住宅メーカーとして知られる大和ハウス工業は、1955年に石橋信夫が興した小さな会社だった。 「3時間で建つ勉強部屋」から出発し、いまは物流施設・海外事業まで手がける総合デベロッパーへと姿を変えている。

01

創業から現在へ — ストーリー

1921 — 1955
石橋信夫、シベリア抑留を経て住宅会社を創業
石橋信夫は1921年、奈良県吉野郡川上村の林業を営む家に生まれました。太平洋戦争では陸軍将校として従軍し、終戦後はシベリア抑留を経験して1948年に復員します。過酷な抑留生活を経て「住まい」の大切さを痛感したことが、事業を始めるきっかけになったと伝えられています。1955年、18人の従業員で大和ハウス工業を創業し、創業商品「パイプハウス」を売り出しました。
1955 — 1962
「3時間で建つ勉強部屋」ミゼットハウスが大ヒット
1959年、鮎釣りに出かけた石橋は、勉強部屋も子ども部屋も持てない子どもたちを見かけたという逸話が知られています。この気づきから生まれた「ミゼットハウス」は、3時間で建てられ、価格は11万円程度という当時としては画期的な仕様で、全国的に爆発的な人気となりました。1961年には大阪証券取引所、続いて東京証券取引所に上場しています。
1961 — 1983
流通・ホテル・海外へ、事業の裾野を広げる
1970年代から80年代にかけて、大和ハウス工業は住宅以外の分野にも進出しました。遊休地を活用する流通店舗事業を始め、リゾートホテルの経営やホームセンター事業にも参入し、流通・ホテル・小売へと事業の裾野を広げました。1983年には中国・上海向けに住宅を輸出建設し、海外事業の第一歩を踏み出したと伝えられています。
2003 — 2013
物流施設事業に参入、ゼネコンのフジタも合流
2003年、大和ハウス工業は大型物流施設の開発に乗り出しました。これがのちに大きな収益の柱へと育っていきます。2013年には総合建設会社(ゼネコン)のフジタをグループに加え、企画から設計・施工・運営まで一貫して手がける体制を築きました。住宅メーカーとして始まった会社が、デベロッパーと建設会社の機能をあわせ持つようになった転機です。
2013 — 2019
界壁や柱の施工不良が発覚、建築基準への不適合
2016年、社内に内部通報が寄せられ、賃貸住宅や戸建て住宅の一部で「型式適合認定」制度に定められた仕様と異なる施工があったことが分かりました。国土交通省への報告を経て2019年に公表した不適合物件は、当初の2,078棟から3,975棟まで拡大しました。賃貸住宅の柱に認定と異なる形状のものを使ったり、基礎の高さが認定と違ったりする事例が確認されています。外部調査委員会は「あまりにもうかつに集団的な誤信を起こした」と厳しく指摘しました。
2019 — 2021
コンプライアンス専門部署を新設し、体制を立て直す
施工不良問題を受け、大和ハウス工業はガバナンス体制の見直しを決めました。社長直轄のコンプライアンス推進部を新設し、内部通報の外部窓口を新たに設けたほか、「型式適合認定」制度に関する社内資格制度も導入しています。本社と各事業所の情報共有を強化し、リスク情報を早い段階で経営に届ける仕組みづくりに取り組みました。
2017 — 2026
海外の住宅会社を相次いで買収、売上高5兆円を突破
2017年ごろから、大和ハウス工業は米国の戸建て住宅会社への投資を本格化させました。国内では物流施設の開発が業績をけん引し、2024年3月期の連結売上高は建設業で初めて5兆円を超えています。2026年には米国子会社スタンレー・マーチンを通じて南東部の住宅会社ユナイテッド・ホームズを完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。し、海外事業のさらなる拡大を進めています。
TEN YEARS

10年で、売上は約1.6倍

6兆円
3兆円
2017 · · · · · · · · 2026
売上 純利益(手元に残った利益)
売上
10年前
35,129億円
現在
55,769億円
約1.6倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
2,017億円
現在
3,506億円
売上100円につき約6円
従業員
10年前
39,770
現在
55,712
約1.4倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
戸建住宅事業
注文住宅・分譲住宅を国内外で手がける事業です。国内に加え、米国子会社のスタンレー・マーチンなど海外の戸建て事業も同じ柱に含まれます。
柱 02
賃貸住宅事業
アパートや社宅・寮などの賃貸住宅を企画・建築し、その後の賃貸管理まで一貫して支える事業です。土地を持つオーナー向けの提案営業が入り口になっています。
柱 03
商業施設事業
ショッピングセンターやロードサイド店舗、ホテルなどの企画・開発を手がける事業です。1976年の流通店舗事業への参入が、現在の商業施設事業の原型になっています。
柱 04
事業施設事業(物流施設ほか)
物流施設や工場、オフィス、データセンターなどを開発する事業です。2013年に合流したゼネコンのフジタの施工力と組み合わせ、企画から運営までを一貫して担っています。国内の成長をけん引する事業に育ちました。
柱 05
海外住宅事業
米国を中心に、複数の住宅会社を買収して展開する事業です。スタンレー・マーチンなどを通じ、人口が増えている地域を狙って戸建て住宅の供給を広げています。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

大和ハウス工業の業績は、資材価格や人件費、金利の動向に左右されやすい面があります。加えて近年は米国の住宅会社を相次いで買収しており、米国の住宅市況や為替の動きも業績に影響しうる要因として加わっています。

過去には建築基準への不適合が発覚し、対象物件が拡大した経緯があります。品質管理やコンプライアンスに関するニュースが出た際は、その後の対応や再発防止の進み具合まで追う視点が参考になりそうです。

「けんか商法」——シベリア抑留を生き延びた反骨心

石橋信夫は1921年、奈良県川上村の林業を営む家に、9人きょうだいの5番目として生まれました。地元では「けんかっ早く、血の気が多い」人物と評されていたと伝えられています。

太平洋戦争では陸軍将校として従軍し、終戦時は陸軍中尉でした。その後、シベリア抑留を経験し、1948年に復員しています。石橋は自身の闘争心について、出身地が南北朝時代に敗れた南朝ゆかりの地であることに触れ、「並外れた闘争心を持っているとすれば、それはこの村の無念が私に乗り移ったのだろう」と1991年の新聞コラムで語ったと報じられています。相手が誰であっても一歩も引かない「けんか商法」と呼ばれる営業姿勢は、この経験と無縁ではなさそうです。

猪名川のほとりで見つけた、勉強部屋のない子どもたち

1959年、鮎釣りが趣味だった石橋信夫は、猪名川のほとりで遊ぶ子どもたちと出会ったという逸話が知られています。子どもたちの多くは自分の勉強部屋を持っていませんでした。戦後のベビーブームで生まれた世代が育ち盛りを迎えていたにもかかわらず、住宅不足はまだ深刻なままだったのです。

この出会いが、のちに大ヒットする「ミゼットハウス」の出発点になったと伝えられています。

「ミゼットハウス」——3時間で建つ勉強部屋

1959年に発売された「ミゼットハウス」は、離れの勉強部屋として売り出されました。3時間で建てられ、価格は11万円程度という当時としては画期的な仕様で、「3時間で建つ勉強部屋」として全国的に爆発的な人気となりました。今日のプレハブ住宅の原点・礎と位置づけられています。

上場と多角化——流通・ホテル・海外への一歩

ミゼットハウスのヒットからほどなく、大和ハウス工業は大阪証券取引所、続いて東京証券取引所に上場しました。住宅一本足だった事業は、この時期から少しずつ形を変えていきます。

1976年には遊休地を活用する流通店舗事業を、1978年にはリゾートホテルの経営を、1980年にはホームセンター事業を、それぞれ始めました。1983年には中国・上海向けに住宅を輸出建設し、海外事業の第一歩を踏み出したと伝えられています。住宅を建てる会社から、土地の使い道を提案する会社への広がりが、この時期に始まりました。

物流施設事業への参入と、ゼネコン フジタの合流

2003年、大和ハウス工業は大型物流施設の開発に乗り出しました。インターネット通販の広がりとともに、物流施設への需要は大きく伸びていきます。

2013年には総合建設会社(ゼネコン)のフジタをグループに加えました。これにより、企画から設計・施工・運営までを一貫して手がける体制が整いました。単に建物を売る会社から、土地の活用から施設の運営までを丸ごと引き受けるデベロッパーへ。この一手が、のちの成長の土台になっています。

「あまりにもうかつに集団的な誤信」——界壁・柱の施工不良問題

2016年、社内に内部通報が寄せられました。賃貸住宅や戸建て住宅の一部で、法律上の建築確認の手続きを簡略化できる「型式適合認定」制度に定められた仕様と異なる施工をしていた、という内容です。国土交通省への報告を経て、大和ハウス工業は2019年、不適合物件が2,078棟あると公表しました。その2か月後には調査データの母数に漏れが見つかり、対象は3,975棟まで拡大しています。

賃貸住宅の廊下を支える柱に認定と異なる形状のものを使い、必要な耐火被覆がなかった事例や、基礎の高さが認定と違った事例が確認されました。外部調査委員会は、設計者らが制度の内容を十分理解していなかったことが原因だとし、「あまりにもうかつに集団的な誤信を起こした」と厳しく指摘しています。社長は「精査が行き届かなかった」と陳謝しました。

大和ハウス工業はこの後、社長直轄のコンプライアンス推進部を新設し、内部通報の外部窓口の新設や「型式適合認定」制度に関する社内資格制度の導入など、再発防止の体制づくりに取り組んでいます。本社と事業所の情報共有を見直し、リスク情報を早い段階で経営に届ける仕組みへの改善を進めました。

海外住宅M&Aの加速——「スマイルゾーン」戦略

2017年ごろから、大和ハウス工業は米国の戸建て住宅会社への投資を本格化させました。米国東海岸・南部・西海岸を結ぶエリアを同社は「スマイルゾーン」と呼び、人口が増え続ける地域を狙って住宅会社の買収を重ねています。

2026年には、米国子会社のスタンレー・マーチンを通じて、南東部で戸建て住宅事業を展開するユナイテッド・ホームズを完全子会社化しました。海外事業の売上高1兆円という目標を掲げ、日本国内で培った工業化のノウハウを、米国の住宅需要が伸びる地域に持ち込む戦略が続いています。

建設業で初めての5兆円、創業100周年へ向けて

2024年3月期、大和ハウス工業の連結売上高は5兆2,029億円となり、建設業として初めて5兆円を超えました。物流施設をはじめとする事業施設が成長をけん引した結果です。単なる住宅メーカーではなく、デベロッパーと建設会社の機能をあわせ持つ体制が、この規模を後押ししています。

創業者の石橋信夫がかつて掲げたという「売上高10兆円」という目標は、2055年の創業100周年に向けた道しるべになっています。3時間で建つ勉強部屋から始まった会社は、いまも規模を拡大し続けています。