パン、うどん、パスタ。原料の小麦粉を日本でいちばん多く作る会社が日清製粉グループ本社だ。 1900年、群馬・館林の小さな製粉所から始まり、海外企業の買収で世界に事業を広げてきた。 一度は上場以来はじめての赤字を経験しながら、いま稼ぐ力を取り戻しつつある。

01

創業から現在へ — ストーリー

1900 — 1908
正田貞一郎、機械製粉で館林から創業
正田貞一郎が群馬県館林で館林製粉株式会社を設立しました。資本金はわずか3万円。横浜で先に創業していた「日清製粉株式会社」が経営難に陥ると、館林製粉はこの会社を合併し、社名をそのまま引き継いで日清製粉株式会社となります。本社も東京へ移りました。
1910 — 1936
港に船を着ける「海工場」を鶴見に建てる
合併後の日清製粉は、大日本製粉の合併や名古屋・岡山・神戸への工場新設で規模を広げていきました。1926年には、港の岸壁に船を直接着けて原料を吸い上げる「海工場」を横浜・鶴見に建設します。輸入した小麦をそのまま工場へ運び込む体制が、ここで整いました。
1945 — 1957
空襲で5工場焼失、4年で立て直す
戦時中の空襲で主力の5工場が焼失しました。それでも日清製粉は終戦から4年ほどで罹災した工場の復旧と増設をほぼ完了させ、1949年には東京証券取引所に株式を上場しています。その後、鶴見と神戸の工場に、空気の力で原料を運ぶニューマチック方式の製粉設備を導入しました。
1961 — 2001
飼料・医薬・海外へ、100周年に持株会社へ
高度成長期の日清製粉は、配合飼料の部門を譲り受け、医薬品の日清化学やプラント設計の日清エンジニアリングを次々に立ち上げて多角化します。カナダのロジャーズ・フーズ取得は、はじめての海外買収でした。創業100周年の年には全事業を分社し、持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。体制へ移行します。
2008 — 2013
医薬事業を手放し、製粉と食品に集中
持株会社化のあと、日清製粉グループは事業の絞り込みを進めます。40年あまり続けてきた医薬品の事業から退き、空いた経営資源を製粉・食品へ集中させました。米国の大手製粉会社ミラー・ミリングの買収は、北米市場への本格参入となりました。
2019 — 2023
豪州買収の裏目と、創業以来はじめての赤字
オーストラリア最大手の製粉会社アライド・ピナクルを買収し、米国・カナダ・豪州の三極体制を築きました。ですがコロナ禍で計画が狂い、豪州事業でのれん企業買収の際、買収先の純資産額を上回って支払った金額を計上する無形の資産項目。を含む約558億円の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。損失を計上します。2023年3月期は上場以来はじめての最終赤字(純損失104億円)に転落しました。
2023 — 2026
値上げの力で立て直し、次はインドの壁
赤字の翌年度、日清製粉グループは原料高を販売価格へ転嫁して業績を立て直しました。一方でインドのイースト事業では糖蜜価格の上昇が響き、87億円の減損損失を計上しています。それでも2026年3月期の売上高は8,650億円まで伸びました。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.6倍

1兆円
5,000億円
2017 · · · · · · · · 2026
売上 純利益(手元に残った利益) 赤字だった年
売上
10年前
5,320億円
現在
8,650億円
約1.6倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
195億円
現在
326億円
売上100円につき約4円
従業員
10年前
6,324
現在
9,624
約1.5倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
製粉事業
小麦粉やふすまをつくる祖業であり最大の稼ぎ頭です。国内の小麦粉市場でおよそ4割の販売シェアを持ち、港に直結した工場で原料の小麦を効率よく受け入れる立地の強みを生かしています。米国・カナダ・豪州・ニュージーランドにも製粉拠点を持ち、海外での比重も高まっています。
柱 02
加工食品事業(日清製粉ウェルナ)
パスタブランド「マ・マー」や、料理用プレミックス商品を手がける事業です。小麦粉を作る会社ならではの原料知識を、家庭の食卓向け商品に生かしています。
柱 03
中食・惣菜事業(トオカツフーズ)
弁当やコンビニ向け惣菜をつくる事業です。2019年にトオカツフーズの株式を追加取得して子会社化したことで加わった柱で、共働き世帯の増加による食卓の外部化(中食化)の需要を取り込んでいます。
柱 04
酵母・健康・バイオ事業(オリエンタル酵母工業)
パン酵母や健康食品、バイオ関連製品などを手がける事業です。米国・オランダ・インドにも拠点を持ち、祖業に近い発酵技術を食品以外の分野にも広げています。
柱 05
エンジニアリング・メッシュクロス事業
プラント設計を手がける日清エンジニアリングと、工業用の網(メッシュクロス)をつくるNBCメッシュテックの2社です。製粉機とふるいの技術から派生した、規模は小さいながらも独自性の高い事業です。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

日清製粉グループは、2022年に豪州の買収先企業ののれん、2025年にインドの既存拠点の設備について、それぞれ減損損失を計上した経験があります。海外事業のニュースに接したときは、買収によるのれんの大きさだけでなく、既存拠点でも現地の原料コストや市場環境の変化で損失が出ることがある、という視点が参考になりそうです。

小麦や糖蜜といった原料の相場や為替が業績を左右しやすい構造です。原料高をどれだけ販売価格に転嫁できたかが、決算のたびに注目されるポイントになっています。

恩師に相談して選んだ道——半年の欧米視察が根幹に

正田貞一郎が製粉業を選んだのは、自分ひとりの思いつきではありませんでした。経済学者だった恩師・土子金四郎に相談したうえで、この道に進むことを決めています。

創業から十数年後、正田は半年近くをかけて欧米の製粉業を見て回りました。のちに本人が経営の根幹になったと語るほど、この視察は大きな意味を持ちます。外の世界を自分の目で確かめる姿勢が、小さな製粉所を国内最大の製粉会社へ押し上げていきました。

「日清製粉」——あとから来た会社が名前を引き継いだ

横浜には先に「日清製粉株式会社」という会社がありましたが、経営がうまくいかず苦しんでいました。1908年、正田貞一郎の館林製粉がこの会社を合併し、社名をそのまま引き継いで日清製粉株式会社になります。

本社は館林から東京・日本橋小網町へ移りました。後発の会社が、先にあった同業他社の看板を受け継ぐという珍しい形の合併でしたが、この社名がいまも証券コード2002の会社に残っています。

「海工場」——鶴見に浮かんだ800万円の賭け

日清製粉が横浜・鶴見に建てた「海工場」は、港の岸壁へ船を直接着けて小麦を吸い上げる工場でした。投資額は800万円。資本金1,200万円の会社にとって、会社の規模を超える決断です。正田貞一郎はドイツ人技師を招き、周囲の反対を押し切ってこの工場を建てました。

敷地は1万6,000坪。1万トン級の船が着岸できる吸上装置と大型のサイロを備え、日産8,000バーレルは当時の同社全体のおよそ4割にあたりました。港に直結した工場という発想は、いまも同社が海外に製粉拠点を置くときの考え方に受け継がれています。

学閥をつくらない——採用の面接に社長が座った

正田貞一郎は、新卒で入ってくる社員の面接を自分で行い、採用するかどうかも自分で決めていました。工場の設備に会社の規模を超える金額を投じた経営者は、人を選ぶ場面にも自分で座ったわけです。

特定の学校の出身者が社内で固まらないよう、学閥ができることも避けていたと伝えられています。設備を見に欧米へ渡ったのと同じで、大事なことは人任せにせず自分の目で確かめる——そういう性格の経営者でした。

ひと夏で5工場を失う——空襲に焼かれた製粉網

戦争の最後の夏、日清製粉の工場は次々と焼け落ちました。岡山を皮切りに、宇都宮、鶴見、水戸、鳥栖。主力の5工場が、わずか2か月足らずで失われたことになります。

それでも会社は止まりませんでした。原料も人手も足りないなかで罹災した工場の復旧と増設を進め、終戦から4年ほどでほぼ完了させます。焼け跡から再び全国へ粉を送り出す会社に戻るまで、そう長くはかかりませんでした。

「日清キョーリン製薬」——40年の医薬品事業に幕

医薬品を手がける日清化学は、杏林製薬と50%ずつを出し合って「日清キョーリン製薬」を立ち上げるまでに育っていました。小麦粉の会社が薬をつくるという、いまでは意外に映る組み合わせです。

その日清キョーリン製薬は、2008年に杏林製薬へ吸収合併されます。ビタミン合成の技術から始まった挑戦は、40年あまりで静かに幕を下ろしたことになりました。

店内で焼くパンの誤算——豪州買収がつまずくまで

2019年の豪州買収は、そこを足がかりに成長するアジアのベーカリー市場へ輸出を伸ばす計画とセットでした。買った相手は現地最大手のアライド・ピナクル。絵に描いたような一手に見えました。

ところが新型コロナウイルスの流行で、得意先だったインストアベーカリー(スーパーなどの店内で焼くパン売り場)の需要が落ち込みます。国境規制で輸出拡大の計画も動かせません。買った会社の価値そのものを見直さざるを得なくなり、買収額に見合う価値はないと認める判断に追い込まれました。

「マ・マー」——70年目に挑んだアルデンテ

1955年に生まれたパスタブランド「マ・マー」は、当初、女性の顧客をターゲットに開発されました。70年を経た2025年、日清製粉ウェルナは小麦粉のひき方を1年がかりで見直し、粗くひいたデュラムセモリナを増やしてアルデンテな食感を追求した商品にリニューアルしています。

同じ年、トルコの子会社で作った早ゆでスパゲティのヨーロッパ販売も始まりました。祖業の製粉技術を家庭の食卓向けに磨き続けている姿勢は、創業以来変わらない同社の性格を映しています。