エアコンでおなじみのダイキン工業は、大阪の小さな金属加工会社から始まった。 かつては大砲の弾も手がけていたこの会社は、フロン(冷媒)開発を機に空調へ転じた。 いまや空調事業の売上高は世界一。フッ素化学を二本目の柱に据える異色の専業メーカーだ。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約2.5倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
海外売上比率は8割を超えており、為替(特に円とドル)の変動が業績に影響しやすい構造です。北米では2012年のグッドマン社買収以降、ダクト式天井裏などに通した配管(ダクト)で、複数の部屋へまとめて冷暖房を送る空調方式。米国の住宅で主流。空調という現地仕様への対応を進めてきました。北米事業の動向は、この会社がどこまでグローバル企業へ変われたかを測る目安になりそうです。
空調とフッ素化学(冷媒)を一緒に手がける企業は世界でも珍しく、冷媒の環境規制が変わるたびに技術対応力が問われます。次世代冷媒への切り替えのニュースに接したときは、規制対応の速さという視点で見ると理解しやすいかもしれません。
元砲兵工廠の技師が興した、大阪の町工場
ダイキン工業の始まりは、1924年に大阪で創業した合資会社大阪金属工業所です。創業者の山田晁は大阪砲兵工廠で工場長を務めていた技術者で、退官してこの会社を興したと伝えられています。当初の事業は飛行機用ラジエーターチューブの製造で、従業員は15人に満たない小さな町工場だったとされています。
山田の砲兵工廠時代の人脈から、やがて陸軍・海軍向けの受注が増えていきました。金属加工の技術者が興した会社が、軍需の波に乗って事業を広げていく。それがダイキンの出発点です。
「フロン」——新聞記事がひらいた冷媒事業
1933年、ダイキンは技術顧問の進言をきっかけにフッ素系冷媒の研究を始めました。技術顧問の太田十男は、米海軍の潜水艦が新型冷媒を採用したという新聞記事に着目し、研究を持ちかけたと伝えられています。
2年後の1935年、ダイキンは国内で初めてフルオロカーボンガスの生産に成功しました。金属加工の会社が、冷媒という化学の分野にも足を踏み入れた瞬間です。この技術はのちにエアコンの冷媒として使われることになり、空調機器と冷媒を両方つくるという、いまに続く事業構造の土台になりました。
大砲の弾も、エアコンも作った戦時下
1930年代から40年代にかけて、ダイキンは軍需と民需の両方の顔を持っていました。1936年には南海鉄道向けに国内初の電車用冷房ユニットを納入し、1938年には呉海軍工廠へフロン冷媒を使った冷凍機を納めています。同じ会社が、航空機部品や砲弾の生産も担っていました。
1945年の敗戦で、軍需の受注は一気に消えました。戦時中に従業員を大きく増やしていたダイキンは、この年、大規模な人員整理に踏み切ったと伝えられています。平時の仕事をゼロから探す、苦しい時期の始まりでした。
朝鮮戦争特需と、民需への転身
敗戦後、仕事を失いかけていたダイキンに転機が訪れたのは1950年代に入ってからでした。1951年、日本初のパッケージ形エアコンを開発し、平時の事業への転換を進めていました。
1952年、朝鮮戦争にともなう特需で、米軍から迫撃砲弾199万発を受注したと報じられています。この特需で得た資金を、ダイキンは冷凍機やフロンといった平時の事業にさらに振り向けました。軍需で稼いだ資金を民需に注ぎ込むという判断が、いまのダイキンにつながる分かれ道になりました。
「ココム違反」——フロン輸出をめぐる家宅捜索
1988年、ダイキンはフッ素化学製品の輸出をめぐり、対共産圏輸出統制委員会(ココム)の規制に違反した疑いで家宅捜索を受けました。ソ連向けに軍事転用が可能な製品を輸出した疑いがかけられ、社員2名が逮捕される事態になったと伝えられています。
会社としても役員4名が処分を受けました。フロン開発で切りひらいた化学事業が、輸出管理という別の壁にぶつかった出来事です。
空調に集中する決断と、リーマン後の巻き返し
1990年代前半、ダイキンは業績の低迷を受けて事業を見直しました。1994年に空調抜本的改革計画を立て、赤字が続く事業からの撤退と、空調への集中投資を打ち出したと伝えられています。この選択と前後して、上海への進出など海外展開も本格化しました。
2009年、世界金融危機のあおりを受け、ダイキンは15年ぶりの減収減益に陥ったと報じられています。それでも空調とフッ素化学という二本柱を崩さず、その後の海外M&A企業の合併・買収の総称。他社の株式や事業を取得して一体化すること。を通じて事業を立て直していきました。
「グローバルNo.1」を掲げたグッドマン買収と、その後の苦戦
2012年、ダイキンは世界最大の空調市場である北米で存在感を高めるため、住宅用空調大手のグッドマン社を総額37億ドルで買収しました。ダクト式が主流の米国市場に、ダクトレス式日本の家庭用エアコンのように、部屋ごとに設置した室内機で個別に冷暖房する空調方式。で培った技術を持ち込む狙いでした。
ですが北米事業は簡単には軌道に乗りませんでした。当時の十河政則社長は、大型施設向けのセントラル空調市場での苦戦を認めたと報じられています。ダイキンは2017年にグッドマンの拠点を統合したテキサス州の新工場を稼働させ、2022年には社名とブランドを統合しました。この社名変更を発表した2022年の時点で、北米での空調事業の売上高は買収時の2倍以上になったとダイキンは説明していました。
創業100年、竹中直文体制へ
2024年、ダイキンは創業100周年を迎えました。この年、十河政則から竹中直文へと社長の座が引き継がれています。1924年に15人足らずで始まった会社は、いまや世界170以上の国と地域で事業を展開するグループに育ちました。
創業100周年の記念式典では、当時会長を務めていた井上礼之が「創業当時15人の町工場から、世界170以上の国と地域で事業を展開するグローバル企業に変貌し、私自身、隔世の感を覚えている」と、これまでの歩みを振り返ったと伝えられています。式典の時点ではまだ十河政則が社長を務めており、竹中直文への交代はこの前後の出来事でした。
