「キリン一番搾り」でおなじみのキリンホールディングス。 前身は、横浜で経営破綻した外国人醸造所だった。 スーパードライの衝撃、ブラジル・ミャンマー事業の失敗を経て、いまは酒類・飲料・医薬・ヘルスサイエンスの4本柱で稼ぐ企業に育っている。

01

創業から現在へ — ストーリー

1885 — 1907
破産した醸造所から、麒麟麦酒株式会社が生まれる
1870年、横浜にアメリカ人が開いたビール醸造所は、経営が立ち行かなくなっていました。1885年、スコットランド出身の商人トーマス・グラバーや日本人実業家の岩崎彌之助らがその跡地を引き継ぎ、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を設立します。1888年に売り出したドイツ風ラガーが「キリンビール」でした。1907年には三菱・明治屋・日本郵船の関係者が中心となって麒麟麦酒株式会社を創立し、経営は外国人商人の手から日本人の手に移りました。
1928 — 1954
キリンレモン発売と、ビール市場での首位確立
1928年、キリンは炭酸飲料「キリンレモン」を売り出し、ビール以外の飲料にも進出しました。戦後、財閥解体第二次大戦後、GHQの占領政策で三井・三菱・住友などの財閥系企業グループが解体された出来事。で大日本麦酒が朝日麦酒(現・アサヒビール)と日本麦酒(現・サッポロビール)に分割される中、麒麟麦酒はその対象になりませんでした。1949年に東京証券取引所へ上場し、1954年には国内ビール市場でトップシェアを握ります。以後、キリンのシェアは長く60%を超える水準で推移しました。
1987 — 1990
「アサヒスーパードライ」の衝撃と、一番搾りでの反撃
1987年、朝日麦酒(現・アサヒビール)が辛口の「アサヒスーパードライ」を発売すると爆発的に売れ、キリンの牙城を崩し始めました。60%を超えていたキリンのビールシェアは、1989年に48.5%まで下落します。危機感を強めたキリンは一番搾りの麦汁だけを使う新商品の開発に着手し、コスト増となる中でも当時の社長は「お客様に良いものを安く提供するのが当社の責務」との考えから通常価格での発売を決断し、1990年に「キリン一番搾り生ビール」として売り出しています。
2007 — 2008
持株会社化と、医薬品事業への参入
2007年、麒麟麦酒は事業ごとに子会社を分ける純粋持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。体制に移行し、社名を「キリンホールディングス株式会社」に改めました。同じころ、医薬品大手の協和発酵工業(現・協和キリン)の株式取得に動き、翌2008年に子会社化します。買収額は約1,700億円。酒類・飲料に頼ってきた収益構造に、医薬品という新しい柱が加わった出来事でした。
2011 — 2017
ブラジル進出の失敗と、ハイネケンへの売却
2011年、キリンはブラジルのビール大手スキンカリオール(のちのブラジルキリン)の株式を約3,000億円で取得し、海外展開を一気に加速させました。しかし現地経済の失速と通貨レアルの急落、本社の統制が届きにくい分権的な体制のもとで業績は悪化します。2015年には1,412億円の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。損失を計上し、1949年の上場以来初めての最終赤字に転落しました。キリンは2017年、ブラジル事業をハイネケングループへ売却しています。
2015 — 2023
ミャンマー進出と、クーデター後の撤退
2015年、キリンは国軍系企業ミャンマー・エコノミック・ホールディングス(MEHL)と組み、ミャンマー・ブルワリーに51%出資して現地市場に参入しました。2021年の軍事クーデター後、国連がMEHLを国軍の資金源と指摘したことを受け、キリンはMEHLに合弁解消を要請しましたが、軍と無関係の第三者の買い手が見つからず、合弁会社ミャンマー・ブルワリー(MBL)自体に保有株式のすべてを売却し、2023年にミャンマーから撤退しています。
2020 — 2024
「本麒麟」でのシェア奪還と、ファンケル子会社化
2020年、低価格の第3のビール「本麒麟」の急伸に支えられ、キリンは上半期のビール類販売でアサヒを抜き、11年ぶりに首位に返り咲きました。2024年12月期には売上収益2兆3,384億円・事業利益2,110億円といずれも過去最高を記録しています。同じ年、化粧品・健康食品のファンケルを完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。し、発酵技術を軸にしたヘルスサイエンス事業の拡大を進めています。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.2倍

2.5兆円
1.2兆円
2016 · · · · · · · · 2025
売上 純利益(手元に残った利益)
売上
10年前
20,751億円
現在
24,334億円
約1.2倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
1,182億円
現在
1,475億円
売上100円につき約6円
従業員
10年前
39,855
現在
31,144
約22%減少
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
酒類事業
ビール・発泡酒・第三のビールに加え、缶チューハイやメルシャンのワインなどを手がけるキリンの祖業にあたる事業です。国内酒類市場でのシェア争いが業績を左右します。
柱 02
飲料事業
キリンビバレッジが手がける清涼飲料事業です。緑茶や紅茶、コーヒーなど家庭で親しまれる飲料ブランドを展開し、酒類とともにグループの収益基盤を支えています。
柱 03
医薬事業
東証プライム東京証券取引所の上場区分の一つ。2022年の市場再編で、上場企業はプライム・スタンダード・グロースの3区分に分けられた(それ以前は市場第一部・第二部やマザーズと呼ばれていた)。に上場する協和キリンを通じ、バイオ医薬品の研究開発・製造・販売を手がけています。希少疾患領域の医薬品などが、酒類に次ぐ利益水準を稼ぐ事業に育っています。
柱 04
ヘルスサイエンス事業
サプリメント・化粧品のファンケルや、オーストラリアのブラックモアズなどを傘下に持つ事業です。ビール醸造で培った発酵・バイオテクノロジーの技術を、健康食品や化粧品へ応用しています。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

キリンは海外M&A企業の合併・買収の総称。他社の株式や事業を取得して一体化すること。の巧拙が業績変動の大きな要因になってきました。ブラジルやミャンマーのように、海外進出は政治・経済情勢の影響を受けやすく、海外事業のニュースは成長期待だけでなく撤退リスクとセットで見る視点が参考になりそうです。

酒類・飲料・医薬・ヘルスサイエンスと事業の柱が広がり、一つの事業の不振を他の事業が補う構造になっています。特定の事業のニュースだけで会社全体の業績を判断しない視点が大切です。

「ジャパン・ブルワリー」誕生——破産した醸造所を、外国人商人たちが引き継ぐ

1870年、横浜にアメリカ人が開いたビール醸造所は、経営が立ち行かなくなっていました。スコットランド出身の商人トーマス・グラバーは、日本人実業家の岩崎彌之助らとともにこの跡地を買い取り、1885年に「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を設立します。1888年、ドイツ人技師の技術と輸入原料でつくったラガービールを、「キリンビール」として売り出しました。1907年には三菱・明治屋・日本郵船の関係者が中心となって麒麟麦酒株式会社を創立し、経営は外国人商人の手から日本人の手に移りました

シェア60%からの転落——「アサヒスーパードライ」に出遅れた2年

1980年代半ば、キリンは国内ビール市場で60%を超えるシェアを握り、ライバル不在の首位でした。ところが1987年、朝日麦酒(現・アサヒビール)が辛口の「アサヒスーパードライ」を売り出すと、爆発的に売れて若い世代の支持を集めます。キリンはこの流行を当初一時的なものと判断し、伝統の味を大きく変える決断に踏み込めませんでした。翌々年にはシェアが48.5%まで下落し、長年の首位に陰りが見え始めます。

「一番搾り」——値上げをしない、という社長の決断

シェア低下に危機感を強めたキリンは、会社の命運をかけた大型定番商品の開発に着手しました。開発チームがたどり着いたのは、ビール製造の最初に自然に流れ出る麦汁だけを使う、コストのかかる製法です。一番搾り麦汁だけを使えばコストは上がりますが、当時の社長は「お客様に良いものを安く提供するのが当社の責務」との考えから、値段を据え置いたまま発売する決断を下しました。1990年に売り出された「キリン一番搾り生ビール」は大きな話題を呼び、ヒット商品になっています。

「キリンホールディングス」誕生——医薬品という第二の柱

2007年、麒麟麦酒は組織のかたちを大きく変えます。事業ごとに子会社を分ける純粋持株会社体制へ移行し、社名も「キリンホールディングス株式会社」に改めました。同じころ、医薬品大手の協和発酵工業(現・協和キリン)の株式取得に動き、翌2008年に子会社化します。酒類・飲料に頼ってきた収益構造に、医薬品という新しい柱が加わった出来事でした。

3,000億円の買収——ブラジル事業でつまずいた4年

2011年、キリンはブラジルのビール大手スキンカリオールの株式を約3,000億円で取得し、海外展開を一気に加速させました。ですが現地経済は買収時の想定通りには伸びず、通貨レアルの急落で原料コストが膨らみます。事業は本社の統制が届きにくい分権的な体制で運営されており、立て直しが遅れました。2015年には1,412億円の減損損失を計上し、キリンは1949年の上場以来初めての最終赤字に転落しています。翌々年、ブラジル事業はハイネケングループに売却されました。

クーデターが変えた合弁——ミャンマーからの撤退

2015年、キリンは国軍系企業ミャンマー・エコノミック・ホールディングス(MEHL)と組み、ミャンマー・ブルワリーに51%出資して現地市場に参入しました。2021年、ミャンマーで軍事クーデターが起き、事業を取り巻く環境は一変します。国連がMEHLを国軍の資金源と指摘したことを受け、キリンはMEHLに合弁解消を要請しましたが、国軍と関係のない第三者の買い手も見つかりませんでした。最終的にキリンは合弁会社ミャンマー・ブルワリー(MBL)自体に保有株式のすべてを売却し、2023年にミャンマー事業から撤退しています。

「本麒麟」の急伸——11年ぶりに奪い返した首位

長くアサヒの後じんを拝していたキリンのビール類事業に、転機が訪れます。2020年、低価格の第3のビール「本麒麟」が、外出を控える生活の広がりを追い風に前年から約4割販売数量を伸ばしました。この勢いに支えられ、キリンは上半期のビール類販売数量でアサヒを抜き、11年ぶりに首位を奪い返します。低価格帯の商品が、長年のシェア争いの流れを変えた出来事でした。

ファンケル買収——発酵技術をコスメへ向けた次の一手

酒類・飲料・医薬に続く新たな柱として、キリンはヘルスサイエンス事業の拡大を進めています。2024年、化粧品・健康食品を手がけるファンケルをTOB買収したい会社の株式を、価格・期間・株数をあらかじめ公表して市場外で買い集める手法。で完全子会社化しました。オーストラリアのサプリメントメーカー、ブラックモアズもすでに傘下に収めています。ビール醸造で培った発酵・バイオテクノロジーの技術を化粧品や健康食品に応用する取り組みが、キリンの次の成長領域になっています。