1899年、消化薬とアドレナリンを世に出した三共は、2005年、第一製薬と一つになった。 インドの製薬会社を買収して巨額の損失を出し、いったんは撤退した。 その後見つけた「日陰の技術」が、いまがん治療薬で世界に挑む力になっている。
創業から現在へ — ストーリー
事業の構造 — 何で稼いでいるか
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投資家目線のポイント
エンハーツをはじめとするADC群は、いまも臨床試験や適応拡大の途中にあります。新しい適応症の承認や、提携先アストラゼネカとの契約条件の変化は、今後の業績に直結する要素として見ておきたいところです。
この会社には、ランバクシー買収のように海外M&A企業の合併・買収の総称。他社の株式や事業を取得して一体化すること。で大きな損失を出した過去があります。大型の海外提携や買収のニュースに接したときは、それが既存のがん領域の強みを生かすものかどうかを見る視点が参考になりそうです。
「タカヂアスターゼ」——不審火を越えて世界へ渡った発明
高峰譲吉は肝臓の病で療養していたとき、「麹菌の酵素は人の胃袋でもはたらき、でんぷんの消化を助けるのではないか」と着想しました。この発想が、のちの消化酵素剤タカヂアスターゼ発明のきっかけになったといいます。
高峰は米麹をウイスキー醸造に使う研究でも成功し、アメリカで特許を取得していました。しかしこの成功はモルト製造業者からの反発を招き、脅迫状が届いたうえ、不審火で施設を失うという打撃も受けています。それでも療養の時間を使って研究を続け、1894年、麹菌からジアスターゼの抽出に成功しました。1899年、消化酵素剤タカヂアスターゼとして発売されています。
販売権を得て——三共商店、高峰譲吉の発明を売る
1899年、塩原又策・西村庄太郎・福井源次郎の3人が出資し、三共商店が設立されました。高峰譲吉が発見した消化酵素タカヂアスターゼを商品化し、販売を始めています。
1902年には、副腎から取り出したホルモンを結晶化したアドレナリンを発売しました。世界初のアドレナリン結晶化とされています。1913年、三共商店は三共株式会社となり、創業者の一人である高峰譲吉が初代社長に就任しました。
「アーセミン」——もうひとつの源流、第一製薬の始まり
三共とは別に、もうひとつの源流がありました。1915年、慶松勝左衛門が「アーセミン商会」を創業し、駆梅剤アーセミンを発売します。1918年、第一製薬株式会社として正式に発足し、柴田清之助が初代社長に就任しました。
第一製薬はその後も、止血薬ボスミンや、国産初のサルファ剤テラポールなど、独自の医薬品を送り出していきます。三共とはまったく別の会社として、90年近くの歴史を歩むことになりました。
スタチンの発見——遠藤章が三共で見つけた青カビの力
三共の研究者だった遠藤章は、6,000種におよぶ微生物の株を調べ続けました。1973年、青カビからコレステロールの合成を抑える物質「スタチン」を発見したと伝えられています。
この発見はのちに世界の高コレステロール血症治療薬の潮流を作ったといわれ、日本では大学の研究者との共同研究を経て、1989年、プラバスタチン(製品名メバロチン)として発売されました。遠藤は2006年に日本国際賞、2008年に米国のラスカー賞を受賞しています。
三共と第一製薬、ひとつになる——2005年の経営統合
1899年創業の三共と、1915年創業の第一製薬は、それぞれ100年前後にわたって別々の会社として歩んできました。2005年、両社は経営統合に合意し、両社を傘下に置く純粋持株会社として第一三共株式会社が発足します。同じ年のうちに、大衆薬事業を担う第一三共ヘルスケアも設立されました。
2007年には三共・第一製薬の両社を吸収合併し、医療用医薬品事業をひとつの事業会社に統合しました。ヘルスケア事業は本体から切り離した形を保ち、医療用医薬品への経営資源の集中が図られています。
4,900億円の賭け——インドのジェネリック最大手を買う
経営統合から3年後の2008年、第一三共はインド後発医薬品最大手のランバクシー・ラボラトリーズに狙いを定めました。同社株式の63.4%を4,900億円で取得し、連結子会社親会社の決算に売上・利益をまとめて計上する子会社。親会社が過半数の議決権を持つ会社などが対象。化しています。
当時、この買収は新興国市場への足がかりであり、安価な後発医薬品も手がける「複眼経営」への転換とされていました。ですが、買収の最中に思わぬ事態が起きます。
「輸入禁止」——インドの工場を襲った品質問題
TOB買収したい会社の株式を、価格・期間・株数をあらかじめ公表して市場外で買い集める手法。の最中だった2008年、米食品医薬品局(FDA)は、ランバクシーの2工場に品質管理上の問題があるとして、30種以上の医薬品の米国への輸入を禁止しました。ランバクシーは売上の3割を占める米国市場を失い、株価はその年のうちに買収価格から66%暴落しています。
第一三共はのれん3,513億円を含む特別損失を計上し、2009年3月期は最終赤字2,155億円に転落しました。経営統合してわずか4年目、統合後初めての赤字でした。
サン・ファーマへ——7年目の終着点
買収後も工場の品質問題は解消せず、2014年、第一三共はランバクシー株の売却交渉に入ります。
2015年、インド2位のサン・ファーマシューティカル・インダストリーズにランバクシーの全株式を譲渡し、代わりにサン・ファーマ株式の一部を受け取りました。第一三共がこの買収から撤退までに計上した損失は、約4,500億円に達したと報じられています。新興国市場への足がかりにしようとした投資は、7年で終着点を迎えました。
「日陰の技術」——ADCが切り開いたメガファーマへの道
ランバクシー撤退から4年後の2019年、第一三共は英アストラゼネカと、抗がん剤エンハーツ(当時の開発名DS-8201)をめぐる提携を結びました。契約一時金を含め、最大69億ドル(約7,600億円)を受け取る契約です。
エンハーツが活用したのは、抗体薬物複合体(ADC)という、長く「日陰の技術」と呼ばれてきた手法でした。2020年に米国で承認・上市されたエンハーツは急速に売上を伸ばし、2024年末までの累計売上高は1兆円を超えました。かつて海外M&Aで大きくつまずいた第一三共は、この技術を軸に、世界のメガファーマの一角に挑む位置につけています。
