、東京急行電鉄の株主へ40対1の割合で株式が割り当てられました。その後、店頭売買を経て、1956年には東京証券取引所市場第二部への上場を果たしています。

開発・管理・仲介に分かれた東急不動産——のちの「3社体制」の原型

東急不動産は住宅や商業施設の供給を広げるなか、1970年には管理業務を担う東急コミュニティーを、1972年には仲介を担うエリアサービス(のちの東急リバブル)を、それぞれ分社しています。

開発・管理・仲介という機能別に会社を分ける体制は、その後の東急不動産グループの土台になりました。この体制は約40年後、2013年の持株会社設立でふたたび1つのグループとして再編されることになります。

「手の復権」——東急ハンズの誕生とカインズへの卒業

1976年、東急不動産は「手の復権」というキーワードを掲げるDIY専門店、東急ハンズを設立しました。2014年には完全子会社化も行っています。

東急不動産ホールディングスは2021年、東急ハンズの全株式をカインズへ譲渡する契約を結びました。両社の共通する価値観と事業の相互補完性が背景にあるとされ、2022年にハンズはカインズグループの一員になっています。

バブル崩壊、株価下落で露見した含み損

1989年後半の半年ほどで、各社の株価が5割増から2倍近くに跳ね上がるほどの株式買い進めが起きました。東急不動産の株式も大量に買い進められた1社でした。1990年に株価が下落すると、一部グループ会社の財テク失敗が表面化し、東急不動産は保有株式の評価額下落で多額の営業外損失・特別損失を計上しています。

業績は1991年3月期をピークに減益へ転じ、未稼働資産の拡大や地価下落、施設利用者の減少も重なりました。東急不動産は1994年から構造改革を進め、2000年に2005年3月期を最終年度とする中期経営計画を策定して既存事業の採算性向上を目指します。不動産証券化時代への対応などで収支を改善し、2002年度の連結決算でようやく配当を再開しました。

「世田谷フロレスタ」——20年後に発覚した耐震不足

1998年に完成した分譲マンション「東急ドエル・アルス世田谷フロレスタ」(東京都世田谷区、8階建て49戸)は、2018年、1階住戸のカビ発生をきっかけに管理組合が調査を始めました。翌2019年には東急不動産も調査に加わり、設計110箇所・構造図183箇所・実際126箇所と構造スリットの数が食い違っていることや、床スラブ・基礎梁の鉄筋129本が切断・損傷していることなど、重大な欠陥が次々に判明します。現地の状況をもとに構造計算をやり直すと、必要な耐震性能を満たしていないという結果になりました。

東急不動産は2021年にいったん建て替えを提案し、住民は仮住まいへの転居に応じましたが、2024年、新築時の測量誤りによる建築基準法違反を理由に建て替え提案を撤回し、買い取りと解体を新たに提案しました。管理組合と区分所有者6人は2025年、建て替え義務の確認や、負担した費用約5800万円の支払いなどを求めて東京地方裁判所に提訴しています。管理組合の理事長は撤回について「不誠実なやり方に納得がいかない」と述べたと報じられました。

3社そろって上場廃止、「東急不動産ホールディングス」に一本化

東急不動産の子会社だった東急コミュニティーと東急リバブルは、ともに上場していました。人口減少や世帯数の減少で分譲マンション市場の先行きが厳しくなるとの見通しから、2013年、3社は持株会社として東急不動産ホールディングスを設立し、そろって上場廃止しました。

経営統合の狙いについて、当時の副社長は自己資本比率を高め、渋谷や銀座の再開発への投資余力を確保することだと説明しています。新会社は同じ2013年のうちに上場しました。

パラオの視察から始まった環境路線、そしてRE100達成へ

1956年、五島昇はパラオを訪れ、自然環境を守ることの大切さを認識したといいます。1984年に開業した会員制リゾートホテル「パラオ・パシフィック・リゾート」では、「ヤシの木より高い建物は建てるなよ」という環境配慮の方針が掲げられました。

1995年には東急不動産が環境ビジョンの基本理念を策定し、2011年の改訂では森林保全に取り組む「緑をつなぐプロジェクト」も始まっています。2019年には不動産業界で初めてTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)に賛同し、事業で使う電力を100%再生可能エネルギーにするRE100の目標達成時期を2050年から2022年に前倒しして達成したとしています。

渋谷回帰——創業の地に本社を戻し、広域渋谷圏を主導

2019年、東急不動産ホールディングスは本社を「渋谷ソラスタ」に移転し、創業の地である渋谷に戻りました。同じ年には渋谷フクラスと東急プラザ渋谷も開業しています。渋谷駅を中心とした半径2.5km圏内を「広域渋谷圏」と位置づけ、Forestgate Daikanyamaや東急プラザ原宿「ハラカド」など、周辺エリアを含めた面的な開発を進めてきました。

2024年には、桜丘町・道玄坂地区の再開発によるShibuya Sakura Stageが開業しました。田園都市の分譲から100年余りを経て、この会社の開発の中心は、ふたたび創業の地である渋谷に戻っています。