野田の醸造家たちが一つにしたしょうゆブランドは、海を渡った。 和食を押し出すのではなく、現地の肉や料理に溶け込む味を提案する。 キッコーマンは、発酵食品を世界の普段着に変えてきた。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.9倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
国内でしょうゆなど伝統調味料の消費が減るなか、海外で現地の料理に合う用途をつくれるかが事業の広がりを左右しそうです。和食人気だけに頼らず、日常の肉料理や家庭料理へ入れるかを見る視点があります。
海外では、しょうゆの生産拠点を展開し、食料品卸売事業も手がけています。海外でしょうゆの製造販売と食料品卸売をどう広げるかが今後の論点になります。
200の商標——八家が一つの亀甲萬を選ぶ
野田には複数の醸造家があり、それぞれ設備と商標を持っていました。1917年、茂木家・髙梨家など一族八家は個人企業を合同し、野田醤油株式会社を設立します。
会社は発足後、ばらばらだった商標を絞り込みました。設立時に200以上あった商標は、1940年までに「キッコーマン」へ統一されます。家ごとの看板を、一つのブランドへ集めたことが、現在まで続く亀甲萬の土台になりました。
本醸造がつくれない——食糧難のなかで技術を変える
第二次世界大戦とその混乱期、食糧難によって従来の本醸造しょうゆをつくることが難しくなりました。食糧難が、長く続いた製法を揺さぶります。
キッコーマンは、国内需要をまかなうための新しい技術を開発しました。公式ブランド史は、この技術で本醸造しょうゆを守ったと説明しています。食糧難が、製造技術を変えるきっかけになりました。
赤いキャップ——栄久庵憲司が食卓の所作を変える
しょうゆは食卓に欠かせなくても、注ぎやすく、詰め替えやすい容器が必要でした。インダストリアル・デザイナーの栄久庵憲司が、卓上びんをデザインしました。
1961年、赤いキャップの卓上びんが発売されました。食卓でさっと注ぐ使い方が広まり、1993年には通商産業省の「グッドデザイン商品」に認定されます。容器のデザインが、しょうゆを使う動作まで変えました。
「Delicious on Meat」——しょうゆを肉の味にする
米国のスーパーは、1週間の売り上げが低ければ商品を棚から外します。日本の調味料を置くだけでは、顧客は生まれませんでした。
キッコーマンは法被姿で店頭に立ち、電熱器でしょうゆに浸した肉を焼き、試食を勧めました。茂木友三郎も留学中の夏休みに加わり、食事以外は立ち通しで約10時間働いたと振り返っています。肉においしいという使い方そのものを売ったことで、しょうゆは日本料理の外へ出ていきました。
純利益2〜3年分——沈黙する役員会を一言が動かす
日本から完成品を送る事業は、海上運賃と為替に採算を左右されました。しかし、発酵食品を米国で同じ味にできるのか、社内には不安が残ります。
The社史によると、計画の投資額は約1,300万米ドルで、当時の純利益2〜3年分でした。役員会が沈黙するなか、社長の茂木啓三郎が「大丈夫だ、やるんだ」と決断します。工場は稼働2年目で黒字化し、4年目に累積赤字を解消しました。輸出企業から現地生産企業へ変わる賭けでした。
「絶対に工場を作らせない」——茂木友三郎が農家を訪ねる
ウィスコンシン州ウォルワースで工場計画が伝わると、地元の農民は外国企業の進出に反対しました。業界誌には「絶対に工場を作らせない」という声も残っています。
現地を率いた茂木友三郎は農家の集まりへ出向き、個人宅を訪ねて握手を重ねました。1973年に工場が稼働すると、茂木啓三郎は「キッコーマンのアメリカ工場ではなく、アメリカのキッコーマン工場」と位置づけます。工場を建てる前に、地域との関係をつくったのです。
再販売価格の審決——しょうゆ首位企業に課された禁止措置
野田醤油は、製造したしょうゆの再販売価格を指示し、小売価格をそろえていました。公正取引委員会は1955年、この行為が他社の価格決定を支配し、東京都の取引分野で競争を実質的に制限したと認定します。
審決は、再販売価格について会社の意思を表示することや、販売業者の価格に干渉することを禁じました。その後、流通や価格形成が変わり、1993年に意思表示を禁じた部分は取り消されています。市場首位の力が競争を狭めたと認定された記録です。
商品棚——並べてもらえない壁を越える
ブラジルでは、甘く濃い色のしょうゆがすでに定着していました。後発のキッコーマンが数種類の液体調味料で参入しても、スーパーの商品棚に並べてもらえませんでした。
現地の秋元壮介らは商品をシリーズ化し、種類を増やします。やがて売り場を確保し、現地向け調味料と本醸造しょうゆを両輪で提案しました。2021年にはブラジル産本醸造しょうゆの出荷が始まります。現地の嗜好に合う液体調味料をシリーズ化した転機でした。
