東京都心を縦横に走る地下鉄、東京メトロ。 始まりは、ロンドンの地下鉄に魅せられた一人の実業家だった。 戦争で国に事業を取り上げられながらも、2024年に証券取引所へ上場した。
創業から現在へ — ストーリー
6年で、売上は約1.4倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
国と東京都は合わせて株式の半分を保有しています。完全民営化の時期は有楽町線や南北線の新線建設の進み具合次第とされ、両者の保有比率の変化が、この会社の民営化の進み具合を測る目盛りになります。
営業収益の8割超を旅客運輸収入が占めるため、東京都心の通勤・観光需要の変化が業績に直結しやすい構造です。輸送人員の増減は、決算を読むときの手がかりになりそうです。
鉄道再建屋だった早川徳次——地下鉄に賭けた理由
早川徳次は山梨県出身の実業家です。早稲田大学を卒業したあと、南満洲鉄道や鉄道院を経て、いくつかの鉄道会社の再建に携わりました。
欧米を視察した早川は、ロンドンの地下鉄網を目の当たりにします。「これからの東京の発展には地下鉄が不可欠だ」と考えた早川は、帰国後、地下鉄の建設に動き出しました。
帰国の数年後、早川は東京地下鉄道株式会社を設立します。1927年の暮れ、上野と浅草を結ぶ2.2キロの区間が開業しました。これがアジアで最初の地下鉄でした。
壁一枚で仕切られた新橋駅——早川と五島、譲らなかった意地
早川が浅草から新橋まで路線を延ばしたあと、実業家の五島慶太が東京高速鉄道株式会社を設立し、渋谷から新橋への地下鉄建設に乗り出しました。
早川は五島からの相互乗り入れの申し出を断りました。その結果、両社の新橋駅は壁一枚を隔てて別々に作られるという異例の事態になりました。
1939年、両社はようやく直通運転を始めます。ですが、駅の対立が象徴するように、二人の関係はこの後も改善しませんでした。
早川が退いた——帝都高速度交通営団の誕生
五島慶太は東京地下鉄道の株式を買い進め、五島と東京高速鉄道が筆頭株主になりました。経営権をめぐる対立は深まるばかりでした。
1940年、のちに首相となる佐藤栄作らが仲裁に入ります。この仲裁案を受け入れる形で、早川徳次は59歳で東京地下鉄道の経営から退きました。
翌1941年、東京の地下鉄は国の管理のもとに一元化されることになり、特殊法人帝都高速度交通営団が設立されます。東京地下鉄道と東京高速鉄道の路線を引き継ぎ、浅草と渋谷を結ぶ区間で営業を始めました。早川が亡くなったのは、その翌年のことです。
地下鉄サリン事件——朝の通勤電車にまかれた毒
1995年、通勤ラッシュのさなか、日比谷線・丸ノ内線・千代田線を走る5本の電車の車内で、信者らが猛毒のサリンをまきました。
死者に加え、負傷者は3,000人を大きく超えました。乗客の救護や車両の消毒にあたった駅員の中にも、命を落とした人がいます。
警察・消防・自衛隊・医療関係者が総出で対応にあたったこの事件は、日本の地下鉄の安全対策を根本から見直すきっかけになりました。
「輪重抜け」——中目黒駅で起きた脱線衝突事故
2000年、日比谷線の電車が中目黒駅の手前の急カーブで脱線し、対向列車と衝突しました。5人が亡くなりました。
国の事故調査検討会は、低速走行時に車輪がレールに「乗り上がる」形の脱線で、車輪にかかる重さの偏り(輪重抜け)が大きな要因だったと推定しました。
この事故をきっかけに、脱線を防ぐガードの設置基準や、車両の静止輪重を一定以内に管理する基準が、全国の鉄道事業者で統一されました。
完全民営化を約束した法律——それでも20年動かなかった
2002年、東京地下鉄株式会社法が成立します。帝都高速度交通営団を株式会社に改め、将来的には国と東京都の保有株式をすべて売却し、完全民営化することを方針として掲げた法律でした。
2004年、帝都高速度交通営団は解散し、新たに東京地下鉄株式会社(愛称・東京メトロ)としてスタートを切ります。上場直前まで、株式は国が53.4%、東京都が46.6%を保有し、両者以外の株主はいませんでした。
その後20年近く、東京メトロの株式は非上場のまま据え置かれることになります。
国は急ぎたい、東京都は待ちたい——綱引きの末の上場
東日本大震災のあと、国は復興債の返済財源として保有する東京メトロ株を売却する方針を決めます。
2024年、国と東京都は保有する株式の半分を売り出し、東京証券取引所プライム市場に上場しました。時価総額は1兆円を超えました。国内で最大級の大型上場でした。
売却で得た資金は、震災復興債の返済に充てられました。国と東京都は保有比率を下げながらも、依然として株式の半分を持つ大株主です。新線建設が終わるまでは、この体制が続く見通しです。
サリン事件から30年——慰霊碑に立った社長の言葉
サリン事件から30年がたった2025年、東京メトロの山村明義社長は事故現場近くの慰霊碑に献花し、「事故に遭われた方の無念や悔しさがひしひしと伝わってくる」と語りました。安全への誓いは、いまも会社の中心にあります。
サリン事件をきっかけに広がった不審物への警戒に加え、東京メトロは2024年度末までに車内の隅々にカメラの目を行き渡らせました。ホームからの転落や接触を防ぐホームドアの整備も進み、同時期に全駅のほとんどで完了しています。
新橋駅の壁も、サリンの惨事も、脱線の教訓も、この会社の歴史に刻まれています。いまの東京メトロの安全対策は、そのひとつひとつの記録の上に築かれています。
