「キリン一番搾り」でおなじみのキリンホールディングス。 前身は、横浜で経営破綻した外国人醸造所だった。 スーパードライの衝撃、ブラジル・ミャンマー事業の失敗を経て、酒類・飲料・医薬に次ぐ第四の柱を育てる企業になった。

01

創業から現在へ — ストーリー

1885
破産した醸造所を外国人商人が引き継ぐ
横浜で破綻したアメリカ人の醸造所を外国人商人が引き継いで開業。麒麟麦酒株式会社として日本人の手に経営が移った。
1928
キリンレモン発売
キリンは「キリンレモン」を発売した。戦後の財閥解体第二次大戦後、GHQの占領政策で三井・三菱・住友などの財閥系企業グループが解体された出来事。で大日本麦酒が分割された際、麒麟麦酒は対象外で、同じ年に東京証券取引所へ上場している。
1987
「アサヒスーパードライ」の衝撃
アサヒの「スーパードライ」に押され、シェアは60%超から48.5%まで下落。危機感を強めたキリンは一番搾り麦汁だけの新商品を通常価格で発売し反撃した。
2007
純粋持株会社体制へ移行
麒麟麦酒は純粋持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。体制に移行し、社名をキリンホールディングスに改めた。同じころ協和発酵工業を公開買付けで取得し、翌年に子会社化している。
2011
ブラジルのビール大手を買収
ブラジルのビール大手を買収し、海外展開を加速させた。その後業績が悪化して撤退し、海外の同業へ事業を売却した。
2015
ミャンマー・ブルワリーへ出資し進出
キリンは国軍系企業MEHLと組み、ミャンマー・ブルワリーに51%出資して現地参入した。クーデター後、買い手が見つからず合弁会社自体に株式を売却し撤退した。
2020
「本麒麟」でビール類販売の首位を奪還
低価格の「本麒麟」の急伸で、キリンはビール類販売で11年ぶりに首位を奪還した。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.2倍

2.5兆円
1.2兆円
2016 · · · · · · · · 2025
売上 純利益(会社に残った利益)
売上
10年前
20,751億円
↓
現在
24,334億円
約1.2倍に増加
純利益
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
10年前
1,182億円
↓
現在
1,475億円
売上100円につき約6円
従業員
10年前
39,855人
↓
現在
31,144人
約22%減少
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
酒類事業
ビールや缶チューハイ、メルシャンワインを手がける祖業。シェア争いが業績を左右。
柱 02
飲料事業
キリンビバレッジの清涼飲料事業。緑茶・紅茶・コーヒーなどのブランドを展開。
柱 03
医薬事業
協和キリンのバイオ医薬品事業。希少疾患領域が酒類に次ぐ利益を稼いでいます。
柱 04
ヘルスサイエンス事業
ファンケルや豪ブラックモアズを傘下に持つ事業。発酵技術を化粧品や健康食品に応用。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

倒産寸前のビール事業——グラバーが仕掛けた立て直し

1870年、横浜にアメリカ人が開いたビール醸造所は、日本の気候や需要を見誤り、開業からわずか数年で立ち行かなくなっていました。破産寸前のこの醸造所に目をつけたのが、スコットランド出身の商人トーマス・グラバーです。グラバーは日本人実業家の岩崎彌之助らを引き入れ、外国資本と日本の財界が共同で出資する形で事業を立て直しました。招いたドイツ人技術者が輸入原料で仕込んだラガーは評判を呼びましたが、事業が軌道に乗ると、三菱・明治屋・日本郵船といった日本側の出資者が主導権を握るようになります。会社は麒麟麦酒株式会社として歩み直し、経営は外国人商人の手から日本人実業家の手に移っていきました。

シェア60%からの転落——「スーパードライ」に出遅れる

1980年代半ば、キリンは国内ビール市場で60%を超えるシェアを握り、ライバル不在の首位でした。ところが1987年、朝日麦酒(現・アサヒビール)が辛口の「アサヒスーパードライ」を売り出すと、爆発的に売れて若い世代の支持を集めます。キリンはこの流行を当初一時的なものと判断し、伝統の味を大きく変える決断に踏み込めませんでした。翌々年にはシェアが48.5%まで下落し、長年の首位に陰りが見え始めます。

「一番搾り」——値上げせず売り出した社長の決断

起死回生の一手を求められた開発チームが行き着いたのは、通常なら一部しか使わない、醸造の最初に自然に流れ出る麦汁だけで仕込むという製法でした。雑味の少ない上質な仕上がりと引き換えに、原料コストは大きく膨らみます。採算をめぐって社内で慎重論も出ましたが、当時の社長は「お客様に良いものを安く提供するのが当社の責務」との考えを譲らず、値段を据え置いたまま発売する決断を下しました。1990年に売り出された「キリン一番搾り生ビール」は評判を呼び、看板商品に育っています。

持株会社への転換——医薬品事業に踏み出した

2007年、麒麟麦酒は事業ごとに子会社を切り分ける持株会社体制へ移行し、社名を「キリンホールディングス株式会社」に改めます。長年、酒類事業の浮き沈みに業績を左右されてきた会社が次の一手として選んだのは、それまで縁のなかった医薬品分野への進出でした。狙いを定めたのは協和発酵工業(現・協和キリン)で、公開買付けによる株式取得に動き、翌年には子会社化を完了させています。酒類頼みだった収益構造に、医薬品という新しい柱が加わった瞬間でした。

3,000億円の買収——ブラジル事業でつまずいた

2011年、キリンはブラジルのビール大手スキンカリオールの株式を約3,000億円で取得し、一気に海外展開へ舵を切りました。買収後の現地事業は本社の目が届きにくい分権的な体制のまま運営が続き、通貨レアルの急落で原材料費がふくらむ逆風のなかでも、立て直しの手を打てないまま時間だけが過ぎていきます。2015年、キリンは1,412億円の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。損失を計上し、上場して以来はじめての最終赤字に沈みました。ハイネケングループへの売却は、分権的な経営そのものを見直す決断でもありました。

買い手が見つからず——合弁相手に株式を手放した

2015年、キリンは国軍とつながりの深い現地企業ミャンマー・エコノミック・ホールディングス(MEHL)と手を組み、ミャンマー・ブルワリーへ51%出資する形で市場に参入しました。潮目が変わったのは2021年の軍事クーデターです。国連がMEHLを国軍の資金源だと名指しで批判したことを受け、キリンはMEHLとの関係解消に向けて動き出しました。しかし国軍と無縁の引き受け手は現れず、選択を迫られたキリンは、保有株式のすべてを合弁会社自体に引き取らせる形で事業から手を引きました。

「本麒麟」の急伸——11年ぶりに奪い返した首位

長年苦杯をなめさせられてきたキリンのビール類事業に、追い風が吹きます。2020年、価格を抑えた第3のビール「本麒麟」が、巣ごもり需要の広がりに乗って前年から約4割も販売数量を伸ばしました。値下げだけでは埋まらなかった差を、価格帯そのものを見直した新商品が一気に縮めた形です。この勢いを受け、キリンは上半期の販売数量でアサヒを逆転し、11年ぶりに首位を奪い返しています。安さに徹した一本が、長年の競争構図を塗り替えました。

ファンケル買収——発酵技術を化粧品へ向けた次の一手

酒類・飲料・医薬に続く新たな柱として、キリンはヘルスサイエンス事業の拡大を進めています。2024年、化粧品・健康食品を手がけるファンケルをTOB買収したい会社の株式を、価格・期間・株数をあらかじめ公表して市場外で買い集める手法。で完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。しました。1932年創業のオーストラリアのサプリメントメーカー、ブラックモアズもすでに傘下に収めています。ビール醸造で培った発酵・バイオテクノロジーの技術を化粧品や健康食品に応用する取り組みが、キリンの次の成長領域になっています。