マンション建設で国内最大手の長谷工コーポレーションは、尼崎の小さな工務店から始まった。 バブル崩壊で1兆3,000億円の借金を抱え、株価13円まで沈んだが、今は建てたマンションが国内ストックの約1割を占めている。

01

創業から現在へ — ストーリー

1937 — 1946
尼崎の木造建築請負から、長谷川武彦が創業
1937年、23歳の長谷川武彦は、兵庫県尼崎市で長谷川工務店を個人創業しました。手がけたのは木造の学校や社宅の建築です。1946年には株式会社へ改組し、法人としての一歩を踏み出しました。戦後の好景気に乗り、事業は大阪・東京へと広がっていきます。
1950 — 1968
東京オリンピック後の不況が、マンション事業への転身を促す
1950年、伊藤忠商事から鉄筋コンクリート造の集合住宅「芦屋打出荘アパート」を受注しました。木造中心だった地方の工務店が全国市場へ出ていく技術基盤を得た案件だったとされています。1964年の東京オリンピック後の不況で経営が悪化したことが、マンション事業への転換を後押ししました。1968年、三井信託銀行と提携し、兵庫県芦屋市で自社マンションの第1号を着工します。
1969 — 1981
「特命受注」の発明で、首都圏マンション施工の首位に
1969年、日商岩井との業務提携をきっかけに、自ら仕入れた土地情報をデベロッパーへ持ち込み、建築計画ごと提案する「特命受注」という営業モデルを確立しました。競争入札に頼らないこの仕組みは、当時の建設業界に前例のないものでした。1973年にはマンション施工戸数で日本一(3万5千戸)を達成し、1981年には首都圏の施工シェアが約20%に達して業界首位になっています。
1985 — 1999
バブル崩壊で1兆3,000億円の借金、株価13円に
1985年以降、長谷川工務店は「脱マンション」を掲げてホテル・リゾート事業などに約1,000億円を投資し、1988年には社名を長谷工コーポレーションへ改めました。ですが、バブル崩壊は容赦なく襲いかかります。不動産の含み損は1,600億円に膨らみ、有利子負債は自己資本の4倍を超える1兆3,000億円まで積み上がりました1999年、株価は「倒産株価」と呼ばれる13円まで沈みます
1996 — 2002
「一律48%」——34の金融機関に頭を下げた再建
1996年3月期、合田耕平社長は不動産含み損を含む1,850億円の特別損失を一括で計上する決断をしました。毎年少しずつ赤字を出し続けるより、一度に処理して翌年から黒字化する方がよいという判断でした。1998年には34の金融機関に融資の48%カットを要請し、債務免除総額は3,942億円に達しています。1999年、合田社長は引責辞任し、嵩聰久氏が後を継ぎました。2002年には1,428億円の優先株を発行して債務を株式化し、マイナスだった自己資本比率総資産のうち、返済不要の自己資本が占める割合を示す指標。がプラスへ転じています。
2003 — 2018
マンション専業に絞り込み、業界初の経常利益1,000億円へ
再建後、長谷工はマンション専業への回帰を進め、2003年3月期には特命受注の比率が85%に達しました。2014年、1975年入社の辻範明氏が社長に就任しました。2018年3月期、連結経常利益は初めて1,000億円(1,005億円)を突破しました。マンション専業のゼネコンが経常利益1,000億円を超えたのは業界初のことでした。
2020 — 2025
競合撤退で発注が集中、いまも残る課題
首都圏の施工シェアは2008年の20.7%から2017年には34.5%まで拡大し、業界1位の座を固めていました。近年は労務費や資材費の上昇、いわゆる「2024年問題」による時間外労働の規制強化を背景に、競合他社がマンション事業から相次いで撤退し、長谷工への発注はさらに集中しています。2023年3月期には連結売上高が初めて1兆円を超えました。一方で2025年、公正取引委員会は長谷工リフォームを含む20社超に、マンション修繕工事の談合容疑で立ち入り検査に入っています。同年には熊野聡氏が新たに社長に就任しました。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.6倍

1.5兆円
7,500億円
2017 · · · · · · · · 2026
売上 純利益(手元に残った利益)
売上
10年前
7,723億円
現在
12,731億円
約1.6倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
588億円
現在
548億円
売上100円につき約4円
従業員
10年前
6,602
現在
8,875
約1.3倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
マンション建設請負(建設事業)
自ら集めた土地情報をもとに建築計画を提案し、設計から施工まで一貫して請け負う「特命受注」が中心です。競争入札に頼らず、国内分譲マンション施工の中心を担っています。
柱 02
マンションの企画・開発(不動産事業)
グループ会社を通じてマンションの企画・開発や私募REITの運用も手がけています。建てるだけでなく、土地の仕入れから販売までを担うことで収益機会を広げています。
柱 03
管理・リフォーム・シニア向け生活支援(サービス事業)
マンション管理子会社やリフォーム子会社、シニア向け住宅事業などを通じ、建てたあとの暮らしを長く支える事業です。
柱 04
アジアでの住まいづくり(海外事業)
ベトナムなどアジアで、断熱・防音などの日本品質を生かした住宅事業を展開しています。国内市場の変化を見据えた新しい柱として育てている段階です。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
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——
配当利回り
——
年間予想
PER
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株価収益率
PBR
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株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

2024年問題や資材費の高騰を背景に、マンション建設から撤退する競合が増え、この会社に工事が集中しやすい構造になっています。業界内の受注シェアがどう動くかを見る視点が参考になりそうです。

かつて経営危機で大規模な債務免除を受けた過去を持つ会社です。海外事業など新しい分野に広げるときは、それが祖業のマンション建設とどう結びついているかを見る視点も参考になりそうです。

「長谷川工務店」——尼崎の木造建築請負から始まる

1937年、23歳だった長谷川武彦は、兵庫県尼崎市で長谷川工務店を個人創業しました。手がけたのは木造の学校や社宅の建築です。大阪工業大学の前身にあたる関西高等工学校で建築を学んだ武彦は、「商売一途に徹した関西商人」だったと伝えられています。

1946年、工務店は株式会社に改組されました。戦後の好景気に乗って事業は拡大し、大阪と東京での株式上場も果たします。マンション建設で国内最大手になるこの会社の出発点は、尼崎の小さな木造建築屋でした。

東京オリンピック後の不況が、マンション屋への転身を促した

1950年、長谷川工務店は伊藤忠商事から鉄筋コンクリート造の集合住宅「芦屋打出荘アパート」を受注しました。木造中心だった地方の工務店が、全国市場へ出ていく技術基盤を得た案件だったといわれています。

転機は1964年の東京オリンピック後にやってきます。建設需要の反動で経営が悪化したことが、マンション建設事業への転換を後押ししました。1968年、三井信託銀行と販売提携し、兵庫県芦屋市で自社マンションの第1号を着工します。工務店から、マンション屋への一歩でした。

「特命受注」——土地を仕入れて、建てて、売る発明

1969年、日商岩井との業務提携をきっかけに、長谷川工務店は自ら集めた土地情報をデベロッパーへ持ち込み、建築計画ごと提案する営業モデルを編み出しました。これが「特命受注」です。競争入札を経ずに受注を決めるこの仕組みは、当時の建設業界には前例のないものでした。

土地を自ら仕入れてから買い手を探すため、在庫リスクを引き受ける営業でもありました。それでも1973年、長谷川工務店はマンション施工戸数で日本一(3万5千戸)を達成し、1981年には首都圏の施工シェアが約20%に達して業界首位に立っています。

「70万戸」——マンションの1割はこの会社が建てた

長谷工の累計マンション施工戸数は、2011年に50万戸、2017年に60万戸、2023年には70万戸を突破しました。これは国内にある分譲マンションストックの、およそ1割にあたる規模です。

1973年の「施工戸数日本一」達成から半世紀。一つの会社が建てたマンションの数として、他に類を見ない規模に積み上がっています。

1兆3,000億円の借金と、13円になった株価

1985年以降、長谷川工務店は「脱マンション」を掲げ、ホテル・リゾート事業などに約1,000億円を投資しました。1988年には社名を長谷工コーポレーションへ改めています。

ですが、バブル崩壊は容赦なく襲いかかりました。不動産の含み損は1,600億円に膨らみ、有利子負債は自己資本の4倍を超える1兆3,000億円まで積み上がります。1999年、株価は「倒産株価」と呼ばれる13円まで沈みました

「一律48%」——34の金融機関に頭を下げた再建

1996年3月期、合田耕平社長は不動産含み損を含む1,850億円の特別損失を一括で計上する決断をしました。毎年少しずつ赤字を出し続けるより、一度に処理して翌年から黒字化する方がよいという判断だったといいます。

1998年、長谷工は34の金融機関に融資の48%カットを要請しました。債務免除総額は3,942億円に達しています。1999年、合田社長は引責辞任し、建設省出身の嵩聰久氏が後を継ぎました。2002年には1,428億円の優先株を発行して債務を株式化し、マイナスだった自己資本比率がプラスへ転じています。

マンション専業に絞り込み、業界初の経常利益1,000億円へ

再建の過程で、長谷工はホテル・リゾートなど多角化した事業から手を引き、マンション専業への回帰を進めました。2003年3月期には、特命受注の比率が85%に達しています。

2014年、1975年入社の辻範明氏が社長に就任しました。2018年3月期、連結経常利益は初めて1,000億円(1,005億円)を突破します。マンション専業のゼネコンが経常利益1,000億円を超えたのは、業界で初めてのことでした。

マンション修繕の談合——公正取引委員会が動いた

2025年、公正取引委員会はマンションの大規模修繕工事をめぐる談合の疑いで、グループ会社の長谷工リフォームを含む20社超に立ち入り検査を実施しました。対象は関東地方の100件を超える大規模修繕工事です。

各社は遅くとも2021年秋以降、管理組合から委託された工事の見積もり合わせで、事前に受注業者を決めていたとされています。長谷工リフォームを含む約40社について、公正取引委員会は独占禁止法企業同士の不当な競争制限やカルテル、行き過ぎた企業結合を規制する法律。違反を認定し、総額16億円の課徴金の納付を命じる方針を固めたと報じられました。マンション修繕業界では長年の慣行だったとの指摘もあり、業界全体の構造が問われています。

競合が去った市場で、長谷工だけが残った

首都圏の施工シェアは2008年の20.7%から2017年には34.5%まで拡大し、業界1位の座を固めていました。近年はさらに、労務費や資材費の上昇、そして時間外労働の規制強化、いわゆる「2024年問題」を背景に、マンション建設から撤退する競合が相次いでおり、長谷工への発注はいっそう集中しています。

2023年3月期には、連結売上高が初めて1兆円を超えました。ベトナムなどアジアでの住宅事業にも力を入れており、尼崎の木造建築請負から始まったこの会社は、いま国内外でマンションづくりの中心にいます。