バブル崩壊で1兆3,000億円の借金を背負い、株価は「倒産株価」と呼ばれる20円前後まで沈んだ。それでも70万戸を積み上げ、分譲ストックの約1割を占める。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.6倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
「長谷川工務店」——尼崎の工務店から始まる
1937年、23歳の長谷川武彦は兵庫県尼崎市で「長谷川工務店」を個人創業しました。自転車に乗って自ら注文を取りに回る毎日だったと伝えられています。
1946年には兵庫県姫路市で株式会社長谷川工務店を設立し、学校建築や社宅建築を手がけるようになります。戦後の好景気に乗って急成長し、大阪と東京で株式を上場、建設業とビル経営の二本立てで事業を広げました。マンション建設で国内最大手になるこの会社の出発点は、尼崎の小さな工務店でした。
「特命受注」——長谷工が土地からまるごと手がけた
東京オリンピック後の不況で長谷川工務店が苦境に陥ると、長谷川武彦は1968年、兵庫県芦屋市に自社マンション第1号を建て、マンション建設へと大きく舵を切ります。建設から販売までを自ら手がけるノウハウを、この転身で蓄えました。
このころ生まれたのが、土地を自ら見つけて持ち込み、建築計画ごと提案して受注する「土地持込みによる特命受注方式」です。競争入札を経ずに仕事を取るこの方法が、長谷工の営業の背骨になりました。1978年には長谷工管理(現・長谷工コミュニティ)を設立し、建てたあとの暮らしを支えるストック事業の土台も築きました。
「70万戸」——マンションの1割はこの会社が建てた
長谷工が積み上げてきたマンションの数は、2011年に50万戸を超えたあと、数年おきに増え続け、2023年には70万戸に届きました。一つの会社がここまで積み上げた例は他にありません。
「施工戸数日本一」を掲げてから半世紀、その差はさらに開いています。
1兆3,000億円の借金——株価は20円前後まで沈んだ
1980年代に入ると、長谷工はマンション以外へ手を広げます。ビル事業、不動産事業、資産運用事業、海外事業。数年後には京都ブライトンホテルを開業し、初めてホテル事業に足を踏み入れました。
ところがバブル崩壊が、この多角化路線を直撃します。有利子負債は1兆3,000億円まで膨らみ、2001年ごろには株価が「倒産株価」といわれる20円前後まで沈みました。多角化の象徴だったホテル事業も、のちにブライトンコーポレーションの全株式をオリエンタルランドへ譲渡する形で手放されています。
優先株400億円——予定どおりに終わらなかった再建
再建は、当初の想定どおりには進みませんでした。優先株をゼロに戻す歩みは途中で足踏みし、2012年3月期を過ぎてもなお400億円の優先株が残っていました。全額の償還にこぎ着けたのは、再建開始から数えて15年目のことです。
マンション一本に絞り込み——もうけ1,005億円に伸びた
マンション一本に絞った再建は、やがて数字になって表れます。2018年3月期、代表取締役社長の辻範明の下で、長谷工の連結経常利益は1,005億円に達し、過去最高を更新しました。同じ期の建設関連事業の営業利益も913億円まで伸びています。
土地を自ら持ち込み、建築計画ごと受注する——1960年代末に生まれた営業のかたちは、専業へ回帰したときにいちばん力を出したことになります。
マンション修繕の談合——公正取引委員会が動いた
2025年、公正取引委員会はマンションの大規模修繕工事をめぐる談合の疑いで、長谷工コーポレーション傘下の長谷工リフォームを含む修繕工事会社に立ち入り検査を実施しました。
その後2026年、公正取引委員会は長谷工リフォームを含む約40社について独占禁止法企業同士の不当な競争制限やカルテル、行き過ぎた企業結合を規制する法律。違反があったと認定し、総額16億円の課徴金納付を命じる方針を固めたと報じられました。
対象となったのは、関東地方のマンション管理組合から委託された大規模修繕工事の見積もり合わせで、各社が事前に受注業者を決めていたとされる案件です。
競合が去った市場——長谷工だけが残った
長谷工グループの連結売上高は、2022年度(2023年3月期)に1兆273億円となりました。首都圏で新しく供給される分譲マンションのうち、長谷工が施工したものは3割を超えます。
グループはマンションを建てるだけでなく、販売・管理・大規模修繕、有料老人ホームの運営、アメリカやベトナムでの住宅事業まで手を広げています。尼崎の小さな工務店から始まった会社は、マンションという建物のまわりに、暮らしまるごとを扱う事業を並べるところまで来ました。
