織機をつくる会社は、なぜ世界の頂点に立てたのか。 創業者の辞任、労働争議、リコール問題——トヨタの百年も、平坦ではない。 それでも「カイゼン現場の従業員自身が、生産工程のムダや問題点を少しずつ見つけて改善し続けるトヨタ発祥の考え方。世界中で「Kaizen」として通じる言葉になっている。」の一語で、世界の頂点に立ち続けている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.8倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
トヨタの営業利益は、関税や為替という自社では動かせない要因で大きく振れます。販売台数が伸びた年に利益が2割以上減ることもあり、「台数のニュース」と「利益のニュース」は分けて見る必要がありそうです。
大工の息子が読んだ本——特許第1195号という第一歩
トヨタの物語は、自動車が生まれる半世紀前から始まります。遠江国(現・静岡県湖西市)に生まれた豊田佐吉は、大工だった父の仕事を手伝いながら育ちました。青年期の佐吉は、明治のベストセラー『西国立志編』に描かれた欧米の発明家たちの逸話に触れて向学心を高めます。公布されたばかりの「専売特許条例」に強い関心を持ったことが、織機の発明を志すきっかけになったと伝えられています。
1890年、佐吉は改良した手織り機の特許を出願するため横浜の知人宅に身を寄せ、東京の特許局へ通いました。翌年授与された特許第1195号「織機」——この木製人力織機の特許が、発明人生の第一歩になったのです。
特許は10万ポンドで売れた——喜一郎はフォードの工場へ
1929年の暮れ、豊田喜一郎は英国の紡織機メーカー・プラット社と、自身が発明した杼換(ひがえ)式自動織機に関する特許権の譲渡契約を結びました。譲渡額は総額10万ポンドです。契約調印のため米国を経由して渡英した喜一郎は、道中の米国では特許の売り込みを随行者に任せ、自分はフォード社の自動車工場や工作機械を見て回りました。この特許権譲渡料の一部が、自動車の研究開発の足がかりになりました。
2,146名が去った日——創業者も会社を去った
戦後のドッジ不況下、自動車の統制価格が据え置かれる一方で原材料価格が高騰し、トヨタ自動車工業の経営は急速に悪化しました。1950年、会社は1,600名の希望退職者募集を柱とする再建案を提示し、労働組合との争議へと発展。約2か月に及んだ争議が労使協定の締結で決着するまでに、募集した人数を大きく上回る2,146名が会社を去りました。
そのさなか、創業者・豊田喜一郎は労働争議の責任を負って社長を辞任します。後任には豊田自動織機製作所の石田退三社長が就任しました。自動車づくりに人生を賭けた創業者の辞任と引き換えに、会社は再建へと歩を進めたのです。
クラウンの初渡米——高速道路で力が出なかった
1957年、トヨタは国内での高評価を背景に、本格的な高速耐久試験を行わないままクラウンの対米輸出を決めました。翌年、ヘッドライトなしのクラウン・デラックス30台を船積みし本格輸出を始めます。ところが高速道路を走ると出力が足りず、激しい騒音と振動、部品の破損まで起きました。日本の道では十分だった性能が、アメリカでは通用しなかったのです。
トヨタはこの不具合に、出力を高めて高速走行性能を改善した改良型シリーズの投入で応えました。対米輸出のつまずきは、そのまま高速で走れる車をつくる宿題になったのです。
「燃費2倍」の一言——プリウスは2年で量産にこぎ着けた
1993年に発足した「G21プロジェクト」は、当初エンジン効率の向上による燃費1.5倍化を目標にしていました。ですが技術担当役員から燃費2倍という目標が示され、方針はハイブリッドシステム採用へと転換します。「トヨタ・ハイブリッド・システム(THS)」の技術発表を経て、同じ年の暮れに量産ハイブリッド車「プリウス」を発売しました。正式な開発着手から、わずか約2年で量産にこぎ着けました。
4,610億円の赤字——それでもトヨタは人を切らなかった
2008年秋のリーマン・ショックを契機に世界的な金融危機が広がり、自動車需要は急減しました。前の期に過去最高益を上げていたトヨタは一転、翌期の決算で4,610億円の営業赤字へ転落します。創業期以来の営業赤字でした。
トヨタは緊急収益改善委員会を設置し、総費用の低減と売上の最大化に取り組みました。国内では「会社休業」、海外の一部工場では賃金減額を伴う「ワークシェアリング」を採用し、レイオフではなく雇用の確保を優先しています。
米議会の公聴会——豊田章男の「私は孤独ではなかった」
2009年夏、米国でフロアマットがアクセルペダルに干渉したとみられる事故が発生し、トヨタ車の安全性に関する報道が過熱しました。同年秋のフロアマット関連リコールに続き、年明けにはアクセルペダルの戻り遅れを理由に世界444万台のリコールを発表。その翌月、豊田章男社長は米下院監督・政府改革委員会の公聴会に出席し証言しました。
公聴会終了後、ワシントンに集まっていた米国の販売店やサプライヤー関係者と会った章男社長は、「公聴会で私は孤独ではなかった。米国そして世界中の仲間たちが私とともにいたからです」と謝辞を述べたと伝えられています。その後の米運輸省とNASAによる調査では、電子スロットルの欠陥を示す証拠は発見されませんでした。
6年連続の世界一——けん引したのは電気自動車ではない
2025年、トヨタのグループ全体の世界販売台数は前年から伸びて1,130万台に達し、6年連続で世界首位を保ちました。2位のフォルクスワーゲン・グループは900万台弱ですから、その差は小さくありません。
内訳を見ると意外な姿が浮かびます。トヨタ・レクサス両ブランドの販売のうち、ガソリンと電気を組み合わせたハイブリッド車が42%を占める一方、バッテリー式の電気自動車は1.9%にとどまりました。世界一を押し上げているのは、あのプリウスから続くハイブリッドの系譜のほうなのです。
