ANAグループの中核、全日空(ANA)は、戦後にヘリコプター2機で飛び立った小さな会社が出発点だ。 規制で国内線に封じ込められた時代を経て、悲願の国際線就航までに長い年月がかかった。 コロナ禍で過去最大の赤字を出しても、なお空を飛び続けている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.4倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
航空事業は燃料費や為替、旅行需要の変動に業績が左右されやすい構造です。国際線収入と燃料価格の動きを合わせて見ると、業績の先行きを読むヒントになりそうです。
ANAホールディングス(9202)は持株会社で、実際に飛行機を飛ばす全日空やPeachなどの事業会社そのものではありません。株式市場で売買できるのは持株会社の株式のみという点に注意が必要です。
NHコードの起源——創業はヘリコプター2機から
全日空の便名に使われる「NH」というコードは、創業時の社名「日本ヘリコプター輸送」の英文表記「Nippon Helicopter」に由来していると伝えられています。1952年に設立されたこの会社は、翌年、ベル社製のヘリコプター2機で営業を始めました。宣伝飛行や報道機関の空撮などが最初の仕事だったといいます。
創業2年目に使われたヘリコプターの1機は今も保存されており、「ANA Blue Base」へ移設されています。固定翼機を持たない航空会社として始まった歴史です。
羽田沖墜落と雫石衝突——二つの大惨事
1966年、千歳発羽田行きの全日空60便が着陸直前に東京湾へ墜落し、乗員乗客133人全員が死亡しました。事故原因はいくつかの説が挙がったものの、調査報告書は最終的に「事由は不明」と結論づけています。
1971年には、岩手県上空で全日空機が航空自衛隊の訓練機と空中衝突し、162人が死亡しました。教官が訓練空域を逸脱したことなどが原因とされ、この事故を機に、訓練空域と航空路の分離やフライトレコーダーの装着義務化など、日本の航空法や空域管理のルールが大きく見直されています。
「45/47体制」——国内線に封じ込められた時代
1970年から1972年にかけて、政府は路線割り当ての方針を示し、日本航空に国際線と国内幹線を、全日空には国内幹線とローカル線を割り当てました。「45/47体制」と呼ばれるこの取り決めにより、全日空は国際定期便への参入を事実上封じられます。
それでも1971年には東京—香港間で不定期のチャーター便を飛ばすなど、国際線への足がかりを探りました。定期便としての参入は認められないまま、国内線中心の会社という立ち位置が続くことになります。
ロッキード事件と「幻の念書」——若狭得治の挫折、そして10年越しの悲願
1974年、全日空社長の若狭得治は、運輸大臣との間で将来の国際定期線参入を約束する「念書」を交わしたと伝えられています。ですが1976年に表面化したロッキード事件で、若狭は大型旅客機の機種選定をめぐる汚職事件に問われました。国際線参入の話はいったん立ち消えとなり、若狭は外国為替管理法違反などで有罪判決を受け、1992年に刑が確定しています。
政府は1985年、国際線への複数社制への転換を示し、翌1986年、全日空は成田—グアム線で悲願の国際定期便に就航しました。全日空自身は、この就航を「10年越しの悲願」と位置づけています。
ライバルの経営破綻——日本航空の会社更生法と羽田枠の逆転
2008年のリーマン・ショックの影響で、全日空は2009年3月期に初の純損失、翌2010年3月期には初めての営業赤字を計上しました。同じころ、長年のライバルだった日本航空が会社更生法を申請し、経営破綻します。
羽田空港の発着枠再配分では、全日空が日本航空を上回る配分を受けました。国際線で先行していたライバルの失速が、全日空にとっては追い風になった形です。
787のローンチカスタマー——開発段階からの賭け
全日空は2004年、ボーイングの新型中型機787型機を世界で最初に50機発注した航空会社になりました。開発当初から社員をボーイング社に派遣し、機体の日本企業による製造分担率は約35%(主翼は三菱重工業、前部胴体は川崎重工業など)に達しています。
2011年、成田—香港間のチャーター便で世界初の商業運航を実現し、同じ年のうちに羽田—岡山間の定期便としても世界で最初に飛び立ちました。以来、全日空は787を国際線拡大の主力機材として使い続け、発注機数は世界の航空会社で最大規模になっています。
「バニラエア」を経て——LCCという第三の翼、Peachへの一本化
全日空は2011年、アジア最大のLCCグループ、エアアジアと合弁でエアアジア・ジャパンを設立しました。ですが搭乗率の低迷などから両社の関係はうまくいかず、提携は1年足らずで解消され、全日空の完全子会社「バニラ・エア」として運航を再開しています。
一方、全日空は同じ2011年、政府系ファンド政府や中央銀行などが出資し、資金を運用する投資ファンド。や香港の投資会社と組んで「A&F Aviation株式会社」を設立し、同じ年のうちに「Peach」ブランドへ社名を変更しています。2017年にPeachを連結子会社親会社の決算に売上・利益をまとめて計上する子会社。親会社が過半数の議決権を持つ会社などが対象。化し、2019年にはバニラ・エアの事業をPeachへ統合。全日空グループのLCCブランドは、Peachひとつに一本化されました。
「バレなければいい」——飲酒問題と安全文化の立て直し
2019年の秋、福岡発羽田行きの便に乗務予定だった機長から、乗務前検査で基準値を超えるアルコールが検出されました。国内線4便に遅延が生じ、約2,000人に影響が出ています。全日空はこの機長を懲戒解雇し、会長・社長ら経営陣も報酬を減額しました。
国土交通省への報告では、この機長が「バレなければいい」という自分勝手な意識を持ち、日常的に飲酒する習慣があったことが明らかになっています。翌2020年、国交省は事業改善命令を出し、全日空はパイロットの自己管理教育や検査体制の見直しを進めました。
過去最大の赤字から、最高益更新へ——コロナ危機のV字回復
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大で航空需要はほぼ消失しました。2021年3月期、ANAホールディングスは売上高が前の期から63%減の7,286億円、営業赤字4,647億円、純損失4,046億円という過去最大の赤字を計上しています。有利子負債は8,263億円から1兆6,427億円へ倍増し、約3,500人の人員削減にも踏み切りました。
ここから会社は劣後ローンや公募増資で資金を確保し、財務の立て直しを進めます。2023年3月期に営業黒字へ復帰すると、2024年3月期には営業利益がコロナ前の水準を上回る過去最高を記録し、2025年3月期には売上高も含めて過去最高を更新しました。2025年には貨物専門の日本貨物航空(NCA)も完全子会社化し、事業の幅をさらに広げています。
