戦後の分割で生まれたビール会社は、首都圏の販売網を持たず、長く苦しい競争を強いられた。 そこから「辛口」という新しい味を選び、いまは日本・欧州・アジアパシフィックにブランドを持つ。 アサヒは、成熟市場で勝ち方を変えてきた会社である。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.5倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
国内の酒類だけでなく、欧州・アジアパシフィックの地域ブランドまで運営するため、アサヒの変化を読むには各地域でのブランド統合と販売網の動きが重要になります。成熟市場でどのブランドを育て、どの機能を共通化するかが、今後の事業の姿を左右しそうです。
2025年のサイバー攻撃は、受注・出荷の仕組みが事業の継続に直結することを示しました。復旧後も、情報セキュリティ対策と物流システムの強靭さをどう高めるかは、商品ブランドとは別の重要な観察点になります。
外山脩造と鳥井駒吉——大阪にビール会社を起こす
1889年、鳥井駒吉と外山脩造らは大阪麦酒会社を創立しました。外山は民間銀行の立て直しで活動した後、大阪の経済界で多くの会社の創立に貢献した人物です。
大阪麦酒会社は吹田村の工場でビールを製造し、1892年に「旭ビール」を発売しました。実業家たちが起こした一社が、アサヒの原点になりました。
首都圏に届かない——分割後に背負った地理の制約
1949年の分割で発足した朝日麦酒は、吾妻橋・吹田・西宮・博多の4工場を引き継ぎました。しかし生産能力は西日本の3工場に厚く、首都圏の供給力も全国の販売網も持たない状態でした。
大森工場を新設しても、1963年には業界3位に後退します。量で競うだけでは差を縮められず、長い低迷が次の打ち手を迫りました。
9.6%からの賭け——樋口廣太郎が味を替えた
国内シェアが9.6%まで落ち込むなか、住友銀行出身の村井勉と樋口廣太郎が経営を担いました。樋口は1986年に社長へ就任し、翌年にアサヒスーパードライを投入します。
約5,000人の消費者調査をもとに選んだ新しい味は、東京都内の取扱率を47%から99.8%へ押し上げました。低迷していた会社が、辛口で市場の主導権を取り戻した転機です。
ハードボイルドを味にする——辛口という新しい常識
スーパードライの開発は、最初から「辛口」を掲げたものではありませんでした。開発者たちは、当時流行していた「ハードボイルド」をビールで表現しようと考え、その味を突き詰めるなかで辛口というコンセプトにたどり着きました。
当時、ビールには辛口という概念が一般的ではありませんでした。議論を重ねて定めたのが「さらりとした飲み口、シャープなのどごし。キレ味さえる」という狙いで、味の言葉そのものを市場に持ち込みました。
318号酵母——キレをつくる一株を選び抜く
「キレ」を強めるには、発酵で糖をどこまで取り込めるかが課題になります。開発者たちは膨大な酵母ライブラリーから、高い発酵能力を持つ318号酵母を選抜しました。
318号酵母は糖を素早く感知して取り込み、活発に発酵します。さらに温度管理やアミノ酸量の制御を重ね、一つの酵母を生かす工程がスーパードライの味を支えています。
PeroniからCUBへ——海外の定番ブランドを束ねる
国内市場が成熟するなか、アサヒは欧州と豪州で事業を広げました。欧州では2016年に西欧のビール事業、2017年に中東欧5か国のビール事業を取得し、2020年にはブランド管理・マーケティング機能を統合しました。
豪州では2020年にCUB事業を取得し、既存の酒類事業と統合します。各地域のブランドを残しながら、調達・生産・物流をつなぐ経営へ踏み出しました。
出荷量8割——サイバー攻撃で止まった物流を動かす
2025年、ランサムウェアの一斉実行で複数のサーバーと一部のパソコン端末のデータが暗号化されました。受注・出荷システムは停止し、商品供給に関わる業務は手作業での対応を余儀なくされます。
アサヒロジの児玉徹夫社長によれば、障害から3日後に出荷を再開し、翌月の出荷量は通常時の8割でした。その後、バックアップからの復旧とサーバー再構築を進め、物流業務は翌年までに通常化しました。
