国立競技場や青函トンネルを手がけた、スーパーゼネコンの一角、大成建設。 始まりは1873年、大倉喜八郎が興した土木請負だった。 資材高騰で14年ぶりの四半期赤字に沈んだあと、過去最高益で立ち上がっている

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創業から現在へ — ストーリー

1873 — 1917
大倉喜八郎が興した土木請負、株式会社化まで
1873年、大倉喜八郎は「大倉組商会」を設立しました。喜八郎は越後の生まれで、鰹節問屋の丁稚から身を起こした事業家です。1887年には業界初の法人建設会社「有限責任日本土木会社」が設立され、渋沢栄一ら財界人と提携しました。その後、事業は大倉喜八郎個人の経営体制(大倉土木組)に引き継がれ、1917年に株式会社大倉土木組となっています。
1917 — 1946
東京地下鉄道の完工、財閥解体による社名変更
1927年、東京地下鉄道が浅草と上野を結ぶ東洋初の地下鉄を完工させました。会社は日本土木株式会社、大倉土木株式会社と名を変えながら事業を広げましたが、太平洋戦争の敗戦後、大倉財閥はGHQの指令で解体されます。1946年、会社は「大成建設株式会社」に改称しました。「大成」は喜八郎の戒名に由来する名前です。
1949 — 1959
従業員への株式譲渡、業界初の株式上場
1949年、それまで大倉家が握っていた株式は、すべて役員・従業員へ譲渡されました。同族による支配をみずから手放した形です。この体制が土台となり、1950年代には建設業界で初めて株式を公開し、証券取引所に上場しました(公式サイトは1957年・東証、社史データベースは1956〜1959年・東名阪三取引所と記載)。
1976 — 1988
青函トンネル、吉岡工区を掘り抜く
大成建設は青函トンネルの吉岡工区を担当しました。1976年には1分間に70トンの湧水という出水事故に見舞われましたが、70日にわたる排水作業で乗り切っています。1983年の日本海中部地震のあとも全線を総点検し、本坑は1985年に貫通、1988年に開業しました。この工事で大成建設は265万時間の無災害記録を残しています。
2016 — 2023
博多陥没からリニア談合まで、逆風の時代
2016年、大成建設のJVが手がけていた福岡市の地下鉄工事現場で、博多駅前の道路が幅約27メートルにわたって陥没しました。復旧はわずか1週間で完了しています。一方、2021年にはリニア中央新幹線工事をめぐる談合事件で、大成建設と元幹部が独占禁止法企業同士の不当な競争制限やカルテル、行き過ぎた企業結合を規制する法律。違反で有罪判決を受けました。判決は2023年の控訴審でも支持されています。
2022 — 2023
資材高騰と施工不良、14年ぶりの赤字
2023年3月期には、札幌市内のビル工事で鉄骨の精度不良を現場が虚偽報告していたことが発覚し、是正費用として約240億円を計上しました。続く2023年度第1四半期には、世田谷区庁舎の工程遅延や資材高騰が重なり、工事損失引当金が534億円を超え、14年ぶりの営業赤字に転落しています
2023 — 2025
過去最高益への反転、東洋建設の買収
資材高騰の混乱を乗り越え、2025年3月期の大成建設は売上高2兆1,542億円、純利益は前期の3倍超にあたる1,238億円と、過去最高の決算を記録しました。同年には海洋土木大手の東洋建設をTOB買収したい会社の株式を、価格・期間・株数をあらかじめ公表して市場外で買い集める手法。で買収し、完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。しています。海と陸の技術を合わせ、洋上風力など新しい分野への足場を広げました。
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事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
土木事業
道路・トンネル・ダムなど社会の基盤をつくる事業です。2025年には海洋土木大手の東洋建設を買収し、陸に加えて海の工事も手がけるようになりました。洋上風力発電など、新しい領域への展開も進んでいます。
柱 02
建築事業
超高層ビルや競技場、工場などを建てる事業で、連結売上の6割超を占める最大の柱です。資材高騰による採算悪化を乗り越え、いまは黒字に回復しています。
柱 03
開発事業
オフィスやマンションなど不動産の開発・賃貸・仲介を手がける事業です。大成建設は1971年、ゼネコンの中で最も早く都市開発に取り組み始め、全国の市街地再開発事業でシェアトップとなる約2割の地区に携わってきました。
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投資指標

株価
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東証プライム
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配当利回り
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年間予想
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株価収益率
PBR
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株価純資産倍率
時価総額
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円換算
52週高値
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52週安値
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過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

ゼネコンの多くは、着工前に工事価格を固定する請負契約を結びます。完成まで数年かかる間に資材価格や人件費が上がると、契約時に見込んだ利益が目減りすることがあります。受注時点の想定と、数年後の完成時にかかった実際のコストにズレが出ていないかを見る視点が参考になりそうです。

大成建設は2025年に東洋建設を買収するなど、業界再編を主導する動きを見せています。買収した会社の技術がどう組み合わさり、成果につながっていくかを追いかける視点も参考になりそうです。

「大成」——創業者の戒名からとった社名

大成建設という名前は、1946年の財閥解体第二次大戦後、GHQの占領政策で三井・三菱・住友などの財閥系企業グループが解体された出来事。後につけられました。「大成」は、創業者・大倉喜八郎の戒名「大成院」に由来し、『孟子』の一節から取られた言葉で、「衆の長所を集めて一大長所をつくる」という意味を持ちます。「建設」は英語の「construction」の訳語で、社名にこの言葉を使ったのは大成建設が業界で最初でした。以後、他の建設会社もこれに倣うようになっています。

鰹節問屋の丁稚が興した会社

創業者の大倉喜八郎は、越後国新発田の生まれで、鰹節問屋の丁稚から身を起こした事業家です。横浜で黒船を目撃したのをきっかけに鉄砲商へ転じ、1873年には「大倉組商会」を設立しました。民間人として初めて長期の欧米視察を行い、ロンドンに支店を開くなど、先を読む力に長けていたと大成建設は説明しています。帝国ホテルやサッポロビール、帝国劇場など、事業の幅は建設にとどまりませんでした。

東京地下鉄道——東洋で最初の地下鉄工事

1927年、東京地下鉄道は浅草と上野を結ぶ区間を完工させました。東洋で最初の地下鉄工事と大成建設は位置づけています。当時の社名は日本土木株式会社で、土木請負の会社が地下という新しい領域に踏み出した出来事でした。

同族支配を自ら手放した会社

戦後、財閥解体で大倉財閥は解体されましたが、大成建設はそこで立ち止まりませんでした。1949年、それまで大倉家が握っていた株式のすべてを役員・従業員へ譲渡し、資本と経営を切り離しています。この体制づくりが、1950年代の株式上場や、その後の合議制経営につながっていったと見られています。

青函トンネル、1分間70トンの湧水と70日間

大成建設は青函トンネルの吉岡工区を担当しました。1976年、掘削現場は1分間に70トンという大量の湧水に見舞われます。作業員たちは70日にわたる排水作業でこれを乗り切りました。1983年の日本海中部地震のあとも全線を総点検し、本坑は1985年に貫通、1988年に開業しています。この工事で大成建設は265万時間の無災害記録を残しました。

白紙撤回された競技場と、隈研吾との再挑戦

新しい国立競技場は当初、ザハ・ハディド氏の案が採用されていましたが、工事費が1,300億円程度から2,520億円まで膨らみ、白紙撤回されました。2015年、大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所の共同企業体が改めて選ばれ、整備費約1,569億円、政府が定めた上限以内に収めて2019年に完成させています。大成建設が国立競技場を手がけたのはこれで3度目でした。

「博多陥没」、1週間で消えた30メートルの穴

2016年、大成建設のJVが手がけていた福岡市の地下鉄工事現場で、博多駅前の道路が長さ約30メートル、深さ約15メートルにわたって陥没しました。周辺ビルには避難勧告が出て、約800戸が停電する事態になりました。ですが、復旧はわずか1週間で完了し、その速さは世界からも注目されたと報じられています。賠償費用はJV各社が全額を負担することで決着しました。

リニア談合、有罪判決という記録

2021年、リニア中央新幹線の建設工事をめぐる談合事件で、大成建設と元常務執行役員が独占禁止法違反の罪に問われ、東京地裁は有罪を言い渡しました。法人としての大成建設には罰金2億5,000万円が科されています。裁判長は判決理由で、国家的プロジェクトでの受注調整が建設業界への信頼を損なったと述べました。2023年の控訴審でも一審判決は支持されています。

「陸と海」——東洋建設買収で見えた新しい大成建設

2023年度第1四半期、大成建設は資材高騰と工程遅延で14年ぶりの営業赤字に沈みました。ですが、2025年3月期には売上高2兆1,542億円、純利益1,238億円の過去最高益に回復しています。同じ2025年、大成建設は海洋土木大手の東洋建設をTOBで買収しました。田中茂義会長は「陸と海の相互補完」と表現し、洋上風力など新しい分野への足場を広げています。