大砲の弾を作っていた会社が、世界一のエアコンをつくる企業に変わった——そう言われても、にわかには信じがたいかもしれない。 ダイキン工業はそんな異色の経歴を持つ企業だ。フロン(冷媒)開発をきっかけに空調へ舵を切り、フッ素化学を二本目の柱に育てた。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約2.5倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
元砲兵工廠の技師——大阪に興した15人の町工場
ダイキン工業の始まりは、1924年に大阪で創業した合資会社大阪金属工業所です。創業者の山田晁は大阪砲兵工廠で工場長を務めていた技師で、退官してこの会社を興したと伝えられています。当初の事業は飛行機用ラジエーターチューブの製造で、従業員は15人に満たない小さな町工場だったとされています。
山田の砲兵工廠時代の人脈から、やがて陸軍・海軍向けの受注が増えていきました。金属加工の技術者が興した会社が、軍需の波に乗って事業を広げていく。それがダイキンの出発点です。
米海軍の雑誌記事——ダイキンをフロン開発へ導いた一冊
1933年、ダイキンの技術顧問だった太田十三男は、米海軍の雑誌記事に着目しました。炭酸ガス冷媒より安全で冷凍機を小型にでき、潜水艦の行動範囲を広げるという新型冷媒の記事です。潜水艦への乗艦経験を持つ太田はこの技術の重要性をいち早く見抜き、創業者の山田晁にフロン事業への進出を進言したと伝えられています。
2年後の1935年、ダイキンは国内で初めてフロン(フルオロカーボンガス)の生産に成功しました。金属加工の会社が、冷媒という化学の分野にも足を踏み入れた瞬間です。この技術はのちにエアコンの冷媒として使われることになり、空調機器と冷媒を両方つくるという、いまに続く事業構造の土台になりました。
電車冷房から潜水艦の冷凍機へ——戦時下に広げた二刀流
ダイキンは軍需と民需の両方の顔を持つ会社でした。南海鉄道向けに、国内初の電車冷房の試験用として冷房ユニットを納入し、その2年後には潜水艦搭載用として呉海軍工廠へフロン冷媒を使った冷凍機を納めています。戦時中は、航空機部品や砲弾の生産も担っていました。
敗戦後、軍需の受注は一気に消えました。工場の閉鎖と大規模な人員整理を繰り返し、何度も経営が立ち行かなくなりかけたと伝えられています。平時の仕事をゼロから探す、苦しい時期の始まりでした。
迫撃砲弾の資金——朝鮮特需が開いた民需への道
敗戦後、仕事を失いかけていたダイキンに転機が訪れたのは、朝鮮戦争が始まってからでした。日本初のパッケージ形エアコンを開発し、平時の事業への転換を進めていました。
朝鮮戦争にともなう特需で、米軍から迫撃砲弾を受注したと伝えられています。この特需で得た資金を、ダイキンは冷凍機やフロンといった平時の事業にさらに振り向けました。軍需で稼いだ資金を民需に注ぎ込むという判断が、のちのダイキンにつながる分かれ道になりました。
高純度ハロン1443トン——ソ連への誤送が招いた家宅捜索
1988年、ダイキンは対共産圏輸出統制委員会(ココム)の規制対象だった高純度ハロン1443トンを、誤ってソ連へ不正輸出した疑いで家宅捜索を受けました。本来は軍事転用を防ぐため不純物を混ぜて輸出するはずが、高純度のまま出荷してしまっていたと報じられています。
この事件で課長2人が逮捕され、化学担当の副社長が引責辞任しました。フロン開発で切りひらいた化学事業が、輸出管理という別の壁にぶつかった出来事です。
17年ぶりの赤字——空調集中を選んだ井上改革
1994年、社長に就任した井上礼之は、17年ぶりの赤字となった決算と向き合いました。売上高の7割を超える空調事業が赤字に陥るなか、井上は現場社員への聞き取りを重ねたうえで「選択と集中」を決断し、多角化で広げていた産業用ロボットや医療機器などの事業を整理して、空調への集中投資へと舵を切ったと伝えられています。
この選択と前後して、翌年には上海への合弁会社設立など、中国・アジアへの展開も本格化しました。空調とフッ素化学という二本柱に絞り込んだ判断が、その後の海外M&Aによる拡大の土台になりました。
グッドマン買収37億ドル——北米で始まった苦戦と巻き返し
2012年、ダイキンは世界最大の空調市場である北米で存在感を高めるため、住宅用空調大手のグッドマン社を総額37億ドルで買収しました。ダクト式天井裏などに通した配管(ダクト)で、複数の部屋へまとめて冷暖房を送る空調方式。米国の住宅で主流。が主流の米国市場に、ダクトレス式日本の家庭用エアコンのように、部屋ごとに設置した室内機で個別に冷暖房する空調方式。で培った技術を持ち込む狙いでした。
ですが北米事業は簡単には軌道に乗りませんでした。当時の十河政則社長は、大型施設向けのセントラル空調市場での苦戦を認めたと報じられています。その5年後にグッドマンの拠点を統合したテキサス州の新工場を稼働させ、さらに5年後には社名とブランドを統合しました。北米での空調事業の売上高は、買収時の2倍以上まで巻き返しました。
13年ぶりの社長交代——竹中直文が継いだ創業100周年
2024年、ダイキンは創業100周年を迎えました。この年、十河政則から竹中直文へと社長の座が引き継がれ、13年ぶりの交代になったと報じられています。1924年に15人足らずで始まった会社は、世界170以上の国と地域で事業を展開するグループに育ちました。
創業100周年の記念式典では、当時会長を務めていた井上礼之が「創業当時15人の町工場から、世界170以上の国と地域で事業を展開するグローバル企業に変貌し、私自身、隔世の感を覚えている」と、これまでの歩みを振り返ったと伝えられています。式典の段階ではまだ十河政則が社長を務めており、竹中直文への交代はこの前後の出来事でした。
