野球のグラブやランニングシューズで知られるミズノは、1906年、大阪の小さな洋品店から始まった。 統一球騒動やシューズ不振を経て、いまは過去最高の業績を更新し続けている。 競技をまたいで技術を使い回す発想が、この会社の強さを支えている。
創業から現在へ — ストーリー
事業の構造 — 何で稼いでいるか
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投資家目線のポイント
野球用品から始まったミズノは、近年はフットボールやインドアスポーツ、企業向けワークビジネスへと事業の重心を広げています。特定の競技の流行に業績が振られにくい構造へ変わりつつあるかどうかは、今後の決算を見るときの参考になりそうです。
2019年3月期・2020年3月期のように、シューズ市場の在庫調整や天候の影響で減収減益になった年もありました。用品メーカーは天候や海外の市況、原材料コストの変化を受けやすい業種である点は、業績を見るときの参考になりそうです。
「水野兄弟商会」——日露戦争帰りの青年が始めた野球用品店
水野利八は1884年、岐阜県大垣市に生まれました。大阪の薬種問屋で丁稚奉公をしたのち、京都の織物問屋で修行を積みます。日露戦争から帰還した利八は「わが国の将来にスポーツ普及の必要を痛感し」たとして、1906年、弟の利三とともに大阪北区で洋品雑貨店を開きました。
店の名前は「水野兄弟商会」。洋品雑貨とともに野球ボールを売り始めたことが、のちのスポーツ用品メーカー・ミズノの出発点になりました。
赤シャツ騒動——シカゴ大学野球チームの応援が生んだ大ヒット
創業まもないころ、水野利八はある試合を観戦していました。来日したシカゴ大学野球チームと日本チームの一戦です。利八は赤いシャツを着て、大声で応援したと伝えられています。
この派手な応援が学生たちの間で話題になり、赤シャツが飛ぶように売れたという逸話が残っています。利八はその後も1918年、開襟シャツに「カッターシャツ」、旅行かばんに「ボストンバッグ」という名前を付けたとされ、商品のネーミングにも独自の感覚を発揮しました。
「美津濃」という名前——ふるさとの地名に込めた思い
1910年、水野利八は店名を「水野兄弟商会」から「美津濃商店」に改めました。この表記には、利八の故郷への思いが込められています。生まれ育った岐阜県大垣市の「船町」は、港を意味する「津」の字を持つ土地でした。利八は自らの出身地である美濃国の「美濃」という文字の間に、この「津」を挟み込んで「美津濃」という社名を作ったとされています。
利八は「将来を考え、店が発展したときに、水野家の子孫以外にも立派な人材が現れることも考えて」この名前を選んだと伝えられています。いまも正式な会社名は「美津濃株式会社」のままで、1987年に対外的な表記だけを「ミズノ」に統一しました。
「利益の利より道理の理」——創業者が遺した経営哲学
水野利八の経営哲学を表す言葉として、「利益の利より道理の理」という一節が知られています。目先の利益より、正しい道理を優先するという考え方です。この言葉は、創業から120年近くたったいまも、ミズノの行動の基礎に位置づけられています。
現場ではこの哲学が「品質は工程で作り込む」という合言葉になり、養老工場をはじめとする自社工場のものづくりを支えています。利八が生涯をスポーツ振興に献身した遺志は、1970年設立の「財団法人ミズノスポーツ振興会」(現・公益財団法人ミズノスポーツ振興財団)へとつながりました。
統一球騒動——NPBが隠した「調整」とミズノの立場
2011年、日本野球機構(NPB)は国際大会にあわせてボールの反発係数を下限に近づけ、ミズノが製造する統一球を導入しました。ホームラン数は2010年の1,605本から2011年は939本へ、翌2012年も881本にとどまるなど大きく減少します。
2013年のシーズン開幕後、今度は逆に「ボールが飛ぶようになった」との指摘が相次ぎました。NPBは当初ボールの変更を否定していましたが、実際にはゴムの成分を変更し、ミズノに調整を依頼していたことが判明します。当時のコミッショナーは「隠すことではまったくなく、当然公表すべきでした」と釈明し、審議の場ではミズノ側の説明も十分でなかったと指摘されました。
シューズ不振からの立て直し——「転用の経営」で技術を混ぜる
2019年3月期、ミズノはランニングシューズ市場の在庫過多や海外事業の落ち込みで減収減益となりました。翌2020年3月期も暖冬とコロナ禍が重なり、業績は苦しい状況が続きます。
立て直しの鍵になったのが「転用の経営」という発想でした。軟式バットの技術をゴルフクラブに転用するとヒット数が3.5倍になり、ランニングシューズの技術をファッションスニーカーに応用すると4年で売上高が10倍に伸びたといいます。2022年には競技の垣根を越えて開発する研究施設「MIZUNO ENGINE」を設立し、約30競技の技術を混ぜ合わせる体制を整えました。この結果、2025年3月期には売上高・営業利益とも過去最高を更新しています。
ソフトボール用バット、8割が基準未達——安全優先のリコール
2024年、ミズノは自社製のFRP製ソフトボール用バット「X01」について検査を行った結果、安全性が確認できない製品が全体の8割にのぼることを明らかにしました。対象は2019年モデルと2024年モデルの2品番です。
日本ソフトボール協会は対象バットの試合使用を禁止し、ミズノはX線検査を1日300本のペースで進め、およそ1週間で選手に返却する対応を取りました。基準を満たさない製品は、2024年に発売した新モデルへの交換対応が取られています。
サッカーとインドアスポーツの躍進——野球用品メーカーからの脱皮
かつて野球用品メーカーとして知られたミズノですが、近年はフットボールとインドアスポーツの分野で伸びています。ポルトガル代表のジョアン・フェリックス選手とのアンバサダー契約や、Jリーグ・セレッソ大阪との新規ユニホーム契約が、この分野の成長を後押ししました。
水野明人社長は、シューズとアパレルをそれぞれ4割、用具を2割という将来の売上構成比を理想として掲げています。用具中心だった事業構造を、シューズ・アパレル中心へ組み替えようとする狙いがあります。
「せんみつ」の哲学——1000挑戦して3つ成功すればいい
水野明人社長は、社内の経営哲学を「せんみつ」という言葉で表現しています。1000回挑戦して3つ成功すればいいという考え方で、社員の失敗を評価で下げない方針を掲げているといいます。
この発想のもと、社内から新規事業のアイデアを募る「アイデアソン」には800件の意見が集まりました。欧州で人気に火がついたファッションスニーカー事業では、2025年秋に東京都内で直営店を4店舗出店するなど、新しい挑戦が続いています。
