セブン-イレブンを傘下に持つセブン&アイ・ホールディングス。 1973年に始めた小さな1号店を、単品管理という日本発の仕組みで国内小売業トップに育てた。 創業家も、海外の巨大企業も、この会社を思いのままにはできなかった。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.8倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
セブン&アイは2024年以降、買収提案や創業家によるMBO構想など経営権をめぐる動きが相次ぎました。祖業以外を切り離しコンビニに集中する流れが続くかが注目点です。
米国事業はガソリンスタンド併設店が多く、原油価格や為替に業績が左右されやすい構造です。国内事業とは異なる外部要因を割り引いて見る視点が参考になります。
兄の急逝——伊藤雅俊が「羊華堂」を継いで立て直した
店を継いだ兄の伊藤譲は、持病の喘息を悪化させて44歳の若さで急逝します。まだ30代だった弟の雅俊が急きょ後を継ぎ、経営の舵を取ることになりました。跡取りのいなかった浅草の小さな洋品店から、のちに全国へ広がる巨大流通グループが生まれています。
「時期尚早」——反対を押し切った、コンビニという賭け
当時のイトーヨーカ堂は大型店「イトーヨーカドー」の拡大に力を注いでおり、コンビニのような小型店の多店舗展開には社内の反対が根強かったといいます。背景には、大型店の出店で地元の小売店から反対運動を受けてきた自社の経験がありました。鈴木敏文は、小規模な商店と大型店が共存できる仕組みをコンビニに見出し、1974年、豊洲に国内1号店を開きました。
POS導入——勘に頼っていた発注を、データが変えた
1982年、セブン-イレブンはPOSシステムを導入しました。当時の米国にも同様の機器はありましたが、主にレジの省力化や不正防止が目的で、販売動向をつかむための活用は行われていませんでした。商品ごとに「何が、いつ、何個売れたか」を追いかける発想は世界初だったといい、売れ筋と死に筋を経験と勘でなくデータで見極める「単品管理」へつながります。地域を集中して出店する「ドミナント戦略」と組み合わせ、鮮度の高い品ぞろえと欠品の少なさを両立させました。
「弟子が師匠を買う」——破産した米国本社を立て直す
経営難に陥ったサウスランド社を、イトーヨーカ堂とセブン-イレブン・ジャパンは1991年、4億3,000万ドルを出資してサウスランド株式の約7割を取得し、救い出しました。鈴木敏文が米国店舗を視察すると、照明は薄暗く、値引き販売が常態化するなど、コンビニとして機能していない状態だったと伝えられています。日本側は値引き販売をやめさせ、店内を改装し、単品管理を持ち込みました。3年目には店舗が黒字化し、サウスランドはセブン-イレブン・インクへ社名を変え、その後株式を再上場しています。かつて仕組みを教わった側が、教えた側を立て直す側に回った出来事でした。
「素人には無理」——それでも走り出したセブン銀行
鈴木敏文の発案でイトーヨーカ堂グループはアイワイバンク銀行(現セブン銀行)を設立しました。コンビニの来店客に対する調査で、ATM設置の要望が年々高まっていたことが事業化の後押しになったといいます。金融業界には手数料モデルへの懐疑や、流通業による銀行運営を疑問視する声もあったといいます。それでも元日銀理事で日本長期信用銀行頭取を務めた安斎隆を初代社長に迎え、提携先銀行が自らATM手数料を設定できる契約形態を提示して、地方銀行や信用金庫との提携を1行ずつ広げていきました。開業当初は赤字でしたが、開業3年目の2003年度に単年度黒字化。2年後には累積損失を解消し、翌々年にはジャスダック上場も果たしています。
社長交代人事の否決——鈴木敏文が40年の経営から退いた
2016年、鈴木敏文はセブン-イレブン・ジャパンの井阪隆一社長を交代させる人事案を取締役会に諮りました。セブン-イレブンが5期連続で最高益を更新していたこともあり、指名報酬委員会では社外取締役が反対し、投資ファンドからも批判の声が上がったといいます。取締役会では無記名投票が実施され、賛成7票・反対6票・白票2票で、過半数に届かず人事案は否決されました。鈴木は記者会見で経営からの引退を表明し、約40年にわたる経営の中心的な役割を退きました。
物言う株主の書簡——そごう・西武、8,500万円で消えた
イトーヨーカ堂を祖業とするセブン&アイですが、傘下に加えた百貨店事業は長く苦戦が続きました。株式の一部を保有する物言う株主投資先企業の経営方針に対し、株主提案や公開の意見表明などで積極的に働きかける投資家。から事業構造の見直しを求める書簡が届き、経営陣は選択肢の検討を進めます。そごう・西武の企業価値は約2,200億円と評価されましたが、有利子負債を差し引くと実質的な譲渡価額はわずか8,500万円でした。セブン&アイはこの売却で巨額の特別損失を計上しています。
「誤った記述」への反論——買収提案は決裂した
クシュタール社は撤回にあたり、世界経済や為替の変化、米国独占禁止法企業同士の不当な競争制限やカルテル、行き過ぎた企業結合を規制する法律。上のハードルを理由に挙げました。セブン&アイは相手方の発表内容について「数多くの誤った記述がある」と反論し、単独での企業価値向上を続ける方針を示しています。創業家によるMBO構想も、1兆円超の出資を予定していた伊藤忠商事の離脱が直接の引き金となり、資金調達の見通しが立たなくなっていました。
