住宅メーカーとして知られる大和ハウス工業は、1955年に石橋信夫が興した小さな会社だった。 「3時間で建つ勉強部屋」から出発し、いまは物流施設・海外事業まで手がける総合デベロッパーへと姿を変えている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.6倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
大和ハウス工業の業績は、資材価格や人件費、金利の動向に左右されやすい面があります。加えて近年は米国の住宅会社を相次いで買収しており、米国の住宅市況や為替の動きも業績に影響しうる要因として加わっています。
過去には建築基準への不適合が発覚し、対象物件が拡大した経緯があります。品質管理やコンプライアンスに関するニュースが出た際は、その後の対応や再発防止の進み具合まで追う視点が参考になりそうです。
「けんか商法」——シベリア抑留を生き延びた反骨心
石橋信夫は1921年、奈良県川上村の林業を営む家に、9人きょうだいの5番目として生まれました。地元では「けんかっ早く、血の気が多い」人物と評されていたと伝えられています。
太平洋戦争では陸軍将校として従軍し、終戦時は陸軍中尉でした。その後、シベリア抑留を経験し、1948年に復員しています。石橋は自身の闘争心について、出身地が南北朝時代に敗れた南朝ゆかりの地であることに触れ、「並外れた闘争心を持っているとすれば、それはこの村の無念が私に乗り移ったのだろう」と1991年の新聞コラムで語ったと報じられています。相手が誰であっても一歩も引かない「けんか商法」と呼ばれる営業姿勢は、この経験と無縁ではなさそうです。
猪名川のほとりで見つけた、勉強部屋のない子どもたち
1959年、鮎釣りが趣味だった石橋信夫は、猪名川のほとりで遊ぶ子どもたちと出会ったという逸話が知られています。子どもたちの多くは自分の勉強部屋を持っていませんでした。戦後のベビーブームで生まれた世代が育ち盛りを迎えていたにもかかわらず、住宅不足はまだ深刻なままだったのです。
この出会いが、のちに大ヒットする「ミゼットハウス」の出発点になったと伝えられています。
「ミゼットハウス」——3時間で建つ勉強部屋
1959年に発売された「ミゼットハウス」は、離れの勉強部屋として売り出されました。3時間で建てられ、価格は11万円程度という当時としては画期的な仕様で、「3時間で建つ勉強部屋」として全国的に爆発的な人気となりました。今日のプレハブ住宅の原点・礎と位置づけられています。
上場と多角化——流通・ホテル・海外への一歩
ミゼットハウスのヒットからほどなく、大和ハウス工業は大阪証券取引所、続いて東京証券取引所に上場しました。住宅一本足だった事業は、この時期から少しずつ形を変えていきます。
1976年には遊休地を活用する流通店舗事業を、1978年にはリゾートホテルの経営を、1980年にはホームセンター事業を、それぞれ始めました。1983年には中国・上海向けに住宅を輸出建設し、海外事業の第一歩を踏み出したと伝えられています。住宅を建てる会社から、土地の使い道を提案する会社への広がりが、この時期に始まりました。
物流施設事業への参入と、ゼネコン フジタの合流
2003年、大和ハウス工業は大型物流施設の開発に乗り出しました。インターネット通販の広がりとともに、物流施設への需要は大きく伸びていきます。
2013年には総合建設会社(ゼネコン)のフジタをグループに加えました。これにより、企画から設計・施工・運営までを一貫して手がける体制が整いました。単に建物を売る会社から、土地の活用から施設の運営までを丸ごと引き受けるデベロッパーへ。この一手が、のちの成長の土台になっています。
「あまりにもうかつに集団的な誤信」——界壁・柱の施工不良問題
2016年、社内に内部通報が寄せられました。賃貸住宅や戸建て住宅の一部で、法律上の建築確認の手続きを簡略化できる「型式適合認定」制度に定められた仕様と異なる施工をしていた、という内容です。国土交通省への報告を経て、大和ハウス工業は2019年、不適合物件が2,078棟あると公表しました。その2か月後には調査データの母数に漏れが見つかり、対象は3,975棟まで拡大しています。
賃貸住宅の廊下を支える柱に認定と異なる形状のものを使い、必要な耐火被覆がなかった事例や、基礎の高さが認定と違った事例が確認されました。外部調査委員会は、設計者らが制度の内容を十分理解していなかったことが原因だとし、「あまりにもうかつに集団的な誤信を起こした」と厳しく指摘しています。社長は「精査が行き届かなかった」と陳謝しました。
大和ハウス工業はこの後、社長直轄のコンプライアンス推進部を新設し、内部通報の外部窓口の新設や「型式適合認定」制度に関する社内資格制度の導入など、再発防止の体制づくりに取り組んでいます。本社と事業所の情報共有を見直し、リスク情報を早い段階で経営に届ける仕組みへの改善を進めました。
海外住宅M&Aの加速——「スマイルゾーン」戦略
2017年ごろから、大和ハウス工業は米国の戸建て住宅会社への投資を本格化させました。米国東海岸・南部・西海岸を結ぶエリアを同社は「スマイルゾーン」と呼び、人口が増え続ける地域を狙って住宅会社の買収を重ねています。
2026年には、米国子会社のスタンレー・マーチンを通じて、南東部で戸建て住宅事業を展開するユナイテッド・ホームズを完全子会社化しました。海外事業の売上高1兆円という目標を掲げ、日本国内で培った工業化のノウハウを、米国の住宅需要が伸びる地域に持ち込む戦略が続いています。
建設業で初めての5兆円、創業100周年へ向けて
2024年3月期、大和ハウス工業の連結売上高は5兆2,029億円となり、建設業として初めて5兆円を超えました。物流施設をはじめとする事業施設が成長をけん引した結果です。単なる住宅メーカーではなく、デベロッパーと建設会社の機能をあわせ持つ体制が、この規模を後押ししています。
創業者の石橋信夫がかつて掲げたという「売上高10兆円」という目標は、2055年の創業100周年に向けた道しるべになっています。3時間で建つ勉強部屋から始まった会社は、いまも規模を拡大し続けています。
