パソコンや企業システムで知られる富士通は、電話交換機をつくる会社として生まれた。 国産初期のコンピュータ「FACOM」を生み、イギリスでは自社システムが冤罪事件を招いた過去もある。 バブル崩壊後の大リストラを経て、いまはITサービス大手として世界で戦っている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約15%減少
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
サービス事業は受注から売上計上までに時間差があり、DX投資は景気変動の影響を受けやすい面があります。Uvanceの成長ペースは、今後の収益力を占う先行指標として読む視点が参考になりそうです。
イギリスでの冤罪事件をめぐる賠償の総額はまだ確定していません。今後の決算で一時的な費用が計上される可能性がある点は、業績を読むうえでの留意点として参考になりそうです。
富士電機の電話部門から生まれた会社
1935年、富士電機製造から電話部門が分離され、「富士通信機製造株式会社」として設立されました。資本金300万円、従業員700名の小さなスタートです。1938年に新工場に移転して独立し、1940年には国産初の自動交換機「T形交換機」を逓信省に納入しています。電話交換機をつくっていたこの会社が、のちに「富士通」としてコンピュータの会社になるとは、当時は誰も想像していなかったかもしれません。
電話交換機の技術が生んだ「FACOM100」
1954年、当時の富士通信機製造(のちの富士通)は日本初の実用リレー式自動計算機「FACOM100」を完成させました。開発を率いた技術者・池田敏雄は、当時まだ不安定だった真空管の代わりに、電話交換機で使われていたリレー(継電器)を使う道を選びました。電話機メーカーとしての技術の蓄積が、そのままコンピュータ開発の土台になった瞬間です。
「M-190」発表の1週間前に、開発者は倒れた
1969年、池田敏雄はジーン・アムダールと会談し、独自路線からIBM互換機路線への転換を決めます。1970年に役員となった池田は、通産省の指導のもとで日立と提携しながらIBM互換機「Mシリーズ」の開発を進めました。1974年、カナダの提携先企業の社長を出迎えるため訪れた羽田空港でくも膜下出血のため倒れ、51歳で死去します。IBM互換機「FACOM M-190」が発表されたのは、その1週間後でした。池田は、自らが選んだ路線の完成を見ることなく世を去っています。
SEの手厚いサポートで、国内シェア逆転
1980年前後、富士通はシステムエンジニア(SE)による手厚いサポート営業を武器に、国内売上で日本IBMを上回ったとされています。価格ではなく、顧客に寄り添う人的サービスで信頼を勝ち取る戦略でした。この頃、富士通は国産コンピュータメーカーとしての存在感を確立していきます。
IBMとの著作権紛争、仲裁による和解
IBM互換機ビジネスが軌道に乗る一方、富士通はIBMとの知的財産権をめぐる紛争にも巻き込まれました。1982年、IBMは富士通のOSがIBMのOSを模倣し著作権を侵害していると警告し、両社は翌年、秘密協定でいったん和解します。ですが解釈をめぐって対立が再燃し、米国仲裁協会の仲裁を経て1988年、和解金の支払いで決着しました。この一件は、日本政府による国産OS育成策を後押しする一因にもなったとされています。
「Everything on the Internet」から一転、2万人超のリストラへ
2000年、富士通の株価は史上最高値の5,030円をつけました。「Everything on the Internet」を掲げ、インターネットサービス事業を積極展開していた時期です。ですが同年後半にネットバブルが崩壊し、世界的なIT不況が直撃します。2001年度には約3,800億円規模の連結最終赤字を計上しました。その後2年間で、従業員の13%にあたる2万3,500人を削減する事態に追い込まれています。この後、富士通はハードウェア事業を段階的に整理し、サービス事業を軸にした立て直しを進めていきます。
成果主義人事の迷走30年
バブル崩壊後の1993年、富士通は日本企業として早い時期に成果主義の人事制度を導入しました。ですが評価基準は1998年に相対評価から絶対評価へ、2001年には成果の大きさそのものを見る方式へと繰り返し変更されます。現場では「制度が信用できない」という不満が広がり、メディアは「富士通の成果主義は失敗した」と報じました。転機は2019年、SE出身で初めて社長となった時田隆仁の就任です。2020年、富士通はジョブ型人事制度とポスティング(社内公募)を徹底し、年功的だった昇進のあり方を見直しました。
「Horizon」が壊した、900人以上の人生
富士通の英子会社(旧ICL)が開発した会計システム「Horizon」は、1999年から英国の郵便局に導入されました。システムには複数のバグがあり、支店の現金や在庫の帳簿がしばしば実際と食い違いました。ところが郵便局側はシステムを堅牢だとして不具合の訴えを退け、1999年から2015年の間に900人以上の郵便局長が不正会計などの罪で誤って訴追されました。実刑判決を受け収監された人は236人にのぼり、少なくとも13件の自殺がこの事件に関連づけられていると報じられています。英国の刑事事件再審委員会(CCRC)はこれまでに77件の有罪判決を上訴裁判所に付託し、69件が取り消されました。2024年、富士通幹部は英議会で「道義的責任」を認めて謝罪し、補償への資金拠出に応じる意向を示しています。ですが、賠償の総額や範囲はこの記事の時点でもまだ確定していません。
パーパス経営とFujitsu Uvance、次の成長エンジンへ
富士通は「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていく」というパーパス(存在意義)を掲げています。2021年、これを事業として体現する新ブランド「Fujitsu Uvance」を立ち上げました。名称は「Universal(あらゆる)」と「Advance(前進)」を組み合わせた造語です。2024年度、Uvanceの売上収益は7,093億円まで拡大しました。サービスソリューション事業に占める比率も3割に近づき、富士通の成長を引っ張る事業になっています。
