日本最大の広告会社、電通を中核とするグループ。 新聞広告の販売事業から出発し、幾度の合併と買収を重ね、世界に広がる広告グループへと姿を変えた。 1964年東京オリンピックを支えた栄光と、過労死や談合事件という代償を、ともに刻んでいる。 いまも日本の広告と社会を動かしている。
創業から現在へ — ストーリー
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
電通グループは、海外企業の買収で積み上がった「のれん」を多く抱えています。買収先の業績が想定を下回ると、その価値を見直す減損損失が業績を大きく動かす要因になりやすい点は、値動きを見るうえで参考になりそうです。
広告・マーケティング業界の業績は、景気や企業の広告予算の増減に左右されやすい面があります。国内外の経済ニュースと業績を重ねて見る視点が役立ちそうです。
「日本広告」と「電報通信社」——光永星郎が興した二つの会社
1901年、光永星郎は東京・京橋に新聞広告を扱う「日本広告(株)」を興しました。同じ年の暮れには、同じ社屋の中でニュース配信を担う「電報通信社」も設立しています。
1906年に組織を改めて「(株)日本電報通信社」となり、翌1907年、この会社が日本広告を合併しました。広告と通信、二つの事業を一つの会社で担う——それが電通の出発点でした。
「鬼十則」——吉田秀雄が遺した十カ条と、65年後の廃止
1947年、吉田秀雄が第4代社長に就任しました。吉田は日本の広告を近代的なビジネスに変えると決意し、1951年、自らの仕事への心構えを「鬼十則」としてまとめて社員に示しています。その一項には「大きな仕事と取り組め、小さな仕事は己を小さくする」とありました。
長く電通社員の手帳に刷り込まれてきたこの十カ条ですが、2016年、新入社員の過労自殺をめぐる批判の高まりを受け、電通は手帳への掲載を取りやめると発表しました。仕事への「志の高さ」を説いた遺訓は、こうして表舞台から退いています。
「世界最大の広告代理店」——1974年、米誌が報じた電通
1964年の東京オリンピックでは全社を挙げて大会を支え、1970年の大阪万博でも代理店業務を担いました。1974年には、前年の売上高をもとに米誌TIMEとAdvertising Ageが電通を「世界最大の広告代理店」と報じています。
1988年、電通の純売上高は1兆円を突破しました。広告代理店として世界で初めての大台でした。日本国内の広告市場を土台に、電通は世界でも指折りの規模の会社へと育っていきました。
「創業100年、初めての上場」——非上場を貫いた広告会社
電通は長く非上場の会社でした。1990年代末、オムニコムやWPPといった海外の巨大広告グループが日本市場への参入を強め、電通は1998年、東京証券取引所第一部への上場を決断します。
創業100周年にあたる2001年、電通はついに上場を果たしました。当時の社長は「21世紀の世界が直面するであろう問題の解決と夢の実現とに貢献していく所存」と述べています。100年間守ってきた非上場の看板を、節目の年に自ら下ろした形でした。
「約4,000億円」——イージス買収と、疑問視された巨大買収
2012年、電通は英国の広告大手イージス・グループを約3,955億円で買収すると発表しました。電通にとって過去最大のM&Aです。株価に約45%のプレミアムを乗せた買収額の高さを疑問視する声が投資家から上がり、発表翌日の電通株は一時7%以上下落しています。
2013年に買収が完了し、電通は海外本社「電通イージス・ネットワーク」をロンドンに置き、124カ国、4万3,000人超の企業グループとなりました。この「高すぎる」買収の代償は、10年以上後になって形を変えて現れることになります(後述)。
「約105時間」——高橋まつりさんの過労死
2015年、入社1年目の高橋まつりさんが電通の社宅で命を絶ちました。三田労働基準監督署は2016年、発症前1か月の時間外労働が約105時間(2か月前の約40時間から倍増)に達していたと認定し、労災と結論づけています。高橋さんはSNSに「本気で死んでしまいたい」と書き残していました。
電通は同年、労働環境改革本部を設け、2017年には長時間労働の撲滅などを掲げる「労働環境改革基本計画」を発表しています。同じ年、電通は労働基準法違反罪で罰金50万円の判決を受けました。この事件は社会全体の働き方を見直す一つのきっかけにもなり、2018年の働き方改革関連法の成立につながっています。
「約437億円」——東京オリンピック談合事件
2018年、東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会が発注したテスト大会関連業務などをめぐり、電通の担当者が組織委の元次長と共謀し、受注予定企業を事前に決めていたとされます。対象となった業務の受注総額は約437億円にのぼりました。
2025年、東京地裁は独占禁止法違反(不当な取引制限)の罪で電通グループに罰金3億円の判決を言い渡し、元局長補には懲役2年・執行猶予4年の判決が出ています。電通側は控訴しましたが、同年末、最高裁が上告を棄却し、判決が確定しました。談合の罪に問われた6社のうち、電通が最初に有罪が確定した企業になっています。
「7兆6,730億円」——電通が映す日本の広告市場
電通は1996年から、日本全体の広告費を推計する調査「日本の広告費」を毎年発表しています。2024年の推計では、総広告費は7兆6,730億円(前年比4.9%増)と3年連続で過去最高を更新しました。
中でもインターネット広告費は3兆6,517億円に達し、初めて総広告費の半分近く(47.6%)を占めています。一つの広告会社が発表する数字が、日本の広告市場全体の体温計として使われている——電通の存在の大きさを示す一面です。
「約4,000億円」の代償——相次ぐのれん減損と3期連続の赤字
2012年の買収時に「高すぎる」と疑問視された巨額の「のれん」は、その後の海外事業の不振により、2024年12月期に2,101億円、2025年12月期には新規減損損失3,101億円と、相次いで減損損失を計上する事態になりました。電通グループの最終損益は2023年12月期から3期連続で赤字となり、2025年12月期の純損失は3,276億円と過去最大に達しています。上場以来初めて配当を見送る無配その決算期に株主への配当金を支払わないこと。にも転落しました。
この結果を受け、2026年、電通社長だった佐野傑氏が電通グループの新社長に就任し、経営体制を刷新しています。海外事業の再編とコスト削減を進め、翌期の黒字転換を目指す段階に入りました。約10年前の「高すぎる買収」への疑問が現実になった形ですが、電通はいまもその立て直しの途上にあります。
