スマホや自動車の基板に、数えきれないほど載っている部品がある。作っているのは村田製作所だ。 京都の小さな町工場から始まり、積層セラミックコンデンサ(MLCC)で世界シェア首位に立った。 表舞台に出ないこの部品メーカーが、いま新しい成長の柱を探している。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.6倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
「人の先を行く」——特殊磁器に賭けた町工場
村田昭は京都の碍子店に生まれ、家業の碍子ではなく特殊磁器の可能性に賭けました。電気の知識をまったく持たないまま、1944年に京都市中京区の染物工場の跡地を借りて、村田製作所を興しています。
唯一の取引先となった三菱電機伊丹製作所から求められたのは、軍用通信機向けのチタン酸化物セラミックコンデンサでした。手探りの試行錯誤の末、3カ月でサンプルを完成させ、取引を開いたと伝えられています。「生まれつき、人と競争するのがいやだったから、一歩、人の先を行くようになった」と昭は後年語っており、価格競争を避けて品質と技術で顧客をつかむ方針は、この創業期から一貫していました。
エリー社を買収——一気に広がった海外拠点
1980年、村田製作所はカナダの多国籍企業エリー・テクノロジカル・プロダクツを買収しました。
この買収によって、米国・カナダ・西ドイツ・メキシコの工場と、フランス・イタリアの販売網を一挙に手に入れています。一件の買収で、北米と欧州にまたがる生産・販売拠点をまとめて獲得した形です。
黒字100億円から一転——数年で急回復した営業損益
2008年秋のリーマン・ショックは、村田製作所を直撃しました。主力のMLCC事業の受注が需要蒸発で急減し、前の期には100億円を超える営業利益を上げていたところから一転、大幅な営業損失に転落しています。3代目社長の村田恒夫が就任してまもない時期の出来事でした。
ですが落ち込みは長くは続きませんでした。スマートフォンの普及とともにMLCCの需要が急拡大し、村田製作所の売上高はその後の数年で急回復しています。危機の直後に落ち込んだ業績は、新しい市場の追い風を受けて立て直されました。
495億円を減損——電池事業の構造改革が続いた
2017年、村田製作所はソニーグループのリチウムイオン二次電池事業を譲り受けました。原材料から一貫生産するセラミックス事業とは畑違いの領域への進出です。
ですが収益化は長期化しています。円筒形リチウムイオン二次電池の設備などで495億円の減損損失を計上した年度もあれば、大規模な構造改革費用を計上した年度もありました。マイクロ一次電池事業をマクセルへ売却するなど、事業の絞り込みも進めています。
自動運転とResonant——外れ続けた買収の狙い
村田製作所は2012年、フィンランドのMEMSセンサーメーカー、VTI Technologiesを買収しました。自動運転のレベル3以降で需要が拡大すると見込んだ、先行投資型の買収です。それから10年後には、高周波フィルタ技術を持つ米Resonant社も買収しています。次世代通信規格のWi-Fi 7やFR3に対応できる技術を取り込む狙いで、どちらも「第2の柱」づくりを見据えた、成長を買収で取りに行く一手でした。
ですが2つの買収は、そろって想定どおりには進みませんでした。ADAS(先進運転支援システム)のレベル3の普及は、当初の見立てより大きく遅れています。高周波化の流れも鈍化し、Resonantが得意とする領域では中華圏企業の台頭で競争環境が厳しくなりました。狙った市場そのものが、思ったスピードで来なかったのです。
結末は、どちらも減損というかたちで数字に表れています。村田製作所はVTI由来のセンサー事業について、回収可能な価額が帳簿価額を下回ったと判断し、設備減損を計上しました。10年ほど前に描いた成長シナリオの前提が崩れたことを、数字の上で認めた形です。買収からおよそ3年後には、Resonant買収時に計上したのれんの全額にあたる438億円を減損しています。
自動運転とResonant、時期も技術分野も異なる2つの買収が、同じように「狙い→ずれ→減損」という道筋をたどっています。
倒れず走った——自転車ロボ「ムラタセイサク君」
2005年、村田製作所は自転車に乗ったロボット「ムラタセイサク君」を発表しました。ジャイロセンサーで左右の揺れを検知し、胸部の円盤を回転させてバランスを取りながら、倒れることなく自力で進み、止まることができます。
1990年に開発された自立走行ロボットをもとに、自社のジャイロセンサーなどの技術を詰め込んで作られました。その後には一輪車に乗る「ムラタセイコちゃん」やチアリーディングロボットも登場しています。電子部品そのものは目に見えにくいからこそ、技術力を分かりやすく伝える役目を、これらのロボットが担ってきました。
創業家から非創業家へ——中島規巨氏が社長に就いた
村田製作所は創業から70年以上にわたり、村田昭とその息子である村田泰隆、村田恒夫という創業家の3代が社長を務めてきました。2020年、この流れが変わります。創業家以外から初めて、中島規巨が代表取締役社長に就任しました。
創業家経営から、外部を含めた経営体制への切り替えは、村田製作所にとって大きな節目となっています。
