冷凍食品やちくわで知られるニッスイ。始まりは1911年、下関のトロール漁業でした。 2022年、1945年から77年間名乗ってきた「日本水産」の社名を「ニッスイ」に変えました。 いま「獲る漁業」から「つくる漁業」へと舵を切り、世界で暮らしを支える食品グループへ姿を変えています。

01

創業から現在へ — ストーリー

1911 — 1919
田村市郎、下関でトロール漁業を始める
1911年、実業家の田村市郎は山口県下関に田村汽船漁業部を設立し、国司浩助らとともにトロール漁業の経営に乗り出しました。田村は1908年、大阪鉄工所で建造した国産初の鋼製トロール漁船「第一丸」で瀬戸内海の試験操業を経験しています。1919年、組織を改めて共同漁業株式会社になっています。
1934 — 1945
日産傘下、戦時統制、そして日本水産へ
1934年、共同漁業株式会社は日産コンツェルンの傘下に入り、グループ内の捕鯨会社・製氷会社と合併しました。創業家による経営はここで実質的に終わります。1937年、社名は日本水産株式会社(現・ニッスイ)に変わりました。1943年には水産統制令により漁船・漁場が国の管理下に置かれ、社名も日本海洋漁業統制株式会社に変わります。敗戦後の1945年末、統制が解かれると同時に社名は日本水産株式会社へ戻りました。
1949 — 1968
上場、そして冷凍すり身の発明
1949年、日本水産は東京証券取引所に上場しました。1952年にはフィッシュソーセージの本格販売を始め、水産加工食品の会社としての顔を広げていきます。1960年、北海道立水産試験場との共同研究で、冷凍しても品質が変わらないすり身の製造技術を確立しました。1967年に洋上での本格生産が始まり、翌1968年には生でもおいしい焼ちくわを全国発売しています。
1977 — 1991
200カイリ規制と、遠洋漁業への固執
1977年、アメリカが200カイリの排他的経済水域を設定し、世界の主要な漁場が次々と外国船に閉ざされました。日本水産の漁獲量は、1972年と比べておよそ半分にまで落ち込みます。それでも同社はトロール船への投資を続け、1980年以降の新造船4隻だけで計120億円を投じました。1990年3月期、上場以来初めての経常赤字を計上しています。
1978 — 1994
魚の油から生まれた薬、EPA
1978年、心臓病が少ないイヌイットの食生活と魚油成分EPAの関係が発表されると、日本水産はいち早く研究に着手しました。1980年、魚油から高純度のEPAを抽出・精製する技術を世界に先駆けて確立します。製薬会社との共同研究を経て、1990年に閉塞性動脈硬化症、1994年に高脂血症の治療薬としての承認を取得しました。
2001 — 2009
ゴートンズ買収と、リーマン・ショックの赤字
2001年、日本水産は北米最大手の家庭用冷凍水産食品ブランド「ゴートンズ」をおよそ1億7,500万ドルで買収しました。輸出中心の会社から、海外で自社ブランドを持って売る会社への転換点です。ですが海外展開が広がるほど為替や「のれん企業買収の際、買収先の純資産額を上回って支払った金額を計上する無形の資産項目。」の影響も大きくなり、2009年3月期には162億円の最終赤字を計上しています。
2022 — 2026
「ニッスイ」への改称と、養殖への大型投資
2022年、日本水産株式会社は株式会社ニッスイに社名を変えました。同じ年度には、食品事業の売上高が水産事業を上回り、グループの主力事業が入れ替わっていました。2026年には、チリのサーモン養殖会社ペスケラ・ヤドラン社を、報道によれば約205億円で完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。し、2030年までに南米での養殖規模を現在の2.5倍にあたる年間8万トン超へ拡大する計画を発表しています。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.5倍

1兆円
5,000億円
2017 · · · · · · · · 2026
売上 純利益(手元に残った利益)
売上
10年前
6,360億円
現在
9,313億円
約1.5倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
142億円
現在
275億円
売上100円につき約3円
従業員
10年前
8,722
現在
11,526
約1.3倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
水産事業(獲る漁業からつくる漁業へ)
漁業・養殖から加工・販売までを一貫して手がける事業です。海外ではチリやニュージーランドでの漁業やサーモン養殖、国内ではブリ・ギンザケなどの養殖を展開しています。天然魚だけに頼らない「つくる漁業」へ、投資の重心を移しています。
柱 02
食品事業(冷凍食品・練り製品・缶詰)
家庭用・業務用の冷凍食品、ちくわなどの練り製品、缶詰、フィッシュソーセージなどを製造・販売しています。北米のゴートンズ、フランスのシテ・マリンといった現地ブランドを通じて海外でも展開しており、いまではグループ最大の売上の柱になっています。
柱 03
ファインケミカル事業(DHA・EPA)
青魚の油から抽出したEPA・DHAを、医薬品原料や健康食品・サプリメントの原料として供給する事業です。40年以上にわたって培った高純度精製技術が強みで、医薬品メーカーへの原料供給を長く続けています。
柱 04
物流事業(流通・配送ネットワーク)
水産事業・食品事業を支える流通・配送のネットワークを、グループ会社が担っています。水産事業と食品事業を裏側で支えるインフラとしての役割を持つ事業です。
03

投資指標

株価
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東証プライム
前日比
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——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

食品事業と水産事業のバランスが、業績を大きく左右する構造です。水産事業は海況や為替、稚魚価格などの外部要因を受けやすく、食品事業は原材料費や物流コストの影響を受けます。どちらの事業が伸びているかを追うと、決算の変化を読み解くヒントになりそうです。

サーモン養殖のような海外での大型投資は、成果が出るまでに数年単位の時間がかかる分野です。買収や増産計画のニュースに接したときは、投資から回収までの時間軸を意識する視点が参考になりそうです。

「第一丸」——瀬戸内海に浮かんだ国産初の鋼製トロール船

田村市郎は、実業家・久原房之助の実兄にあたる人物です。釜山で海産物を扱ったのち、トロール漁業に目をつけました。1908年、大阪鉄工所で建造した国産初の鋼製トロール漁船「第一丸」で、瀬戸内海の試験操業を始めています。

1911年、田村は下関に田村汽船漁業部を設立し、国司浩助らとともに本格的なトロール漁業の経営に乗り出しました。この一隻の試験操業から、いまのニッスイにつながる歴史が始まっています。1919年には組織を改め、共同漁業株式会社になりました。

財閥の傘下に入り、戦争で国に握られた漁船

1934年、共同漁業株式会社は日産コンツェルンの傘下に入り、グループ内の捕鯨会社・製氷会社と合併しました。創業者の田村家による経営は、ここで実質的に終わります。1937年、社名は日本水産株式会社(現・ニッスイ)に変わりました。

戦争が始まると、国はさらに強く関わってきます。1943年、漁船と漁場は国の管理下に置かれ、社名も日本海洋漁業統制株式会社に変わりました。「日本水産」の名前が一度消えたのは、この時期のことです。敗戦後の1945年末、統制が解かれると同時に、社名は日本水産株式会社へ戻っています。

冷凍すり身の発明——低利用魚だったスケソウダラの大逆転

スケソウダラは「足の早い」魚でした。鮮度が落ちるのが早く、獲れた地域の周辺でしか、ねり製品やタラコの原料に使えなかったのです。

1960年、日本水産は北海道立水産試験場と共同で、冷凍しても品質が落ちないすり身の製造技術を確立しました。1963〜64年ごろには自社のトロール船に冷凍すり身の製造設備を積み込み、獲ったその場で洋上凍結する仕組みをつくります。1967年に本格生産が始まると、スケソウダラは全国どこでも使える食材に変わりました。翌1968年、生でもおいしい焼ちくわの全国販売が始まっています。

200カイリの壁——獲れなくなった海で、船を増やし続けた30億円

1977年、アメリカが200カイリの排他的経済水域を設定しました。世界の主要な漁場が次々と外国船に閉ざされ、日本水産の漁獲量は、1972年と比べておよそ半分にまで落ち込みました

普通なら、船を減らして別の事業に軸足を移すところです。ですが同社は逆の道を選びます。1983年には総工費およそ30億円のトロール船「越前丸」を進水させ、1980年以降だけで新造トロール船4隻に計120億円を投じました。業界の多くが漁労中心の経営から抜け出そうとするなか、日本水産は漁労重視を貫きます。1990年3月期、上場以来初めての経常赤字を計上しました。

「エパデール」——魚の油から生まれた世界初の治療薬

きっかけは、遠く離れたイヌイットの人たちの研究でした。1978年、心臓病が少ないイヌイットの食生活とEPA(魚の油に含まれる成分)の関係が発表されると、日本水産はいち早く研究に着手します。

1980年、魚油から高純度のEPAを抽出・精製する技術を、世界に先駆けて確立しました。製薬会社との共同研究を経て、1990年に閉塞性動脈硬化症の治療薬、1994年には高脂血症治療薬としての承認を取得しています。青魚の油が、医薬品になった瞬間でした。この技術は、いまのファインケミカル事業の土台になっています。

ゴートンズ買収——「獲る漁業」から「売る漁業」への転換

2001年、日本水産は北米最大手の家庭用冷凍水産食品ブランド「ゴートンズ」を、およそ1億7,500万ドルで買収しました。それまでの日本水産は、日本から輸出することが中心の会社でした。

ゴートンズは、現地で長く愛されてきた自前のブランドです。この買収を機に、日本水産は海外で自社ブランドを持って売る会社へと軸足を移していきます。2005年には業務用ブランドのキング&プリンスも取得し、家庭用・業務用の両方をそろえる体制を整えました。

162億円の赤字——のれんと為替に振り回された一年

2009年3月期、日本水産は162億円の最終赤字を計上しました。本業のもうけを示す営業利益はおよそ32億円の黒字だったにもかかわらず、です。

原因は、海外買収にともなう「のれん」の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。や為替差損といった特別損失でした。海外展開を広げるほど、円相場や海外子会社の業績が全社の決算を左右するようになっていたのです。その後も2011年3月期、2013年3月期と赤字を繰り返しましたが、2015年3月期には純利益105億円まで回復し、以降は黒字が続いています

社名から「水産」が消えた日

2022年、日本水産株式会社は株式会社ニッスイに社名を変えました。1945年に「日本水産」へ社名を戻してから77年間続いた名前が、ここで変わったのです。

会社は「水産という特定の事業を表現した商号から、長年お客様に育んでいただいた呼称『ニッスイ』を新商号とした」と説明しています。実際、同じ年度には食品事業の売上高が水産事業を上回り、グループの主力事業は入れ替わっていました。米国・チリ・ペルー・オランダの海外グループ会社も、同じタイミングで「Nissui」に名前をそろえています。

日本の巻き網漁船で初めての「海のエコラベル」

2024年、ニッスイグループの共和水産などが運航する4隻の巻き網漁船が、中西部太平洋のカツオ・キハダマグロ漁でMSC漁業認証を取得しました。日本船籍の巻き網漁船としては初めての認証です。

MSC認証は、資源の管理状態や環境への影響を国際基準で審査する「海のエコラベル」です。ニッスイグループが扱う天然魚のうち、認証を取得した漁業で獲られたものの比率は、2016年の調査時点でおよそ4割だったとされています。「獲る漁業」を続けながら、海の資源を守る取り組みも並行して進めています。