大坂・道修町の薬種商から始まった武田薬品工業。1781年創業、戦後はアリナミンで茶の間に浸透した。 2019年、欧州の製薬大手シャイアーを丸ごと買収。経営のかじ取りは、いまや創業家の手を離れている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約2.6倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
武田の売上の9割超は海外が占めており、為替や各国の薬価制度の変更に業績が左右されやすい構造になっています。特に売上の柱である米国市場の薬価政策のニュースは、業績への影響を考えるうえで見ておきたい材料です。
大型買収の後は、のれん企業買収の際、買収先の純資産額を上回って支払った金額を計上する無形の資産項目。や無形資産の償却負担が利益を押し下げることがあります。決算を読むときは、売上や営業利益だけでなく、最終的な純利益がどこで目減りしているかを見る視点が参考になりそうです。
「近江屋」——道修町で始まった薬種仲買
1781年、32歳の初代武田長兵衛は、大坂・道修町に店を構えました。屋号は「近江屋」。唐薬や和薬を仕入れ、医師や薬舗に転売して差益を得る薬種仲買という商いです。道修町は、幕府が公認した薬種仲買仲間だけが薬の真贋を鑑定できる、いわば薬の品質を保証する町でした。
当主は代々「武田長兵衛」を襲名する慣行を定着させ、この襲名制度が240年以上続く企業の連続性を支えました。
洋薬への転換、四代目が下した決断
江戸時代から続いた和漢薬の商いは、明治維新で転機を迎えます。四代目武田長兵衛は、西洋医学を採用した明治新政府の方針に合わせ、横浜経由でドイツなどの薬品を直輸入する事業へ舵を切りました。
1907年には日本初のサッカリン生産を手がけています。仲買商だった武田は、この決断によって近代医薬品を扱う商社へと姿を変えていきました。
輸入が止まった大戦、自社工場という賭け
第一次世界大戦が始まると、ドイツからの医薬品輸入が途絶えました。仕入れて売る商売の限界に直面した武田は、自分たちで薬を作るという選択をします。
1914年に武田研究部、1915年に武田製薬所を設け、流通業から製造業へと軸足を移しました。1925年には株式会社武田長兵衛商店として法人化し、1943年に武田薬品工業と改称しています。
武田長兵衛襲名の掟と、途絶えた七代目
初代から6代目まで、当主は代々「武田長兵衛」を襲名してきました。6代目は多角化と近代化を推進し、1954年発売のアリナミンで業界トップクラスの製薬会社に育てています。
ですが、6代目の長男で7代目を襲名するはずだった武田彰郎は、1980年に急逝しました。父も同じ年に亡くなり、「武田長兵衛」の名跡はここで途絶えています。以後、社長の座は傍流出身の武田國男らに引き継がれていきました。
ビタミンB1誘導体「アリナミン」、戦後日本の茶の間へ
1951年、ビタミンB1誘導体「アリチアミン」が発見されました。武田薬品はこれをもとに、体内でビタミンB1になる脂溶性物質「プロスルチアミン」を開発します。
1954年、この物質を主成分とした「アリナミン糖衣錠」を発売しました。1960年代には三船敏郎ら著名人を起用した広告展開で知名度を高め、1987年にはドリンク剤にも展開しています。戦後の日本で、疲労回復薬の代名詞になった製品です。
兄と父の死をきっかけに、傍流から台頭した武田國男
1993年に社長となった武田國男は、兄・彰郎の急逝と父の死をきっかけに、傍流だった国際部門から台頭した人物です。
國男は動物用医薬品やビタミン製造、食品事業といった非中核事業を次々に売却し、経営資源を医療用医薬品に集中させました。2002年度には売上高1兆円を達成しています。國男は2009年に会長を退任し、相談役にも就かず、創業家出身では最後の経営トップとして身を引きました。
「日本の製薬会社」から「グローバル製薬企業」へ——初の外国人トップ
2014年、武田はグラクソ・スミスクライン(GSK)出身のクリストフ・ウェバー氏を社長に迎えました。フランス出身で薬学の博士号を持つウェバー氏の起用は、生え抜きではない外国人がトップに立つという、国内の大手製薬会社では異例の人事でした。
当時、武田OBや創業家の一部からは、グローバル化の路線や外国人社長の選任に疑問の声も上がっています。それでもウェバー体制は続き、武田は日本市場中心の会社から、海外売上比率が大きく伸びるグローバル企業へと姿を変えていきました。
「シャイアー」買収——6兆円、そして膨らんだ借金
2018年、武田はイギリスの製薬大手シャイアーの買収を発表しました。約6兆円規模のこの買収は、日本企業として当時最大級のM&Aです。
買収には多くの反対の声も上がりました。武田OBや創業家の一部でつくるグループが買収に反対する株主提案を出しましたが、支持は1割に届きませんでした。買収完了後、武田の純有利子負債は5兆円超へ急増し、格付け会社は武田の格付けを引き下げています。
株主総会の「反乱」、それでも創業家は経営を去った
シャイアー買収をめぐっては、武田OBら約130人でつくる「武田薬品の将来を考える会」が、買収の責任を問う株主提案を繰り返し提出しました。ですが、2018年の年末に開かれた臨時株主総会でも、賛成は9割を超え、反対はごくわずかにとどまっています。
武田は買収後、非中核資産の売却を進めて負債を段階的に圧縮し、消化器系疾患や希少疾患を中心とするグローバル製薬企業として事業を続けています。創業家出身の最後の経営トップだった武田國男は2024年に亡くなり、いま武田の経営に創業家の姿はありません。
