無印良品を運営する良品計画は、西友の一プライベートブランドとして生まれた。 「ブランドをつけない」という逆転の発想は、一度は経営危機に飲み込まれながらも生き延びた。 いま無印良品は、日本だけでなく世界各地で親しまれている。

01

創業から現在へ — ストーリー

1980 — 1989
西友のPBとして「無印良品」誕生
1980年、西友のプライベートブランドとして「無印良品」が発売されました。生活雑貨と食品をあわせて40品目という小さなスタートでした。仕掛けたのは、セゾングループを率いた堤清二です。ブランド名をつけない、包装を簡略にするという発想が、その後の会社の土台になりました。
1989 — 1998
良品計画として独立、海外へ第一歩
1989年、無印良品の事業を大きくするため、西友から独立して株式会社良品計画が設立されました。翌年には無印良品の営業を西友から譲り受け、直営の小売事業を始めています。1991年にはロンドンに海外1号店を出店しました。1992年には魚力と合併し、現在の商号になっています。
1998 — 2000
東証二部上場、2年で一部へ指定替え
1998年に東京証券取引所第二部に上場し、設立からわずか11年後の2000年には第一部に指定替えとなりました。1998年2月期まで毎期増収増益を続け、海外の同業と並ぶブランドとして注目されていました。ですが、この好調の裏で商品そのものの競争力は弱まりつつありました。
2001 — 2002
業績が急落、松井忠三が社長に就任
2000年に17,350円あった株価は、1年で2,750円まで下がりました。中間決算では38億円の赤字を計上し、時価総額株価に発行済み株式数をかけた金額。企業の大きさを市場の評価額で示す数値。は約4,900億円から770億円まで縮みました。この最悪のタイミングで、松井忠三が社長に就任しています。
2002 — 2008
MUJIGRAMで立て直し、V字回復
松井は、店舗ごとにばらばらだった業務を見直すため、2,000ページに及ぶ業務マニュアル「MUJIGRAM」を作らせました。あわせて衣料品のデザインをヨウジヤマモトに委託し、価格帯も引き上げています。海外では香港を皮切りに東アジアへの直営出店を進め、会社は過去最高益を重ねる体制へと戻っていきました。
2018 — 2020
海外の最高益から一転、コロナで赤字に
2018年2月期には売上3,788億円・純利益301億円という過去最高益を達成しました。ですが新型コロナウイルスの感染拡大で世界中の店舗が休業を迫られ、2020年8月期は当期損失169億円を計上しています。欧州事業は営業損失を計上する一方、東アジア事業は黒字を維持するなど、地域によって明暗が分かれた年でした。
2021 — 2025
新しい方針を掲げ、過去最高益を更新
2021年、ファーストリテイリング出身の堂前宣夫が社長に就任し、「規模競争でなく生活圏密着へ」という方針のもと、2030年に売上3兆円という目標を示しました。2024年には清水智が社長を引き継ぎ、2025年8月期には営業収益7,846億円という過去最高益を更新しています。
TEN YEARS

10年で、売上は約2.4倍

1兆円
5,000億円
2016 · · · · · · · · 2025
売上 純利益(手元に残った利益) 赤字だった年
売上
10年前
3,333億円
現在
7,846億円
約2.4倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
258億円
現在
508億円
売上100円につき約6円
従業員
10年前
6,992
現在
13,912
ほぼ2倍
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
国内事業
日本国内の無印良品店舗とオンラインストアを通じて、衣料品・生活雑貨・食品を販売する事業です。グループ収益の中心を占め、直営店・オンラインストアともに売上を伸ばしています。
柱 02
東アジア事業
中国大陸・台湾・香港などで無印良品を展開する事業です。国内に次ぐ収益の柱に育っています。
柱 03
東南アジア・オセアニア事業
シンガポール・タイ・マレーシア・オーストラリア・インド・ベトナムなどで店舗を広げている事業です。バンコクやホーチミンで大型旗艦店を出店するなど、店舗網の拡大を積極化しています。
柱 04
欧米事業
英国・フランス・米国などで無印良品を展開する事業です。かつては不採算店舗が続き苦戦していましたが、店舗の構造改革を経て収益性が改善しつつあります。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

無印良品は世界各地で展開しており、為替や現地の消費動向で業績が左右されやすい事業です。特に欧米事業は過去に赤字が続いた経緯があり、地域ごとの黒字化のペースを見る視点が参考になりそうです。

2001年の経営危機からMUJIGRAMという仕組みで立て直した経緯があるように、この会社は一度崩れても仕組みで立て直す文化を持っています。今後もし業績が落ち込む局面が来たとき、経営陣がどんな仕組みを打ち出すかが一つの見どころになりそうです。

「わけあって、安い。」——西友の市場調査から生まれたブランド

1980年、西友のプライベートブランドとして無印良品が誕生しました。きっかけは、西友の商品部が示した市場調査メモだったと、コピーライターの小池一子は振り返っています。流通段階でのコスト削減という現実的な課題と、当時の欧米ブランドが持っていた過剰な付加価値への違和感が結びついた企画でした。

発売当初のラインアップは、生活雑貨と食品をあわせてわずか40品目でした。代表例のひとつが「割れしいたけ」です。形が不揃いという理由だけで流通段階で廃棄されていたしいたけを、そのまま商品化したものでした。物を飾らずに理由を言葉にする——それが「わけあって、安い。」というコピーに結晶しました。

田中一光の引き算——何もしないというデザイン

無印良品のアートディレクターを務めたのが、グラフィックデザイナーの田中一光です。1980年ごろは「付け加えることがデザインだ」という考え方が広く浸透していたとされ、田中はそこに逆らい、装飾をそぎ落とす「引き算」のデザインを無印良品で打ち出したと伝えられています。

田中はセゾングループのクリエイティブディレクターとしてロフトのロゴなども手がけた人物で、無印良品のシンプルな佇まいは、この時期の田中の仕事の集大成のひとつだったという逸話が知られています。2002年に亡くなるまで、無印良品のビジュアル面に関わり続けています。

堤清二が見た「ブランドではないブランド」

仕掛け人の堤清二は、セゾングループを率いた経営者です。堤は、商品にブランド名がひとつ付くだけで価格が跳ね上がる当時の消費のあり方に疑問を持ち、ブランドを与えないことで価格を抑えるほうが消費者に喜ばれると考えて無印良品の企画を立ち上げたと伝えられています。

「商品を売るのではなくライフスタイルを売る」という堤の消費哲学は、無印良品だけでなく、ロフトなど、セゾングループが手がけた数々の事業に共通する発想でした。無印良品には、その哲学がいまも息づいています。

魚力との合併で今の社名に

1992年、「魚力」という名前の会社と合併し、商号を現在の「株式会社良品計画」に変更しています。

無印良品という一つのブランドを育てるために会社の形を整えていったこの時期、良品計画は同時にロンドンへの海外1号店出店も果たしており、国内での基盤固めと海外進出を並行して進めていました。

「38億円の赤字」——松井忠三が見た経営危機

2000年に17,350円あった株価は、わずか1年で2,750円まで下がりました。中間決算では38億円の赤字を計上し、時価総額は約4,900億円から770億円まで縮みます。この状況で社長に就任したのが松井忠三でした。

松井は西友からの出向者で、1991年には一度、左遷人事で良品計画に出向したという経歴を持っています。その松井が最悪のタイミングで社長を任され、店舗ごとにばらばらだった業務のやり方と向き合うことになりました。

MUJIGRAM——2,000ページのマニュアルが生んだV字回復

松井忠三は、店舗の売り場づくりが店長の経験に頼りきりで、「店長が100人いると100通りの売り場ができる。完璧な売り場を作る店長は3人程度。それ以外は70点程度」という状態にあると述べています。属人化した業務を見える化するため、店舗業務マニュアル「MUJIGRAM」(全13冊・2,000ページ)と、本社業務をまとめた業務基準書(6,600ページ)を作らせています。

あわせて衣料品のデザインをヨウジヤマモトに委託し、価格帯も引き上げました。仕組みで会社を立て直すというこのやり方は、その後の良品計画の経営スタイルの土台になっています。

イデーを迎え入れる——家具ブランドの合流と11年後の合併

2006年、良品計画は家具ブランド「イデー」の株式の多くを持っていた美濃屋と共同で新会社を設立し、イデーの店舗や商標を引き継ぎました。出資比率は良品計画が80%、美濃屋が20%だったと伝えられています。

イデーはその後もブランドとして店舗展開を続け、2017年、完全子会社として良品計画本体に吸収合併されました。経理などの管理業務を合理化する狙いだったと報じられています。

「これでいい」を世界へ——MUJI HOTEL深セン開業

良品計画は2018年、中国・深センに世界初となるMUJI HOTELを開業しました。良品計画は出店の理由を、深センが「わずか30年で漁村から1400万人の大都市へ発展し、ビジネスやイノベーションが絶え間なく生まれ、日々めまぐるしく変化する魅力的な街」だからと説明しています。

もっとも、開業は北京・銀座と同時進行で進んでおり、実際には「たまたま最も早く開業できたのがこの場所」という事情もあったと報じられています。日本では手頃な価格帯のブランドである無印良品が、中国では高級感のあるブランドとして受け止められているという、市場ごとの受け取られ方の違いも見えてきた出来事でした。

コロナ危機を越えて迎えた過去最高益

2020年8月期、新型コロナウイルスの感染拡大で世界中の店舗が休業を迫られ、良品計画は当期損失169億円を計上しました。欧州事業は営業損失に沈んだ一方、東アジア事業は黒字を保つなど、地域差が浮き彫りになりました。

2021年、ファーストリテイリング出身の堂前宣夫が社長に就任し、「規模競争でなく生活圏密着へ」という方針のもとで2030年に売上3兆円という目標を打ち出しました。2024年には清水智が社長を引き継ぎ、2025年8月期には営業収益7,846億円・営業利益738億円という過去最高益を更新しています。