パン、うどん、パスタ。原料の小麦粉を日本でいちばん多く作る会社が日清製粉グループ本社だ。 1900年、群馬・館林の小さな工場から始まり、海外企業の買収で世界に事業を広げてきた。 一度は上場以来はじめての赤字を経験しながら、いま稼ぐ力を取り戻しつつある。

01

創業から現在へ — ストーリー

1900
正田貞一郎が館林で機械製粉を創業
正田貞一郎が群馬県館林で館林製粉を設立した。経営難だった横浜の日清製粉を合併し、社名を引き継いで日清製粉となった。本社も東京へ移した。
1926
港に船を着ける「海工場」を鶴見に建てる
合併後の日清製粉は工場新設で規模を広げた。港の岸壁に船を直接着け原料を吸い上げる「海工場」を横浜・鶴見に建設し、輸入小麦をそのまま運び込む体制を整えた。
1945
空襲で主力工場が焼失
戦時中の空襲で主力工場が焼失した。戦後の混乱の中、生産体制の立て直しを迫られた。
2001
創業100周年に持株会社体制へ移行
高度成長期の日清製粉は配合飼料や医薬品などで多角化し、カナダ企業買収で海外へ初進出した。創業100周年の翌2001年、持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。体制へ移行した。
2008
40年余りの医薬事業を手放す
持株会社化後、日清製粉グループは医薬品事業など40年余り続けた事業から退き、製粉・食品へ経営資源を集中。米ミラー・ミリング買収で北米へ本格参入した。
2019
アライド・ピナクル買収で豪州に進出
オーストラリアの製粉会社アライド・ピナクルを買収し、米豪加の三極体制を築いた。コロナ禍で豪州事業に約558億円の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。を計上し、上場来初の最終赤字に転落した。
2023
値上げの力で業績を立て直す
赤字の翌年度、日清製粉グループは原料高を販売価格へ転嫁し業績を立て直した。一方でインドのイースト事業は糖蜜価格の上昇で87億円の減損を計上した。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.6倍

1兆円
5,000億円
2016 · · · · · · · · 2025
売上 純利益(会社に残った利益) 赤字だった年
売上
10年前
5,320億円
↓
現在
8,650億円
約1.6倍に増加
純利益
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
10年前
195億円
↓
現在
326億円
売上100円につき約4円
従業員
10年前
6,324人
↓
現在
9,624人
約1.5倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
製粉事業
小麦粉の祖業。国内シェア約4割で港直結の工場を活かし、海外にも製粉拠点を持つ。
柱 02
加工食品事業
「マ・マー」等の家庭用パスタ・食品を製造し、原料知識を食卓向け商品に生かす。
柱 03
中食・惣菜事業
コンビニ・弁当向け惣菜を製造。共働き世帯の増加で伸びる中食需要を取り込む。
柱 04
多角化事業
パン酵母・健康食品からプラント設計、工業用メッシュクロスまで幅広く手がける。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

恩師のひと言で製粉を選んだ——半年の欧米視察が根幹に

正田貞一郎が製粉業を選んだのは、自分ひとりの思いつきではありませんでした。経済学者だった恩師・土子金四郎に相談したうえで、この道に進むことを決めています。

創業から十数年後、正田は半年近くをかけて欧米の製粉業を見て回りました。のちに本人が経営の根幹になったと語るほど、この視察は大きな意味を持ちます。採用の面接にも自ら座り、学閥ができることを避けたのも、外の世界を自分の目で確かめる姿勢の表れでした。この姿勢が、小さな製粉所を国内最大の製粉会社へ押し上げていきました。

「日清製粉」——あとから来た会社が名前を引き継いだ

横浜には先に「日清製粉株式会社」という会社がありましたが、経営がうまくいかず苦しんでいました。1907年、正田貞一郎の館林製粉がこの会社を合併し、社名をそのまま引き継いで日清製粉株式会社になります。

翌1908年、本社は館林から東京・日本橋小網町へ移りました。後発の会社が、先にあった同業他社の看板を受け継ぐという珍しい形の合併でしたが、この社名は証券コード2002の会社に引き継がれました。

鶴見に浮かんだ「海工場」——800万円の賭け

日清製粉が横浜・鶴見に建てた「海工場」は、港の岸壁へ船を直接着けて小麦を吸い上げる工場でした。投資額は800万円、資本金の3分の2にあたる額をたった1つの工場に注ぎ込む決断です。正田貞一郎はドイツ人技師を招き、周囲の反対を押し切ってこの工場を建てました。

敷地は1万6,000坪。1万トン級の船が着岸できる吸上装置と大型のサイロを備えました。港に直結した工場という発想は、同社が海外に製粉拠点を置くときの考え方に受け継がれました。

「日清キョーリン製薬」——医薬品事業40年に幕を下ろした

医薬品を手がける日清化学は、杏林製薬と50%ずつを出し合って「日清キョーリン製薬」を立ち上げるまでに育っていました。小麦粉の会社が薬をつくるという、意外な組み合わせです。

その日清キョーリン製薬は、2008年に杏林製薬へ吸収合併されます。ビタミン合成の技術から始まった挑戦は、40年あまりで静かに幕を下ろしたことになりました。

店内で焼くパンの誤算——豪州買収がつまずいた

2019年の豪州買収は、そこを足がかりに成長するアジアのベーカリー市場へ輸出を伸ばす計画とセットでした。買った相手は現地最大手のアライド・ピナクル。絵に描いたような一手に見えました。

ところが新型コロナウイルスの流行で、得意先だったインストアベーカリー(スーパーなどの店内で焼くパン売り場)の需要が落ち込みます。国境規制で輸出拡大の計画も動かせません。買った会社の価値そのものを見直さざるを得なくなり、買収額に見合う価値はないと認める判断に追い込まれました。

「マ・マー」——70年目に挑んだアルデンテ

1955年に生まれたパスタブランド「マ・マー」は、当初、女性の顧客をターゲットに開発されました。70年を経た2025年、日清製粉ウェルナは小麦粉のひき方を1年がかりで見直し、粗くひいたデュラムセモリナを増やしてアルデンテな食感を追求した商品にリニューアルしています。

同じ年、トルコの子会社で作った早ゆでスパゲティのヨーロッパ販売も始まりました。祖業の製粉技術を家庭の食卓向けに磨き続けている姿勢は、創業以来変わらない同社の性格を映しています。