ソフトバンクグループを一代で築き上げた経営者、孫正義。 2023年、彼が7年前に買収した英国の半導体設計会社が、ナスダックで新たな評価を受けました。 高校を中退して渡米した青年は、なぜ半導体からAIまで、次々と巨大な賭けに出続けるのでしょうか。 差別を受けた少年時代、みかん箱の上の宣言、そして幾度もの暴落。 一代で築かれた投資会社の芯にある「志」を追います。
ナスダックに鳴った鐘
2023年の秋、ニューヨークのナスダック・マーケットサイトに、英国の半導体設計会社アームの経営陣が並びました。最高経営責任者のレネ・ハースをはじめとする幹部たちが、上場記念の鐘の前で歓声を上げます。取引開始とともに株価は初値で56.10ドルをつけました。その日のうちに、株価は63.59ドルまで上がりました。売り出し価格51ドルから、25%近い上昇です。
この年、AIという言葉は、投資の世界で急速に存在感を増していました。半導体設計という地味な業種に見えたアームが、その年最大級の新規株式公開になった背景にも、AI向け半導体需要の拡大という追い風がありました。
この上場で、アームの時価総額は一時600億ドル近くまで評価されました。発行済み株式の約9割を握るのが、ソフトバンクグループです。会場に姿を見せた孫正義は、アームの回路設計技術が人工知能(AI)向けの半導体にも使われている点を強調し、保有する株式をできる限り長く持ち続けたいという考えを述べたと報じられています。
アームは2016年、孫正義が3.3兆円で買収した会社でした。買収価格は、買収発表前の株価に43%もの上乗せをした水準です。孫氏は買収にあたって、英国内の雇用を5年で倍増させるという約束もしています。買収資金の多くは、みずほ銀行からの1兆円規模の融資と、ソフトバンクグループの手元資金でまかなわれました。買収から7年後のこの日、当初の買収額を大きく上回る評価がついたことになります。
上場にあたっては、アップルやエヌビディア、サムスン、AMD、インテルといった半導体大手が、戦略的な株主として合わせて7億3,500万ドル分の株式を買い付けました。アームの最高財務責任者は、同社の収益構造についてこう表現したと報じられています。「古い製品からずっと使用料が入り続ける、ビートルズのカタログのようなものだ」。実際、2022年の使用料収入の半分近くは、1990年代から2010年代前半にかけて発売された古い設計から生まれていました。スマートフォン向け半導体のほぼすべてに、アームの回路設計が使われています。
ですが、この日の高揚は、孫正義という経営者の一面にすぎません。同じ数年の間に、彼は数兆円規模の損失も経験しています。なぜこの人物は、これほどの振れ幅を持つ賭けを、40年以上にわたって繰り返せるのでしょうか。答えを探るには、時計の針を大きく戻す必要があります。ひとりの少年が、投げつけられた石で頭から血を流していた時代まで。
「朝鮮人」と呼ばれた少年の反骨
孫正義は1957年に生まれました。在日韓国人という出自を理由に、幼い頃から差別を受けたと本人が明らかにしています。幼稚園の頃、日本人の子どもから「朝鮮人」と罵られ、投げつけられた石で頭から血を流したという体験を、孫氏自身が後年のインタビューで語っています。
16歳でアメリカに渡るまで、孫氏は「安本正義」という日本名を使っていました。会社を創業する際、親族が使う「安本」と、先祖代々の「孫」のどちらを名乗るか、選択を迫られます。周囲の反対を押し切って本名の「孫」を選んだ理由について、孫氏はこう振り返っています。「差別反対と言うより100万倍効果がある」。つらい思いをしている在日の子どもたちに、先祖代々の名前を堂々と名乗ってもやっていけるという事例を、自分の姿で示したかったのだと語られています。
孫氏は高校1年で中退し、単身アメリカに渡りました。カリフォルニアの語学学校を経て現地の高校に編入し、その後カリフォルニア大学バークレー校の経済学部に3年生として編入しています。日本の高校を離れてからアメリカの大学に進むまで、わずか数年での駆け上がりでした。
「俺は小学生、中学生の時に自殺したいぐらい悩んだんだ」——差別の重さについて、孫氏はこの言葉を公の場で使っています。生まれ育った環境への反骨心が、後の彼の行動原理の底に流れていると見ることができます。
名前を巡るこの決断は、単なる個人的な選択にとどまりませんでした。孫氏は、差別に対して抗議の声を上げることよりも、厳しい状況でも堂々と結果を出す人間がいるという事実を見せる方が、ずっと大きな効果を持つと考えたと伝えられています。反対する意見をぶつけるのではなく、実績そのものを反論の材料にするという発想は、後年の事業判断にも通じるものがあります。
### 藤田田との15分 高校1年のとき、孫少年は日本マクドナルド創業者・藤田田の著書に感銘を受け、どうしても本人に会いたいと考えました。アポなしで羽田空港から藤田氏の会社へ向かい、秘書にメモを渡します。「三分間、社長室の中に入れてくれればそれで良い」。この作戦が実り、15分間の面談が実現したと伝えられています。
藤田氏のアドバイスは一言だったといいます。「これから人々を世界を動かすのはコンピューターだ。アメリカでコンピュータの勉強をするといい」。孫少年はこの言葉のとおり、渡米後にコンピュータの世界に進みました。後年ソフトバンクの成功を報告に行くと、藤田氏は感激してパソコンを300台発注した、という逸話も残っています。高校1年の少年が、アポなしで会いに行った一度の面談が、その後数十年の進路を決めた形になります。
渡米した孫氏は、カリフォルニア大学バークレー校で経済学を学びながら、自動翻訳機を考案し、シャープに売り込みます。この売り込みで得た資金は約1億円。これを元手に、在学中の1979年、アメリカで「ユニソン・ワールド」という会社を興します。
1980年、大学を卒業した孫氏は日本に戻り、福岡でコンピュータの卸売事業を始めました。アルバイト2人を雇った最初の朝礼で、みかん箱の上に立ち、1時間にわたって将来の目標を語ったと伝えられています。数年で売上高100億円、10年で500億円、そしていずれは1兆円規模の企業にする、という内容でした。豆腐屋が「1丁、2丁」と数えるように、自分たちも「1兆、2兆」と売上を数える会社になる、とも語ったといいます。あまりの大言壮語に、2人のアルバイトは間もなく辞めてしまった、という話が広く知られています。
翌1981年、「日本ソフトバンク」が生まれます。出資したのは、孫氏が米国で興したユニソン・ワールドと、経営総合研究所の2社でした。みかん箱の上の宣言は、当時は絵空事にしか聞こえなかったはずです。差別を受けた少年時代から、渡米、発明、そして創業まで、孫正義の20代前半は、周囲の予想を裏切り続ける選択の連続でした。しかし孫正義は、ここから次々と、もっと大きな賭けに出ていくことになります。
一兆七千五百億円の賭け
1994年、日本ソフトバンクは日本証券業協会の店頭市場に株式を公開し、200億円を調達します。この資金を元手に、孫正義は米国の展示会事業や出版社の買収に動き、アメリカのIT業界への投資を本格化させました。1996年には、米ヤフーとの合弁でヤフー・ジャパンを設立します。出資比率はソフトバンクが60%。日本語での情報検索サービスを提供する、という設立目的が公式に発表されています。店頭公開から4年後の1998年、株式は東証一部に上場します。ソフトウェアの卸売業から出発した会社が、この頃からインターネット事業へと、扱う中身を広げ始めています。
その後のネットバブルで、ソフトバンクの株価は急騰します。孫氏は後年、この時期を「僕の個人資産は1週間に1兆円ずつ増えていってた」と振り返り、「3日間だけ」世界一の富豪ビル・ゲイツを資産で抜いたことがあると語っています。しかしバブルは崩壊します。孫氏自身の言葉では、ソフトバンクの時価総額は20兆円から2,000億円へ、100分の1まで縮みました。「犯罪者扱い」「詐欺師のように言われる」状況だったとも述べています。それでもソフトバンクはこの時期、ブロードバンド事業(Yahoo!BB)に全力を投じ、4年間で計4,000億円の赤字を出しながら事業を続けました。目先の暴落に沈むのではなく、次の技術に賭け続ける姿勢が、ここで形になりました。
### 携帯電話会社という異業種への参入 2006年、孫正義はさらに大きな賭けに出ます。携帯電話会社、ボーダフォンの日本法人を1兆7,500億円で買収したのです。当時のボーダフォン日本法人は、ネットワークの弱さから「つながらない携帯電話」と評され、契約者数の伸びもほぼ止まっていたと伝えられています。株式の97.7%を取得するこの買収で、ソフトバンクは通信事業への参入を果たしました。買収資金の内訳は、ソフトバンク本体からの出資2,000億円、ヤフー・ジャパンからの優先株出資1,200億円に加えて、非遡及型のLBOローン(買収先の資産と将来のキャッシュフローを担保にした借入)が1兆円を超える規模で組まれました。リスクを懸念した金融機関が、契約者数や利益の目標達成を求める厳しい財務制限条項を付けたと伝えられています。孫氏自身も後年、時価総額と同規模の金額を投じたこの買収を「無茶な勝負」と表現し、番号ポータビリティを前に「草刈場になる」と言われていたと振り返っています。
買収発表時、ソフトバンクはボーダフォンの1,500万回線とヤフー・ジャパンの利用者基盤を組み合わせ、固定と携帯をあわせ持つ総合通信事業者として、年間売上高2兆5,000億円規模を目指すとしていました。番号を変えずに携帯会社を乗り換えられる制度(番号ポータビリティ)が始まる直前というタイミングも、この買収の重要な計算のうちでした。
買収から2年後の2008年、ソフトバンクモバイルはアップルと共に、iPhone 3Gを日本で発売すると発表します。この時期、日本でiPhoneを扱えたのはソフトバンクだけでした。孫氏は後年、このiPhoneを「救世主」と表現しています。ボーダフォン時代にほぼ横ばいだったユーザー数は、買収後に2年連続で純増数1位となり、通信事業はグループ全体の利益を支える収益源に育ちました。「草刈場になる」と言われた賭けは、数年のうちに評価を変えることになります。固定電話と携帯電話をあわせ持つ総合通信事業者になるという、買収時点で掲げていた狙いも、この頃までにおおむね形になっていきました。
通信という足場を手に入れた孫正義は、この基盤を土台に、さらに規模の違う賭けへと向かいます。世界最大級のテクノロジー投資ファンドの設立です。通信という国内の安定事業と、投資という海外を含む変動の大きい事業。この2つを併せ持つ形が、以後のソフトバンクグループの基本構造になっていきました。
45分、450億ドル、そして転落
2016年、孫正義はサウジアラビアの実力者、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(当時は副皇太子)と面会します。会談はわずか45分でしたが、その場で450億ドルの出資約束を取り付けたと伝えられています。孫氏はこの成果を「45分で450億ドル。だから1分で10億ドルだ」と喜んだという話が、複数のメディアで語られています。ボーダフォン買収からちょうど10年、孫正義はまた一つ、桁違いの金額を一瞬の判断で動かしていました。この逸話が繰り返し語られるのは、金額の大きさだけでなく、意思決定にかけた時間の短さが際立っているからでもあります。
この約束を軸に、2017年、サウジの政府系ファンド(PIF)やアラブ首長国連邦のムバダラ投資、アップル、クアルコム、シャープなどが参加する「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」が発足しました。一次クローズの時点で、集まった資金は930億ドル。史上最大級のテクノロジー投資ファンドでした。世界中のユニコーン企業(評価額10億ドル超の未上場企業)に、次々と資金が投じられていきます。
### WeWorkと沈んだファンド 投資先の一つが、オフィスシェア事業のWeWorkでした。しかしWeWorkの企業価値は、400億ドル超から約80億ドルまで沈みます。ビジョン・ファンドはほかにも、不動産仲介のコンパス、宿泊予約のOyo、ロボットによるピザ製造・配送のZumeなどにも投資していましたが、新型コロナウイルスの流行による打撃や、事業モデルそのものの見直しを迫られました。人工衛星による通信網の構築を目指していたOneWebも、事業の継続が難しくなった投資先の一つです。
2020年、ソフトバンクグループはビジョン・ファンド関連で約240億ドルの損失に加え、WeWorkやOneWebがらみで約8,000億円の非営業損失を計上すると発表しました。この結果、通期の最終損益は約70億ドルの赤字になる見通しでした。日本を代表する投資会社が、通期でこれほどの赤字を見込むのは異例のことでした。新型コロナウイルスの流行という外的な要因も重なりましたが、投資先の価値そのものが、当初の想定より大きく下振れしていた点は否めません。
一方で、この時期の損失には、アリババ株の売却益や、保有比率の変化にともなう評価益など、他の事業からの相殺要因もあったと説明されています。グループ全体で見ると、通信事業やアリババ株という土台が、ビジョン・ファンドの傷を支えていた構図でした。
ムハンマド皇太子との関係は、その後も続きました。2018年、PIFは第2弾のビジョン・ファンドにも450億ドルを出資すると約束しています。1号ファンドの成果がまだ見通せない段階での、2度目の大型出資でした。
巨額の損失を経て、孫正義は投資の軸足を移し始めます。ベンチャー企業への広範な投資から距離を置き、半導体とAI関連への集中へ。保有していたクーパンやドアダッシュなど上場企業の株式を売却し、身軽になった資金を、次の一手に振り向けていきました。非公開化していたアームは、2023年に冒頭のナスダック再上場を果たしました。
2025年、マイアミでの投資会議に登壇した孫正義は、ムハンマド皇太子との関係を振り返り、出会いのタイミングには恵まれたが、それに見合うだけの運用成果はまだ返せていない、という趣旨の発言をしています。孫氏自身の言葉では「まだ借りがある」。巨額の資金を託した相手に対して、成果が追いついていないことを率直に認めた発言でした。
それでも、孫正義は投資の手を緩めませんでした。数兆円規模の損失を経験してなお、次の一手を止めないという姿勢そのものが、この人物を長年にわたって際立たせてきた部分でもあります。次に全力で賭けたのは、AIそのものでした。
300年先を見る投資家の構造
2025年、ソフトバンクグループはアメリカのOpenAIへの追加出資を決めます。まず100億ドルを、企業価値2,600億ドルという評価で出資。年内をめどに、条件が整えばさらに最大300億ドルを追加する計画です。シンジケーション(他の投資家への分配)を経た後の、ソフトバンク自身の実質的な出資額は最大300億ドルになる見通しだと説明されています。あわせて、AI向けのデータセンター基盤を米国内に築く「スターゲート・プロジェクト」にも参画すると発表しました。出資の目的について、ソフトバンクグループは、汎用人工知能(AGI、人間並みに幅広いタスクをこなすAI)や、それを超える超知能(ASI)の実現を後押しするためだと説明しています。この資金の一部は、みずほ銀行からの借入でまかなう計画になっており、ここでもまた、自己資金だけでなく借入を組み合わせる、これまでと同じ型の資金調達が使われています。
ここまでの40年余りを振り返ると、孫正義の意思決定にはいくつかの共通点が見えてきます。
16歳の孫少年に藤田田が授けた助言は、これから世界を動かすのはコンピュータだから、アメリカでその勉強をするといい、という趣旨の一言だったと伝えられています。それから半世紀近くが経ち、孫正義が最後に全力を注いだ先も、結局はコンピュータの延長線上にあるAIでした。半導体設計会社を持ち、AIインフラに巨額を投じるという2025年の構図は、16歳のときに受け取った一言の、もっとも大きな形での実践だったと見ることもできます。
1つ目は、借入を使って賭けの規模を広げるという手法です。ボーダフォン買収のLBOローン、アーム買収時のみずほ銀行からの融資、OpenAI出資の資金調達。いずれも自己資金だけでなく、借入を組み合わせることで、持てる手札より大きな賭けに出ています。借入は利益を何倍にもする一方、判断を誤れば損失も何倍にもします。ボーダフォン買収が成功したからこそ次の賭けが可能になった、という順番も忘れてはいけません。
2つ目は、時間を味方につける投資の姿勢です。ネットバブル崩壊の直後に赤字覚悟でブロードバンドへ投じ続けた判断、非公開化したアームを7年かけて育て直した判断。いずれも、短期の評価の上下に反応せず、数年から十数年単位で結果を待つ形になっています。孫氏は2010年に発表した「新30年ビジョン」でも、過去300年の歴史をふまえて300年先のあるべき姿を模索すると語っており、時間軸の長さはこの人物の看板でもあります。四半期ごとの決算に一喜一憂する投資スタイルとは、時間の単位そのものが異なります。
3つ目は、賭けの対象を時代ごとに乗り換える判断力です。ソフトウェア流通から、インターネット、ブロードバンド、携帯電話、半導体、そしてAIへ。孫正義は同じ会社の看板を掲げながら、その中身を何度も入れ替えてきました。1つの事業に固執せず、時代の中心にある技術へ主力を移し続けてきたことが、40年以上にわたって第一線に立ち続けられた理由の一つだと考えられます。会社としての歩み自体は、既存の企業ストーリー「ソフトバンクグループ」で詳しく扱っています。この記事で見てきたのは、その歩みを動かし続けてきた、ひとりの人物の側です。
投資家としてこの半生を眺めるとき、忘れてはならない点もあります。身の丈を超える規模の賭けは、当たれば大きく伸びますが、外れれば損失も同じだけ膨らむということです。ボーダフォン買収は前者の結果に終わりましたが、ビジョン・ファンドの一時期は後者の結果でした。大きく賭けるという同じ姿勢が、同じ人物の手で、正反対の結果を生んでいます。大きな賭けを繰り返す経営者を見るときは、成功の年だけでなく、損失を出した年もあわせて見ることで、その手法の本当のリスクが見えてきます。
もう一つ、名前をめぐる原点も、この半生の縁の下に残っています。差別を受けた少年が、周囲の反対を押し切って先祖代々の名を名乗り、その名前ごと世界的な企業を築き上げた。数字の賭けの裏側には、そういう出発点があったことも、あわせて記憶しておきたいところです。巨額の資金や難解な金融の仕組みの話に目を奪われがちですが、その根には、一人の少年が自分の名前を賭けて示そうとした証明があったことになります。
### 肩書は「創業者」のまま 2020年、孫正義は代表取締役会長兼社長執行役員という肩書につきます。その後2021年には、グループ会社であるソフトバンク株式会社の取締役として「創業者」という肩書も加わりました。40年以上にわたって、この人物の名刺には常に創業者としての立場が残り続けています。経営トップの役職が何度変わっても、会社を興した本人であるという事実だけは変わりません。役職名が変わるたびに肩書は増えていきましたが、社員2人の前でみかん箱に立った日から、創業者という立場だけは一度も途切れていません。
1980年、みかん箱の上で語られた「1兆、2兆」という数字は、当時のアルバイト2人にとっては現実味のない話でした。それから数十年が経ち、ある報道では、この会社の連結売上高は6兆円を超え、株式の時価総額も13兆円を超える規模に達していると伝えられています。豆腐屋のように数えるという比喩そのものが、文字どおりの規模になったことになります。
みかん箱の上で「1兆、2兆」と豆腐屋にたとえて数えると宣言した青年は、社員2人に去られながらも、その言葉を数十年かけて別の形の現実に変えてきました。次にどんな数字を数えることになるのか、まだ誰にも分かりません。
主な参考資料(22件)
- ソフトバンク株式会社「孫正義氏 役員プロフィール」
- SoftBank Group Corp.「Masayoshi Son Biography」
- SoftBank Group Corp.「SoftBank’s Acquisition of Vodafone K.K.」
- SoftBank Group Corp.「Recommended Acquisition of ARM by SoftBank」
- SoftBank Group Corp.「Announcement Regarding Follow-on Investments in OpenAI」
- TechCrunch「SoftBank expects $24 billion in losses from Vision Fund, WeWork and OneWeb investments」
- CNBC「Arm IPO Arm starts trading on the Nasdaq in win for SoftBank」
- CNBC「SoftBank and Saudis launch largest tech investment fund ever」
- 日経ビジネス「孫正義氏「自殺しようかと思うぐらい悩んだ。差別はつらい」」
- 社長勇退ドットコム「ソフトバンク孫正義に宿る藤田田のDNA」
- NetIB-News/data-max「2025年の年男(1)孫正義 「青雲の志」を抱き続ける不屈の投資家の半生」
- 東洋経済オンライン(Bloomberg配信)「孫正義氏、サウジ皇太子に「まだ借りがあります」」
- Wikipedia日本語版「孫正義」
- Bloomberg co.jp「孫正義氏、たった45分で450億ドルを調達」
- Impress PC Watch「ソフトバンク、東証1部上場」
- THE GOLD ONLINE(livedoor配信)ほか複数メディア照合「1994年店頭公開の事実確認」
- SoftBank Group Corp.「ヤフー株式会社設立について」
- ソフトバンクモバイル株式会社「ソフトバンクとアップル、iPhone 3Gを日本で発売(2008年プレスリリース)」
- ログミーBusiness「金がないのにYahoo!BB立ち上げ、ボーダフォン買収–孫正義氏、40代の挑戦を振り返る」
- 現代ビジネス「孫正義が初めて明かす「僕は経営の修羅場をこうして生き延びてきた」」
- マネーポストWEB「孫正義氏が仕掛けた大博打「ボーダフォン日本法人買収」を振り返る」
- PHILE WEB「「情報革命で人々を幸せにしたい」ソフトバンク孫社長が「新30年ビジョン」を発表」

【トレ助のコメント】
2016年、孫正義はサウジのムハンマド皇太子とわずか45分話しただけで、450億ドルの出資を引き出したと伝えられている。
孫はこれを「1分で10億ドルだ」と喜んだそうだ。でもこの資金は、後にWeWorkの巨額損失にもつながった。
大きく賭ける力と、大きく外す危うさは、たぶん同じ根っこから来ているんだ。

