総合スーパーの「イオン」やモール「イオンモール」を全国に構える、国内屈指の流通グループ、イオン。 始まりは江戸時代、四日市の小さな行商だった。 合併に合併を重ね、経営が行き詰まった同業を次々に引き受けながら、いまも姿を変え続けている。

01

創業から現在へ — ストーリー

1758 — 1926
岡田屋、呉服の行商から法人化へ
行商から始まった岡田屋は、より人通りの多い繁華街への移転を機に成長の転機をつかみました。その後、株式会社岡田屋呉服店として法人化し、近代的な経営の形を整えていきます。
1946 — 1969
戦後の再出発から、3社提携でジャスコ誕生
終戦後、四日市の岡田屋は営業を再開しました。その後、兵庫県のフタギ、大阪府のシロと提携し、ジャスコ株式会社が発足します。社名は地域の小売業が連合して全国チェーンを目指す姿勢を示すものでした。
1974 — 1989
上場、そしてイオングループへの改称
ジャスコは東京・大阪・名古屋の証券取引所に上場しました。その後マレーシアへ出店し、日系総合スーパーのASEAN進出の先駆けとなり、グループ名称を「イオン」に改めています。
1988 — 2010
米タルボット買収と、20年後の撤退
イオンは米国の衣料品チェーンを買収しました。その後経営が悪化し、後年になって株式を手放し、長く続いた提携を終えています。
2001 — 2015
経営が行き詰まった同業を、次々に傘下へ
大手スーパーのマイカルが経営破綻し、イオンが支援に乗り出して完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。しました。その後、経営難だったダイエーの株式を取得し、のちに完全子会社としています。国内流通業の再編の受け皿になっています。
2010 — 2013
取引先の米、産地偽装が発覚
契約先の米卸業者による産地偽装が発覚し、対象の弁当・おにぎりは4千万個超にのぼりました。イオンは業者を提訴し、和解しています。
2021 — 2025
コロナ禍の赤字から、売上高10兆円へ
新型コロナウイルスの影響で、イオンは大きな最終赤字を計上しました。その後は地道な経営の立て直しを重ね、国内小売業として2社目となる売上高10兆円を達成しています。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.3倍

15兆円
7.5兆円
2017 · · · · · · · · 2026
売上 純利益(手元に残った利益) 赤字だった年
売上
10年前
82,101億円
現在
107,153億円
約1.3倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
113億円
現在
727億円
売上100円につき約1円
従業員
10年前
143,374
現在
179,230
約1.3倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
総合スーパー
「イオン」などの大型店や食品スーパーで衣食住を売る祖業。海外店舗や自社ブランドもここに含みます。
柱 02
ドラッグストア
ウエルシアなどのドラッグストア・調剤薬局事業。日用品・食品も扱い、集客を支えます。
柱 03
商業施設運営
イオンモールなど大型商業施設を、日本と中国・東南アジアで開発・運営。テナント賃料が柱です。
柱 04
金融サービス
イオンカードや電子マネー「WAON」、イオン銀行を通じて、決済・与信・預金を提供する事業です。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

イオンは経営破綻や苦境にあった同業を買収して大きくなってきました。統合には長い時間がかかるため、M&A企業の合併・買収の総称。他社の株式や事業を取得して一体化すること。のニュースが出たときは、完了までの時間軸にも注目する視点が参考になりそうです。

祖業に近い総合スーパーは主力事業ですが、利益はドラッグストアや金融、モール事業に支えられている面があります。どの事業が伸びているかを分解して見る視点が参考になりそうです。

「大黒柱に車をつけよ」——迷わず移転した呉服店の家訓

江戸時代の1758年、初代岡田惣左衛門は三重県四日市で、天秤棒をかついだ行商から呉服・日用品の商いを始めました。まだ小さな一軒の店にすぎませんでした。

1887年、店をより人通りの多い繁華街へ移すという決断がありました。ここから生まれたのが、「大黒柱に車をつけよ」という家訓です。居心地の良さより、成長できる場所を選ぶという考え方でした。この発想は、200年以上あとの合併・再編の連続にもそのまま通じています。

「下げにもうけよ、上げでもうけるな」——商機に変えた

1920年、株価が暴落する戦後恐慌が日本を襲いました。多くの商店が売上の落ち込みに立ちすくむ中、五代目・岡田惣右衛門は逆の手を打ちます。

値下がりした商品を並べる「暴落大売出し」を実施したのです。ここから、「下げにもうけよ、上げでもうけるな」という家訓が生まれました。好況で浮かれず、不況でこそ商機をつかむという発想は、のちの世代の経営判断にも受け継がれていきます。

「焦土に開く」——20歳の岡田卓也が掲げた再出発

太平洋戦争が終わり、四日市の街は焼け野原になっていました。学徒出陣で陸軍に入隊していた岡田卓也は復員します。

20歳の卓也は40坪ほどの店舗を改装し、「焦土に開く」という大売出しで営業を再開しました。同じ年、株式会社岡田屋の社長に就任しています。小売業を「平和の象徴」だと捉えたこの考え方は、のちのジャスコ・イオンの経営理念にも通じるものでした。

連邦経営——一社が飲み込まない道を選んだ

戦後の岡田屋は、四日市を中心とした一地方の呉服店でした。全国規模の小売業と競うには、単独の成長では限界があります。

岡田屋は兵庫県のフタギ、大阪府のシロと均等出資で提携し、ジャスコ株式会社が発足しました。社名は「Japan United Stores Company」の頭文字に由来します。岡田卓也は各地域の会社に経営を任せる「連邦経営」を掲げ、一社が他社を吸収する型とは違う道を選びました。

米タルボット買収——絶頂から一転、巨額損失で撤退した

イオンは米国の婦人服チェーン、タルボットを買収しました。経営支援を続けながら、長年にわたってイオングループの米国事業の中核を担いました。

ですが、その後タルボットの業績は悪化していきます。イオンは7期ぶりとなる最終赤字という誤算に直面しました。タルボットの巨額損失が最大の要因だったと報じられています。2010年、イオンはタルボット株を売却し、20年続いた資本関係に区切りをつけました。

経営破綻したマイカル——同業を丸ごと引き受けた

大手スーパーのマイカルは、バブル期の大型出店と財務の乱れが重なり、巨額の負債を抱えて経営破綻しました。当時、戦後有数の規模とされた小売業の倒産でした。

イオンはここで支援に乗り出します。会社更生手続きを経て、マイカルと関連会社はイオンの完全子会社になりました。同業の破綻を、ライバルだったイオンが引き受ける形になった出来事です。

4,477万個の弁当——産地を偽った米が3年流通

イオンと契約する食品メーカーに米を納めていた業者から、3年にわたり中国産・米国産の米を国産だと偽って納められていたことが発覚しました。

対象となった弁当・おにぎりは4,477万個にのぼります。イオンはこの業者を相手に約2億2,400万円の損害賠償を求めて訴えを起こし、和解に至りました。業者はその後解散しています。仕入れ先の管理という、目に見えにくいところで信頼が揺らいだ出来事でした。

上場後最大の赤字——トップバリュで立て直した4年

新型コロナウイルスによる休業や客数減で、イオンは上場後最大となる710億円の赤字を計上しました。

そこから、値ごろ感のあるプライベートブランド「トップバリュ」の拡販や、在庫・物流の効率化を進めます。地道な4年の立て直しが、連結営業収益10兆円という節目につながりました。