東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを運営する、オリエンタルランド。 浦安沖の埋立地で、ディズニーとは資本でつながらない独占契約を結んだ。 いまも新しい海のエリアと客船事業に、次の50年を賭けている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.5倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
オリエンタルランドの収益は、ディズニーとの独占ライセンス契約(2076年まで延長)と、代わりがきかない立地に強く支えられています。この一社依存の構造が、将来どう更新されていくかは長い目で見ておきたい論点です。
近年の増収は、入園者数の増加よりも値上げによるゲスト1人あたり支払い額の上昇が中心です。2028年度にはクルーズ事業への参入も計画されており、テーマパーク以外の収益源がどう育つかも注目点になりそうです。
川崎千春、ロサンゼルスでの感銘からの出発
1958年、京成電鉄社長の川崎千春はアメリカを訪れた際、開業間もないカリフォルニアのディズニーランドに立ち寄りました。私鉄の沿線開発を成長の柱としてきた川崎は、東京近郊にも同じような集客施設を作れないかと考えます。
三井不動産社長の江戸英雄に協力を求め、1960年、京成電鉄・三井不動産・朝日土地興業の出資でオリエンタルランドが設立されました。事務所は京成電鉄本社の一角、机3つの体制からの出発です。テーマパークではなく、埋立地の交渉組織として始まった会社でした。
「連日連夜の酒席」——4年がかりの漁業補償交渉
設立直後、オリエンタルランドの実質的な仕事は浦安沖の漁業補償交渉でした。専務の高橋政知が交渉の矢面に立ち、漁業関係者との信頼関係づくりに連日連夜の酒席を重ねた、と伝えられています。
キーパーソンを見極めて先に口説く高橋の交渉術で、4年がかりの末に合意が成立。1964年に埋立工事が始まり、11年をかけて1975年に広大な埋立地が完成しました。テーマパークの舞台は、開業の23年も前から準備が始まっていたことになります。
三井不動産の反対を押し切った1977年の決断
1970年代半ば、筆頭株主の京成電鉄が不動産投資の失敗で経営が揺らぎ、ディズニー誘致の求心力も低下しました。1977年には大株主の三井不動産が誘致計画そのものの中止を要請し、埋立地を住宅用地として分譲する方針を主張します。
短期の収益回収なら住宅分譲の方が合理的でした。しかし高橋政知はこれを退け、千葉県知事とも連携して計画を続行。1978年に社長へ就任し、株主の反対を押し切って超長期投資の道を選びました。この判断が、のちの事業基盤になります。
資本を持たない「独占契約」——1979年、ディズニーとの取り決め
1979年、オリエンタルランドは米ウォルト・ディズニー・プロダクションズと契約を結びました。入園料収入の一部、商品販売・飲食収入の一部をロイヤリティとして支払う一方、ディズニー社からの出資や資本参加は一切ないという契約形式です。
当時のディズニー社は経営が苦しく、自ら投資する余力がありませんでした。結果として、利益の大部分をオリエンタルランドが自社に留保できる構造が生まれ、その後の再投資の原資になったと報じられています。
「黒船以来」の衝撃——開業初年度993万人
1980年の暮れに着工した東京ディズニーランドは、1983年に開業しました。総工費は約1,500億円。当時の全国の遊園地市場全体に匹敵する額を、単一の施設に投じる異例の投資でした。
開業初年度の入園者数は993万人に達します。ケタ違いの規模で現れたテーマパークは「黒船以来の事件」とも呼ばれ、周辺の遊園地は平均で1割の客をTDLに奪われたと報じられています。
白紙に戻った第二パーク構想
1988年、東京ディズニーランド開業5周年の記者会見で、オリエンタルランドは映画スタジオ型の「第二パーク構想」を発表しました。フロリダのディズニー・MGM・スタジオをモデルにした施設です。
しかし社内では、日本では映画文化に馴染みがなく将来性に懸念があるとの声が強まります。1991年、帝国ホテルでの会談で構想の中止を正式に通告し、1992年に白紙撤回。ディズニー社の社長は落胆したと伝えられていますが、この見直しが、のちの東京ディズニーシーという新しいコンセプトにつながりました。
東京ディズニーシー開業、高橋政知の誕生日と重なった日
白紙撤回のあと、ディズニー社から示された「セブン・シーズ(7つの海)」構想をもとに再検討が進みます。1996年、総投資額約3,350億円で東京ディズニーシーの建設が決まり、資金調達のため同じ年の暮れ、オリエンタルランドは東証一部東京証券取引所の上場区分の一つ。2022年の市場再編で、上場企業はプライム・スタンダード・グロースの3区分に分けられた(それ以前は市場第一部・第二部やマザーズと呼ばれていた)。に上場しました。設立から36年続いた非上場体制の転換点です。
2001年、東京ディズニーシーが開業しました。この開業日は、ディズニー誘致に生涯を捧げた高橋政知の誕生日にあたります。高橋は開業を待たずに2000年の年明けに他界しており、パークには「パークをこの2人に捧げる」というプラークが設置されました。
「交際費」課税——清掃委託料をめぐる訴訟
2005年、報道によって、1984年から続いていた右翼団体関連企業への清掃業務委託の実態が明らかになりました。委託料の一部が、実質的には謝礼にあたるのではないかという疑いです。
この委託料が課税対象の「交際費」にあたるかどうかをめぐる訴訟は、2010年に最高裁がオリエンタルランド側の上告を退け、敗訴が確定しました。夢の国のイメージとは異なる、企業としての苦い記録です。
「ぬいぐるみと段ボール」——東日本大震災の夜
2011年、東日本大震災が発生した日、東京ディズニーリゾートには約7万人の来園者がおり、うち約2万人が帰宅できず園内で夜を明かしました。周辺の浦安市一帯は地盤の液状化に見舞われ、東京ディズニーリゾートは施設点検のため一時運営を見合わせました。
避難した来園者に、キャストは備蓄の非常食を配りました。あるキャストは売り物のぬいぐるみを配り、防寒と防災頭巾の代わりにしてもらいました。別のキャストは、普段は見せてはいけない段ボールを寒さしのぎに配ったと伝えられています。その後、東京ディズニーランドは開業日と同じ日付で営業を再開しました。
コロナ禍の赤字でも止めなかった投資、そして過去最高益へ
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大で東京ディズニーリゾートは臨時休園に追い込まれました。2021年3月期の売上高は前年から6割超減り、開業以来初となる通期の最終赤字を計上します。
それでもオリエンタルランドは、2018年に決めた東京ディズニーシー拡張への投資(当初計画は約2,500億円)を撤回しませんでした。2024年、新エリア「ファンタジースプリングス」を開業し、最終的な総投資額は約3,200億円に達しました。同年にはディズニークルーズ事業のライセンス契約も締結。2025年3月期の売上高・営業利益はいずれも過去最高を更新しています。
