スマホや自動車の基板に、数えきれないほど載っている部品がある。作っているのは村田製作所だ。 京都の碍子屋から始まり、積層セラミックコンデンサ(MLCC)で世界シェア首位に立った。 表舞台に出ないこの部品メーカーが、いま新しい成長の柱を探している。

01

創業から現在へ — ストーリー

1944 — 1963
碍子屋の息子が、電気の知識なしに部品会社を興す
京都の碍子店に生まれた村田昭は、家業の碍子ではなく特殊磁器に可能性を見出しました。電気の知識を持たないまま、京都市中京区の染物工場の跡地を借りて村田製作所を創業しています。唯一の取引先だった三菱電機伊丹製作所向けに、軍用通信機用のチタン酸化物セラミックコンデンサを完成させて取引を開きました。1950年には株式会社化し、1963年には大阪証券取引所に上場しています。
1965 — 1980
海外へ、そして円建て戦略という逆張り
1965年、米国に戦後初の海外拠点を設けました。その後もシンガポールや欧州へ販売網を広げています。1979年には輸出取引の大半を円建てに統一する決断をしました。海外生産を増やして為替リスクを減らす同業他社とは逆に、高いシェアを背景に通貨の主導権を売り手側へ引き寄せる戦略です。1980年にはカナダのエリー社を買収し、北米・欧州の生産拠点を一気に獲得しました。
1991 — 2006
創業家2代目・3代目への継承と、モジュール事業への転換
1991年、創業者の村田昭は長男の村田泰隆に社長を譲りました。泰隆は、単品部品を組み合わせる「モジュール部品」への戦略転換を進めています。2006年には村田昭の三男にあたる村田恒夫が3代目社長に就任しました。
2009
リーマン・ショックで、創業以来の営業赤字に転落
世界金融危機で電子部品の需要が急減し、村田製作所は主力のMLCC事業を中心に営業損失を計上しました。3代目社長の村田恒夫が就任して間もない時期の出来事です。その後はスマートフォン向けMLCC需要の拡大で、業績を回復させています。
2012 — 2019
VTIとソニー電池事業を買収し、新事業を模索
2012年にフィンランドのVTI Technologiesを買収し、MEMSセンサー事業に参入しました。2017年にはソニーグループのリチウムイオン二次電池事業を譲り受けています。MLCCに続く新しい収益の柱を、買収を通じて外部から取り込む動きが続いた時期でした。2019年には創業家以外から初めて、中島規巨が社長に就任しています。
2022 — 2026
Resonant買収と、相次ぐ減損
2022年、高周波フィルタ技術を持つ米Resonant社を買収しました。ですが2025年にはVTI由来のセンサー事業で設備の減損を、電池事業では構造改革費用を計上しています。2026年にはResonant買収で計上したのれんの全額を減損しました。「第2の柱」づくりが、買収と減損を繰り返しながら続いています。
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
コンデンサ(MLCC)
積層セラミックコンデンサ(MLCC)を中心とした事業です。電気をためたり放出したりしてノイズを抑える、電子機器に欠かせない基礎部品で、村田製作所の祖業にあたります。世界トップシェアを握り、スマートフォンから自動車、AIサーバーまで幅広い機器に搭載されています。
柱 02
インダクタ・EMIフィルタ
コイル(インダクタ)や、電子機器から出るノイズを取り除くEMI除去フィルタの事業です。コンデンサと並ぶ受動部品として、電源回路の安定した動作を支えています。
柱 03
高周波・通信
スマートフォンなどの通信に使う表面波(SAW)フィルタや高周波モジュール、樹脂多層基板を手がける事業です。限られた基板スペースに、複数の部品を集約したモジュールとして供給しています。
柱 04
エナジー・パワー(リチウムイオン電池)
リチウムイオン二次電池の事業です。2017年にソニーグループから引き継いだ、村田製作所にとって比較的新しい事業領域にあたります。
柱 05
機能デバイス(センサ)
ショックセンサーやジャイロセンサーなど各種センサーの事業です。2012年に買収したフィンランドのVTI Technologiesの技術も、この分野に組み込まれています。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

主力のMLCCは、スマートフォンや自動車向けに加えて、AIサーバー向けの需要が新しく加わっています。どの市場向けの需要が伸びているかによって、この会社の業績の見え方が変わってくるかもしれません。

センサーや電池、高周波フィルタといった「第2の柱」づくりは、買収と減損を繰り返してきました。この挑戦がどう決着するかは、引き続き見ていきたいポイントです。

電気の知識がないまま始めた、特殊磁器の町工場

村田昭は京都の碍子店に生まれ、家業の碍子ではなく特殊磁器の可能性に賭けました。電気の知識をまったく持たないまま、1944年に京都市中京区の染物工場の跡地を借りて、村田製作所を興しています。

唯一の取引先となった三菱電機伊丹製作所から求められたのは、軍用通信機向けのチタン酸化物セラミックコンデンサでした。手探りの試行錯誤の末、3カ月でサンプルを完成させ、取引を開いたと伝えられています。「生まれつき、人と競争するのがいやだったから、一歩、人の先を行くようになった」と昭は後年語っており、価格競争を避けて品質と技術で顧客をつかむ方針は、この創業期から一貫していました。

同業と逆を行った、輸出の円建て戦略

1977年度、村田製作所は円高による差損10億円を計上し、売上高営業利益率が数か月で20.8%から6.7%へ急落する打撃を受けました。多くの同業他社は海外生産の比率を引き上げて為替リスクを減らす道を選びましたが、村田製作所は逆の道を選んでいます。

1979年、輸出取引の96%を円建てに統一する決断をしました。裏付けになったのは、セラミックフィルターで世界シェア85%という高い市場占有率です。代わりの仕入れ先を持たない顧客は円建てでの取引を受け入れざるを得ず、この戦略は通りました。効果は1990年代の円高局面で鮮明になり、1994年には証券会社が「1ドル40円でも増益」と試算するほどの為替耐性を築いたと報じられています。

「一つぐらい工場を売ってくれ」——エリー社買収の顛末

1980年、村田製作所はカナダの多国籍企業エリー・テクノロジカル・プロダクツを買収し、米国・カナダ・西ドイツ・メキシコの工場と、フランス・イタリアの販売網を一挙に手に入れました。

買収のきっかけについて、村田昭は「エリーが売りに出ているといううわさを聞き、翌年の夏、ブラッと行って一つぐらい工場を売ってくれと頼んだ」と振り返っています。この時は他の交渉相手がいたため実現しませんでしたが、その後エリーの経営陣がオーナーから会社を買い取ったことをきっかけに再交渉し、「それならいっそ全部買ってくれ」という話になって買収がまとまったと伝えられています。

リーマン・ショックで転落した、創業以来の営業赤字

2008年秋の世界金融危機は、村田製作所を直撃しました。主力のMLCC事業の受注が需要蒸発で急減し、前の期には100億円を超える営業利益を上げていたところから一転、大幅な営業損失に転落しています。3代目社長の村田恒夫が就任してまもない時期の出来事でした。

ですが落ち込みは長くは続きませんでした。スマートフォンの普及とともにMLCCの需要が急拡大し、村田製作所の売上高はその後の数年で急回復しています。危機の直後に落ち込んだ業績は、新しい市場の追い風を受けて立て直されました。

自動運転を見据えた買収、10年越しの誤算

2012年、村田製作所はフィンランドのMEMSセンサーメーカー、VTI Technologiesを約200億円で買収しました。自動運転のレベル3以降で需要が拡大すると見込んだ、先行投資型の買収です。

ですがADAS(先進運転支援システム)のレベル3の普及は、当初の想定より大きく遅れました。2025年、村田製作所はこのセンサー事業について、回収可能な価額が帳簿価額を下回ったと判断し、104億円の設備減損を計上しています。10年ほど前に描いた成長シナリオの前提が崩れたことを、数字の上で認めた形になりました。

ソニーから引き継いだ電池事業、終わらない構造改革

2017年、村田製作所はソニーグループのリチウムイオン二次電池事業を175億円で譲り受けました。原材料から一貫生産するセラミックス事業とは畑違いの領域への進出です。

ですが収益化は長期化しています。円筒形リチウムイオン二次電池の設備などで495億円の減損損失を計上した年度もあれば、通期で145億円の構造改革費用を計上した年度もありました。マイクロ一次電池事業をマクセルへ売却するなど、事業の絞り込みも進めています。

買収から3年、「Resonant」ののれんが消えた日

2022年、村田製作所は高周波フィルタ技術を持つ米Resonant社を買収しました。次世代通信規格のWi-Fi 7やFR3に対応できる技術を取り込む狙いでした。

ですが市場の高周波化の流れは鈍化し、中華圏企業の台頭で競争環境も厳しくなりました。2026年、村田製作所は買収時に計上したのれんの全額にあたる438億円を減損しています。買収からおよそ3年での、全額減損でした。

自転車に乗るロボット「ムラタセイサク君」の役目

2005年、村田製作所は自転車に乗ったロボット「ムラタセイサク君」を発表しました。ジャイロセンサーで左右の揺れを検知し、胸部の円盤を回転させてバランスを取りながら、倒れることなく自力で進み、止まることができます。

1990年に開発された自立走行ロボットをもとに、自社のジャイロセンサーなどの技術を詰め込んで作られました。その後には一輪車に乗る「ムラタセイコちゃん」やチアリーディングロボットも登場しています。電子部品そのものは目に見えにくいからこそ、技術力を分かりやすく伝える役目を、これらのロボットが担ってきました。

創業家から非創業家へ——中島規巨氏の社長就任

村田製作所は創業から70年以上にわたり、村田昭とその息子である村田泰隆、村田恒夫という創業家の3代が社長を務めてきました。2019年、この流れが変わります。創業家以外から初めて、中島規巨が代表取締役社長に就任しました。

創業家経営から、外部を含めた経営体制への切り替えは、村田製作所にとって大きな節目となっています。

主な参考資料(9件)