島野庄三郎は、堺の借り工場でペダルの部品づくりを始めた。 気づけばその会社は、変速機やブレーキで世界の大半のシェアを握る企業になっていた。 ゴルフやスノーボードでは撤退を経験しながら、釣りともう一つの柱にたどり着いた。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.4倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
シマノの業績は、自転車という趣味・レジャー用品の需要サイクルに左右されます。コロナ特需の反動で在庫調整が続いたように、好調・不調の波が数年単位で続く傾向があります。
売上の多くが海外にあるため、為替の動きが業績を左右します。ドル安・アジア通貨高が重なると差損が利益を押し下げることもあり、決算では為替要因がどれだけ含まれているかを見る視点が参考になりそうです。
「シマノのフリー」——堺の借り工場で磨いた精度
島野庄三郎は堺市東湊町に借り工場を構え、翌年からフリーホイール(ペダルを止めても後輪が回り続ける部品)づくりを始めました。
焼き入れ技術を独自に改良して精度を高めていくと、国内外で「シマノのフリー」と呼ばれるまでに評価が上がりました。こうした評価の高まりが、のちの法人化への足がかりになりました。
65歳での別れ——長男・尚三に託されたシマノ
1958年、創業者の島野庄三郎が65歳で亡くなりました。会社の舵取りを継いだのは、長男の島野尚三です。父が一代で築いたシマノを、このときから引き継いでいくことになります。
部品をひとそろいに——コンポーネントが生まれた
シマノは高級コンポーネント「デュラエース」を発売しました。それまで自転車部品は個別に選んで組み合わせるのが当たり前でしたが、シマノは部品同士の相性まで含めてひとそろいで設計・供給する発想に踏み出します。
この「コンポーネント」という考え方は、その後の自転車業界全体に広がっていきました。1973年には東京・大阪証券取引所の1部にも昇格しています。
「カチッ」と決まる変速——SISが変えたギアチェンジ
それまでの変速機は、レバーの引き加減を手の感覚で微調整しながらギアを合わせる必要がありました。1984年、シマノはレバーを一段動かすだけでギアが正確に決まるインデックス機構(SIS)を搭載した新型デュラエースを発売します。
「カチッ」と決まるギアチェンジの操作感は初心者にも扱いやすく、大きな支持を集めました。この技術はやがて上位モデルだけでなく、幅広い価格帯の製品に広がっていきます。
指先ひとつでギアが変わる——STIレバーの誕生
それまでのロードバイクは、ブレーキレバーとは別に、フレームやハンドルの根元にあるシフトレバーを操作してギアを変える必要がありました。シマノはマウンテンバイク向けの技術を応用し、この発想をロードバイクにも取り入れていきます。
1990年、ブレーキレバーとシフターを一体化したSTI(シマノ・トータル・インテグレーション)レバーを発表しました。翌1991年には社名を株式会社シマノへ改めています。
自転車以外への挑戦——生き残った釣り具
自転車一本足だったシマノは、1970年に釣具事業へ参入しました。さらに後年、スノーボードとゴルフの事業にも進出し、事業の幅を広げようとします。
ですが、ゴルフ用品もスノーボード用品も、事業としてはいずれ撤退という結果に終わり、後者はヨネックスに譲渡されました。一方の釣り具は根付き、G.ルーミスなどを傘下に収めるまでに育っています。同じ「自転車以外への挑戦」でも、残った事業と消えた事業に分かれました。
24万個の無償点検——下請けにも背負わせた宿題
シマノは2022年、一般向け自転車に搭載していた変速機(型番RD-TY21B)に不具合が見つかったと発表しました。走行中に脱落すると転倒してけがをする恐れがあるとして、国内で約24万個の無償点検を実施しています。
その3年後、公正取引委員会からもうひとつの指摘を受けます。下請け企業121社に対し、発注していない金型など4,313個を無償で保管させていたというものです。保管・棚卸しは2年ほど続いていたとされ、公取委は再発防止と費用の支払いを勧告しました。シマノは「厳粛に受け止める」とコメントしています。
特需の反動——それでも配当は過去最高を更新した
新型コロナ下の巣ごもり需要とアウトドアブームで自転車と釣具の販売が急増し、シマノの業績は大きく伸びました。
その後は中国や欧州で積み上がった市場在庫の重荷が残り、為替差損も重なって、2025年12月期の営業利益は前期比2割減の517億円まで落ち込みます。それでも同期の年間配当は、過去最高額を更新しました。欧州では需要が安定してきた兆しも見え始めています。
