クロネコヤマトの宅急便で知られる、ヤマトホールディングス。 郵便小包しかなかった時代に、「電話一本で家庭まで集荷に伺う」仕組みを持ち込み、日本の物流を作り変えた。 いまは宅急便一本足からの脱却に挑んでいる。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.3倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
宅急便は個人利用者から見れば身近なサービスですが、収益の多くは法人の荷主との契約に左右されます。大口顧客との価格交渉力がどう変化するかは、業績を読むうえで見ておきたい視点です。
運送業界はドライバーの残業規制という「2024年問題」に直面しています。かつてのライバル企業同士が手を組む動きが今後も広がるかどうかは、業界の構造そのものを見る手がかりになりそうです。
ロンドンで見た「カーターパターソン」の仕組み——日本初の路線事業
1927年、小倉康臣はロンドンで開かれた万国自動車運輸会議に日本代表として派遣されました。現地で出会ったのが、イギリスの運送会社カーターパターソン社が走らせていた定期便です。決まった時間に決まった区間を走り、荷物を積み合わせて運ぶという仕組みに、日本の運送業の将来を見たと伝えられています。
帰国後の1929年、大和運輸は東京-横浜間で定期積み合わせ輸送を始めました。これが日本で最初の路線事業と言われています。1935年には関東一円に路線網が広がり、名称も「大和便」に改められました。戦争でいったん止まった路線網は、1949年までにほぼ戦前の姿を取り戻しています。
「careful handling」——ネコマークに込められた思い
1957年、大和運輸はアメリカの引っ越し輸送会社、アライド・ヴァン・ラインズ社と業務提携しました。同社が使っていた親子猫のマークには「careful handling(丁寧な荷扱い)」という意味が込められていました。この考え方に共感した小倉康臣は、担当者から使用許諾を得て、自社のマークとして採用します。
デザインを手がけたのは広報担当の清水武で、自分の娘がクレヨンで描いた親子猫の絵をヒントにしたといいます。マークは1985年に会社の準社章となり、「クロネコヤマト」の愛称で親しまれるシンボルになりました。
宅急便誕生、ひっそりとした船出
1973年のオイルショックで、大和運輸の経営は苦しくなっていました。社長の小倉昌男は、デパートの外商配送のような法人向け事業から、「電話一本で家庭に集荷に伺う」個人向けの小口配送に事業を絞り込む決断をします。専務時代にこの構想を出した際は、社長をはじめ社内のほぼ全員が反対したと伝えられています。
1976年、宅急便は関東一円でひっそりと始まりました。対応できたのは日本全国の面積のわずか3.4%、人口の25.4%にすぎません。それでも、それまで郵便小包しか選べなかった個人の荷物を、民間企業が家庭から家庭へ届ける仕組みが生まれた瞬間でした。
三越との決別——「ネコがライオンにかみついた」
大和運輸は創業直後から、百貨店・三越の配送を一手に引き受ける契約業者でした。ですが1979年、三越側から映画の前売券の大量購入を求められるなど、運送料金を巡る対立も重なったことをきっかけに、小倉昌男は取引契約を解除する決断をします。
有力な顧客を自ら手放したこの決断は、「ネコがライオンにかみついた」と評されました。取引が一部再開したのは1994年、全面的な再開は三越と伊勢丹が経営統合した後の2010年のことです。実に31年越しの和解でした。
橋本運輸大臣を訴えた、前代未聞の経営判断
宅急便を全国に広げるには、都道府県ごとに運輸省の路線免許が必要でした。ですが地元の運送業者の反対を理由に、免許はなかなか下りません。ヤマトが申請しても5年近く認可が出ない状態が続きました。
1986年、小倉昌男は不作為の違法を理由に、当時の運輸大臣・橋本龍太郎を相手取った行政訴訟に踏み切ります。監督官庁を事業者が訴えるのは前代未聞のことでした。提訴からおよそ4か月後、免許は認可されています。公聴会での陳述や地方業者との提携も重ね、宅急便網は少しずつ全国ネットワークへと広がっていきました。
「1万円からの脱却」——小倉昌男とスワンベーカリー
1993年、小倉昌男は私財と社員の賛助会費を元手にヤマト福祉財団を設立しました。1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに障害者施設を訪ねた昌男が目にしたのは、月給が1万円に満たない働き手たちの姿でした。
昌男は「1万円からの脱却」を掲げてパン屋の経営支援に乗り出し、1998年、パン製造大手の協力を得て銀座に「スワンベーカリー」1号店を開きます。障害のある人と健常者がともに製造・接客を担う店は、2019年時点で全国約30店舗まで広がっています。
230億円の代償——未払い残業代と、働き方改革への転換
ネット通販の拡大で、宅急便の取扱個数は右肩上がりに増えていきました。その裏でドライバーの労働時間は膨らみ、2017年、ヤマトホールディングスは未払い残業代約190億円を一括で計上する事態になります。当初の対象は約4万7,000人でしたが、追加調査で約5万9,000人に広がり、金額も総額約230億円に拡大したと報じられました。
ヤマトはこれを機に、荷受け量を抑える「宅急便の総量コントロール」を掲げ、大口法人顧客への出荷調整の要請と法人運賃の見直し、27年ぶりとなる個人向け運賃の値上げに踏み切ります。その後、アマゾンが自前の配送網を広げたこともあり、民間調査の推計では、アマゾンの荷物のうちヤマトが運ぶ割合は2017年の7割超から2019年には3割程度まで下がったとされています。大口顧客に依存しない体制づくりは、ここから始まった課題です。
日本郵便との「歴史的提携」——2024年問題に挑む新体制
2023年、ヤマトは長年のライバルだった日本郵便との基本合意を締結しました。
ヤマトの「クロネコDM便」を日本郵便の配送網に乗せる「クロネコゆうメール(仮称)」、小型薄物荷物を届ける「クロネコゆうパケット(仮称)」など、競合同士が配送網を融通し合う新しい形です。背景にあるのは、トラック運転手の残業規制で輸送力不足が懸念される「2024年問題」。宅急便を生んだ会社は、いま業界の垣根を越えた協業の当事者になっています。
