坂本龍馬の海援隊を継いだ船の商いから、三菱は始まった。 太平洋戦争の敗戦で一度は解体されたが、4社の合同で生まれ変わった。 コンビニのローソンから銅山まで、資源と暮らしの両方に足場を持つに至った。

01

創業から現在へ — ストーリー

1870
岩崎彌太郎が、九十九商会を引き継ぐ
後藤象二郎ら土佐藩の有力者が興した私商社「九十九商会」を、岩崎彌太郎が引き継いだ。社名を三菱商会と改め、みずから社主となる。海運業が、三菱の商いの原点である。
1918
三菱商事株式会社が誕生
三菱合資会社の営業部門が分離するかたちで、三菱商事株式会社が設立された。海運業から始まった三菱の商いは、ここで独立した商社として新たな一歩を踏み出す。
1947
GHQに解散を命じられる
太平洋戦争の敗戦で三菱商事はGHQに解散を命じられ、長年の商権とのれん企業買収の際、買収先の純資産額を上回って支払った金額を計上する無形の資産項目。を失った。分裂した商社はのちに合同し、総合商社として新発足、株式を上場する。
1968
ブルネイLNGに参画
シェルから持ちかけられたブルネイLNG開発の共同出資に、藤野忠次郎社長は事業投資への転換を決断した。交渉を重ね、合弁契約を結ぶ。
1986
経営計画「K-PLAN」を発表
三菱商事は経営計画「K-PLAN」を発表した。取引だけでは利益が乏しく、海外投資の配当に頼っていた弱点を踏まえ、売上高より収益を重視する方針へ転換する。
2011
チリの銅鉱山会社株式を取得
チリの銅鉱山会社アングロ・アメリカン・スールの株式24.5%を約4200億円で取得した。
2020
バフェットが、三菱商事へ出資
バークシャー・ハサウェイが三菱商事など5大商社株式5%超取得を公表した。三菱商事は中部電力と欧州のエネルギー会社を買収した。
TEN YEARS

10年で、売上はほぼ3倍

25兆円
12.5兆円
2016 · · · · · · · · 2025
売上 純利益(会社に残った利益)
売上
10年前
64,258億円
↓
現在
189,160億円
ほぼ3倍
純利益
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
10年前
4,403億円
↓
現在
8,005億円
売上100円につき約4円
従業員
10年前
77,164人
↓
現在
63,037人
約18%減少
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
エネルギー事業
天然ガスの開発から、欧州の再生可能エネルギー発電・電力小売まで担います。
柱 02
金属資源事業
銅や原料炭、リチウムなど電池関連の鉱物まで、世界各地で投資と開発を担います。
柱 03
食品・生活産業事業
穀物や水産物の調達から、コンビニのローソンなど暮らしに身近な事業まで手がけます。
柱 04
社会インフラ事業
都市開発やデータセンター、船舶や防衛関連の機器まで、社会の基盤をつくる事業です。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

「九十九商会」——海援隊を継いだ、三菱の船出

三菱の起源は、坂本龍馬が率いた海援隊にあるとされています。龍馬が非業の死を遂げたのち、その後始末を託されたのが後藤象二郎でした。

海運の実務に通じた人材が乏しいなか、経営の一切を任されたのが、まだ無名だった岩崎彌太郎です。この経営を託されたことが、のちに三菱グループへと育つ商いの、最初の一歩になりました。

九十九商会の船旗——三角の意匠が、スリーダイヤへ育った

創業したばかりの九十九商会は、船に掲げる旗印として三角形を組み合わせた意匠を採用しました。この図柄が、「スリーダイヤ」の原型になったと三菱グループは説明しています。

岩崎家の家紋「三階菱」と、土佐藩主・山内家の家紋「三ツ柏」を組み合わせたものと伝えられています。

「三綱領」——処事光明を掲げた企業理念

1920年、四代目社長の岩崎小彌太は、三菱商事の幹部を集め、「一攫千金を狙うような暴利の獲得を目的とする投機に走ってはならない」と訓示しました。この考え方は1934年、旧三菱商事の行動指針「三綱領三菱グループの経営理念。「事業を通じて社会に貢献する(所期奉公)」「公明正大で品格のある行動をとる(処事光明)」「世界を視野に事業を行う(立業貿易)」という3つの心得。」として制定されます。

所期奉公・処事光明・立業貿易。この3つの言葉は、旧三菱商事がいったん解散したあとも企業理念として引き継がれ、三菱商事にも受け継がれています。

GHQの解体命令——岩崎小彌太は正面から抗った

1945年、GHQは財閥解体第二次大戦後、GHQの占領政策で三井・三菱・住友などの財閥系企業グループが解体された出来事。の方針を打ち出しました。四代目社長の岩崎小彌太は、「三菱は国家社会に対していまだかつて不信の行為をしたことはなく、なんら恥ずべき事はない」と、解体の要求に異を唱えたと伝えられています。

それでも占領下の日本に、この主張を押し通す力は残っていませんでした。翌1946年、持株会社他の会社の株式を保有し、グループ全体の経営管理を担う会社。自らは事業を行わないことが多い。の三菱本社は解散し、三菱各社はそれぞれ独立した会社としての道を歩み始めます。三菱商事もこの後、同じ運命をたどりました。

藤野社長が懸けた——「失敗したら三つつぶれる」

投資額は1億2500万ドル、当時の資本金をはるかに上回る規模でした。社内では「失敗したら三菱商事が三つつぶれる」とまで言われるほどの賭けです。

それでも藤野忠次郎社長のもと、現場は交渉を重ねて調印にこぎつけました。数年後、ブルネイからのLNG船が初めて大阪に入港し、社運を賭けた挑戦は実を結びます。

「K-PLAN」——見えていたのに直せなかった弱点

1986年、三菱商事は経営計画「K-PLAN」を発表しました。通常の取引利益だけではコストを賄えず、過去の海外投資からの配当で会社の業績を支えている、という自社の弱点を踏まえたものです。社長に就任したばかりの諸橋晋六が、この改革を主導しました。

ですがこの方針は、その後の資源高の波にかき消されます。新興国需要で資源価格が上がると、掘れば売れる利益がかつての教訓を覆い隠し、三菱商事は資源投資をふたたび積み増していきます。

4,300億円の衝撃——減損が変えた三菱商事の経営

三菱商事はチリの銅鉱山会社アングロ・アメリカン・スール(AAS)の株式を取得していましたが、銅市況が反転すると、2016年3月期に4,300億円の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。損失を計上し、創立以来はじめての赤字に沈みました。

この赤字をきっかけに、三菱商事は財務規律の立て直しに動きます。その年に就任した垣内威彦社長は資源偏重からの脱却を掲げ、Enecoの買収など非資源分野への投資を広げました。数年後には、過去最高となる純利益を計上するまでに回復しています。

バフェットの出資——根づいた株主を意識する経営

2020年、著名投資家ウォーレン・バフェット氏率いるバークシャー・ハサウェイは、三菱商事を含む5大総合商社の株式を、それぞれ5%超取得したと公表しました。発表当日、東証の卸売株指数は全33業種の中で上げ幅首位に立ちました。

この出資をきっかけに海外投資家の保有比率が上がり、2022年に就任した中西勝也社長は「循環型成長モデル」を掲げ、事業を継続的に入れ替えていく経営へと転換を進めました。

共同経営への転換——伊藤忠とは真逆の道をローソンで選んだ

三菱商事とローソンの関わりは、2000年にダイエーからローソン株を取得し、資本業務提携出資を伴いながら、特定の事業で協力関係を結ぶ提携の形態。を結んだことに始まります。その後子会社化して売り場改革を進めましたが、日販などで王者セブン-イレブンとの差は縮まりませんでした。

三菱商事はKDDIとの間でローソンを非上場化し、共同経営する契約を結びます。ローソンは連結子会社親会社の決算に売上・利益をまとめて計上する子会社。親会社が過半数の議決権を持つ会社などが対象。から持分法適用会社議決権の20〜50%程度を持つなど、経営に重要な影響を与えられる会社。連結決算では利益の持ち分だけを反映する。になりました。ファミリーマートを完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。した伊藤忠商事とは、真逆の選択でした。