きのこの山、たけのこの里で知られるこの会社は、実は医薬品もつくっている。 転機は、空襲で工場を失った1945年。お菓子ではなく抗生物質を選んだ賭けが、いまの二枚看板を生んだ。 砂糖の会社から始まったこの会社は、菓子・乳業・医薬品を一つの名前でまとめている。
創業から現在へ — ストーリー
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
明治ホールディングスは、食品と医薬品という値動きの理由が異なる2つの事業を一つの会社で持っています。食品は原材料費や為替、医薬品は薬価改定や感染症の流行状況といった、別々の外部要因に業績が左右される点を意識して決算を見る視点が参考になりそうです。
チョコレートやヨーグルト、プロテインは国内シェアが大きい既存ブランドの強さに支えられている一方、海外での売上高はグループ全体からするとまだ一部です。海外事業がどこまで伸びるかが、今後の成長余地を測る材料になりそうです。
台湾の砂糖会社が生んだ「明治」——菓子と乳業を育てた垂直統合
1906年、糖業家の相馬半治は台湾・台南に明治製糖を設立しました。相馬には「砂糖が売り先を持って初めて事業になる」という考えがあった、と伝えられています。
そこで相馬は、砂糖を大量に使う菓子と乳業の会社づくりにも関わっていきます。1916年に設立された東京菓子(のちの明治製菓)、翌年に設立された極東煉乳(のちの明治乳業)は、いずれもこの発想から生まれました。製糖・製菓・乳業という三本の柱は、1940年に極東煉乳が明治乳業へ改称したことで出そろっています。砂糖の会社である明治製糖から始まったグループが、いま「明治」という一つの名前でお菓子から医薬品までを手がけているのは、この垂直統合原材料の調達から製造、販売までの複数の工程を、一つの企業(グループ)で自社完結させる経営の形態。の名残りです。
「東京菓子」——欧州からお菓子が来なくなった日
1910年代、第一次世界大戦の影響でヨーロッパからの洋菓子輸入が途絶えました。「今こそ日本産の、上質な洋菓子を作るべきだ」という思いから、1916年、濱田録之助と相馬半治によって東京菓子株式会社が設立されます。
最初に作られたのはキャラメルやビスケットでした。翌年には同じく明治製糖の流れをくむ大正製菓と合併し、1924年には社名を明治製菓株式会社に改めています。1926年には明治ミルクチョコレートが発売され、いまも続くチョコレート事業の出発点になりました。
空襲で工場が全焼——お菓子からペニシリンへ
1945年、川崎工場が空襲で全焼しました。敗戦により海外の資産や資本関係も失い、明治製菓・明治乳業・明治製糖の三社は、それぞれ独立した会社としてやり直すことになります。
このとき経営陣が選んだのは、お菓子の復興だけではありませんでした。菓子の原料を大量培養してきた発酵技術は、抗生物質の生産にも応用できたのです。1946年にペニシリン、1950年にストレプトマイシンの製造を始め、1958年には国産初の抗生物質カナマイシンを商業化しました。空襲で失ったものの大きさが、いまの医薬品事業の出発点になっています。
3人が辞めた日——牛乳に混ざっていた魚油とヤシ油
1972年、明治乳業の牛乳に魚油やヤシ油といった異種脂肪を混ぜていたことが判明しました。
この年、社長をはじめ幹部3人が辞任したと伝えられています。消費者の信頼を大きく揺るがせる出来事になりました。
30億円の赤字——お菓子を削り、薬に賭けた1980年
1980年3月期、明治製菓の菓子部門は初の大幅赤字(30億円の欠損)を計上しました。一方、薬品部門は61億円の黒字を確保しており、菓子部門30億円の赤字に対し、薬品部門は61億円の黒字という対照的な数字が、この年の決算に並んでいます。
当時の中川社長は「菓子は嗜好品的要素が強まった」と述べ、人員削減と薬品部門への集中投資を断行しました。同年、新薬ホスホマイシンが月商10億円を超える売れ行きを記録し、菓子で稼いで薬を育てる構造から、薬品が自ら稼ぐ構造への転換が進んでいます。
「彩」誕生——ボーデンとの契約解消で開いた道
1971年から、明治乳業は米ボーデン社と共同で高級アイスクリーム「レディーボーデン」を売ってきました。ですが1990年、ボーデン社の側が契約を解消し、日本法人「ボーデン・ジャパン」を自ら設立しています。
明治乳業はこれにより、アイスクリーム・チーズ・マーガリンを合わせて年間250億円分の商権を失いました。ですが同じ年、独自ブランド「彩(AYA)」を発売し、借り物ではない自社ブランドでの展開に踏み出しています。
40万缶の無償交換——粉ミルクから検出されたセシウム
2011年、福島第一原発事故のあと、明治は粉ミルク「明治ステップ」から放射性セシウムを検出しました。埼玉工場で原料を乾燥させる工程に、大気中のセシウムが混ざったことが原因と説明されています。検出値は国の暫定規制値(1キログラムあたり200ベクレル)を下回るものでしたが、明治は対象製品約40万缶を無償交換する対応を取りました。
この問題では、混入が明治自身の検査ではなく外部のNPOによる検査・指摘で発覚したことや、対応・情報開示の遅さへの批判も報じられています。同業他社を含む食品業界全体に、原材料の放射線検査体制の見直しを迫るきっかけの一つになった出来事です。
時価総額7倍——「がらくたにしがらみつくな」の号令
2009年、明治製菓と明治乳業は持株会社明治ホールディングスとして一つになりました。時価総額株価に発行済み株式数をかけた金額。企業の大きさを市場の評価額で示す数値。は統合直後の2,297億円から、2016年には1兆6,001億円へと、7年ほどで7倍近くに膨らんでいます。
背景にあったのは、社長の「ガラクタにいつまでもしがらみつくな」という号令のもと進めた商品数の3割削減でした。カールやカルミンといったロングセラーの撤退も決断し、売上重視から利益重視へ経営の姿勢を切り替えます。食品部門の営業利益は、統合直後の114億円から2017年3月期には829億円へと7倍以上に伸びました。
「シングルサプライ」——化血研から引き継いだワクチンの使命
2015年、化学及血清療法研究所(化血研)でワクチンの不正製造が発覚しました。厚生労働大臣は「本来は医薬品製造販売業の許可の取り消し処分とすべき事案」と指摘するほどの問題でしたが、化血研が作るワクチンの多くには代わりの供給元がないという事情もありました。
2017年、明治ホールディングスは化血研の主要事業を譲り受けることを決めます。翌年、KMバイオロジクスが発足し、ヒト用・動物用のワクチンや血漿分画製剤の製造を引き継ぎました。不正の後始末という形で始まった事業が、いまはワクチンの安定供給という役割を担っています。
