眼鏡レンズの会社として知られるHOYAは、内視鏡や眼内レンズ、半導体製造を支える材料にも技術を広げてきた。 光を扱うガラスの技術は、なぜ目の医療とデジタル機器の両方へつながったのか。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上はほぼ2倍
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
ライフケアを高齢化と近視人口の増加を背景とする構造的成長領域、情報・通信を循環的需要で成長する領域とHOYAは位置付けています。二つの事業を同じ景気局面として見ず、需要の性格が異なるポートフォリオとして捉える視点が参考になりそうです。
HOYAは、弱さの兆候が出た事業で生産能力を需要に合わせ、コストを削減し、好調事業へ資源を再配分すると説明しています。事業の追加だけでなく、撤退や売却を含む資源配分をどう行うかも、今後の変化を読む材料になりそうです。
「保谷」——社名に残る光学ガラスの出発点
HOYAは1941年、東京・保谷で光学ガラスの製造を始めました。社名は、工場を置いた保谷町に由来します。地名がそのまま会社名になったことに、光学ガラスの専門メーカーとしての出発点が残っています。
HOYAは現在、日本初の光学ガラス専門メーカーとして始まったと説明しています。のちに事業は広がりますが、起点にあるのは、光を通し、曲げ、像をつくるための素材でした。
100種類超の光学ガラス——素材から製品の違いをつくる
HOYAは、ガラス組成のレシピブックに5万件超の製造方法があり、100種類を超える光学ガラスを生産するとしています。ガラス熔解、精密プレス成型、研磨、薄膜などを、コア技術として挙げています。
眼鏡レンズや眼内レンズ、半導体製造用の材料は用途が異なります。それでもHOYAの説明では、光学設計やリソグラフィーを含む技術の束が、複数の事業領域を支えています。
1967年から1991年——光学技術の用途を増やした時代
1967年に遠近両用レンズ、1972年にソフトコンタクトレンズ、1974年にIC基板を開始しました。1987年には眼内レンズと非球面モールドガラスレンズ、1991年にはHDD用ガラスディスクも加わります。
目に近いレンズと電子機器に近い材料が、同じ沿革の中に並んでいます。HOYAの事業は、光学ガラスから始めた技術を一つの製品だけに固定しなかったことで、異なる用途へ広がりました。
PENTAXの合併——医療用内視鏡を継続する選択
HOYAは2007年にPENTAXを連結子会社とし、2008年に合併しました。2011年、PENTAX Imaging Systems事業をリコーへ承継させた際、HOYAは医療用内視鏡、人工骨、音声合成をPENTAXブランドで継続運営すると発表しています。
合併後の事業をすべて抱え続けるのではなく、映像事業の売却と医療領域の継続を同時に進めました。現在のライフケア事業でPENTAXブランドの内視鏡を扱う背景には、この再編があります。
半導体の原版——マスクブランクスとフォトマスク
HOYAは、半導体チップの製造で使うマスクブランクスとフォトマスクを、ウエハーへ微細な回路パターンを転写するための原版と説明しています。EUVリソグラフィ向け製品の開発も進めています。
完成したスマートフォンやPCにHOYAの社名が見える場面は多くありません。ですが、回路を写す工程の材料を手がけることで、電子関連製品の発展を支える位置にいます。
HDD用ガラス基板——薄さと強さを両立させる
HOYAはHDD用ガラス基板について、振動・衝撃に強く、薄くしてもたわみにくい特性が大容量化に寄与すると説明しています。1991年に始めたHDD用ガラスディスクの事業は、情報・通信領域の一部です。
一方で沿革には2010年のHDD用ガラスメディア製造事業の売却も記録されています。製品を持つことと製造事業を持ち続けることを分けた判断は、事業の形を変える一例です。
サイバー攻撃後の販促投資——ライフケアを成長軌道へ戻す
HOYAはFY2024のライフケア事業について、2024年の悪意ある第三者によるサイバー攻撃と、中国市場の政策上の逆風の一部影響があったと説明しています。その後、成長軌道へ戻すために販促投資を行いました。
同じ年度、情報・通信は顧客在庫調整の影響から反発しました。二つの事業が異なる影響を受ける中で、成長軌道へ戻すために販促投資を行ったことが、HOYAのFY2024を読む一つの材料になります。
