「味の素」を生んだのは、昆布だしの謎を追った化学者と、それを事業にした実業家だった。 戦争の焼け跡やカルテル競合企業同士が価格や生産量について話し合い、競争を制限する取り決め。事件を経て、うま味の技術はいま半導体の世界にまで届いている。 台所から飛び出したアミノ酸の力を、世界中の工場や病院が使っている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.5倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
味の素は海外売上比率が高く、現地生産・現地ブランドを軸にしたビジネスモデルです。為替や各国の食品規制が業績に影響しうる点は、覚えておきたいところです。
近年は半導体材料ABFを中心とする電子材料事業が、生成AI需要を追い風に伸びています。食品会社と素材メーカー、両方の顔の動きを見ておく価値があります。
一枚の昆布——妻が持ち帰った小さな発見
東京帝国大学の教授だった化学者・池田菊苗は、ドイツへ留学した際、現地の人々の体格や栄養状態の良さに驚き、日本人の栄養状態を改善したいと強く願うようになりました。
帰国後のある日、妻が競進会という品評会で買ってきた昆布のだしを味わっていた池田は、甘味・塩味・酸味・苦味のどれとも違う味があることに気づきます。研究の末、その正体がグルタミン酸というアミノ酸の一種であることを突き止め、「うま味」と名づけました。
池田はこの発見を、化学薬品業界で知られていた二代鈴木三郎助に持ちかけます。大学の研究成果を、一民間事業者が製品化に踏み切ったことが、味の素の出発点になりました。
ヨード事業を残した——鈴木三郎助、二股の賭け
池田菊苗の発明を事業化する話を、実業界のどの企業や経営者も引き受けようとしませんでした。国産技術への信用が低く、工業化の前例もない事業の先行きは、誰にも読めなかったからです。
引き受けたのは、葉山でヨード製薬業を営んでいた二代鈴木三郎助でした。鈴木はこの新しい調味料事業を、既存の製薬事業とは切り離した自分個人の事業として立ち上げます。
ヨード事業は「製薬部」として残しながら、新しい調味料事業は「味精部」と呼び、二つの事業を並走させました。川崎工場が完成して量産体制が整うまでの助走を、この段取りが支えたとみられます。
「味の素」を取り戻した——終戦の日、三代鈴木三郎助の即断
終戦の日、玉音放送を聞いた社長の三代鈴木三郎助は、その日のうちに高輪の自邸で緊急役員会を招集しました。社名は戦時体制のもとで大日本化学工業に変わったままでしたが、鈴木は迷いませんでした。
「味の素」の生産再開を決意し、社名を元に戻すことをその場で提案しています。数日後には、日本の再建に「味の素」を役立てるべきだとする長文のアピールを自ら書いて発表しました。
焼け跡からの再出発を後押ししたのは、社名を取り戻すという、あの日のとっさの判断でした。輸出による外貨獲得を軸に、味の素は戦後復興への歩みを進めていきます。
訴訟ではなく契約を選んだ——協和発酵の全量買い取り
競合の協和発酵工業が、従来とは異なる直接発酵法によるうま味調味料の製造を発表しました。それまで味の素の強みだった製法上の独自性が揺らぎ、業界内では経営上の危機とも言われる状況に直面します。
味の素はこの技術対立を訴訟に持ち込みませんでした。協和発酵が作るうま味調味料を全量買い取る契約を結び、対立を協調に切り替えています。両社に親交のあった朝日麦酒社長の山本為三郎が仲介役を務め、交渉はスムーズに進み、両社の関係はのちにクロスライセンス契約へと発展しました。
味の素はこの経験から、単一技術に頼ることの危うさを学びました。米企業との提携から生まれた食品合弁会社は、のちにクノール食品と名乗るようになり、半導体材料を手がける新会社も誕生しています。
録音された密談——リジン価格カルテル、味の素の司法取引
1990年代、家畜の飼料に使うアミノ酸「リジン」の国際価格を巡り、味の素を含む複数の企業が価格をつり上げるカルテルに関わっていました。首謀したのは米穀物大手のアーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM)で、FBIの潜入捜査によって密談の様子が録音・録画されていたことが明らかになっています。
1996年、味の素は米国での起訴を前に、価格カルテルへの関与を認める司法取引に応じました。最大1,000万ドルの罰金の対象になったと報じられています。
この事件は、米司法省による国際カルテル摘発の中でも大きな成果とされ、のちに映画「インフォーマント!」の題材にもなりました。味の素は他の関与企業とともに罰金を支払い、捜査に協力しています。
追放された「ハラル」認証——インドネシアの味の素事件
2000年、インドネシアで「味の素」の原料に、イスラム教の戒律(ハラル)で禁じられている豚由来の成分が使われているという疑いが浮上しました。実際には豚肉そのものは使っておらず、発酵菌の栄養源を作る工程で、豚由来の酵素を触媒として使っていたことが原因でした。
現地では味の素製品が店頭から姿を消し、保健当局の命令で味の素インドネシアの職員数名が拘束されたと報じられました(味の素側は、逮捕ではなく任意の事情聴取だと説明しています)。工場と倉庫も一時封鎖され、味の素は約3,000トンの製品を自主回収しています。
味の素は酵素の由来を変更し、商品の回収を進めました。拘束されていた現地法人の関係者も釈放され、現地での製造・販売を続けています。
総会屋に渡った現金——味の素、信用失墜の代償
1997年、味の素の総務部幹部が、株主総会を円滑に進める目的で総会屋グループに現金を渡していたとして、商法違反の容疑で逮捕される事件が起きました。
総会屋への利益供与という行為そのものが、当時「国民生活に密着した食品企業」だった味の素にとって、大きなイメージダウンにつながりました。
268億円の代償——資本効率を問い直したROIC改革
2019年3月期、味の素は北米の冷凍食品事業とアフリカの調味料事業を中心に、商標権やのれん企業買収の際、買収先の純資産額を上回って支払った金額を計上する無形の資産項目。に関連する約268億円の減損損失を計上し、連結純利益は前期比64%減となりました。それまで売上の成長を優先してきた資本配分のあり方が問われる結果になりました。
この反省から、味の素は同じ年にROIC(投下資本利益率)を経営の中核指標に据えました。事業ごとにROICを算定して資本コストと比較する仕組みを整え、黒字のなかでも50歳以上の管理職を対象に希望退職を募るなど、固定費構造の見直しにも踏み込んでいます。
その後、米フォージ・バイオロジクスを買収して遺伝子治療分野に進出した一方、かつて買収した味の素アルテアは収益が伸びず、後に売却しました。技術を軸にした事業拡大と、資本効率を問う規律の両立が、いまの味の素の経営課題になっています。
副産物から生まれた基幹事業——ABFの世界シェア9割超
「味の素」の主成分であるグルタミン酸ナトリウムを製造する過程では、塩素化パラフィンという副産物が生まれます。味の素はこの副産物に樹脂を柔らかくする機能があることに着目し、難燃剤やエポキシ樹脂の硬化剤など、素材開発を積み重ねてきました。
こうした技術の蓄積から誕生したのが、半導体パッケージ基板向けの絶縁フィルム「ABF(味の素ビルドアップフィルム)」です。従来主流だった液体インクの絶縁材料と違い、フィルムを貼るだけで済むためムラや気泡が出にくく、高性能パソコンやデータセンターのサーバー向けに採用が広がりました。
ABFの世界シェアは、いまや9割超(約95%)に達しています。生成AIの普及でデータセンター向け半導体の需要が急増するなか、ABFは食品事業とは異なる収益構造を持つ事業として、味の素の利益成長を牽引する存在になっています。
