日本初の外資系企業として1899年に生まれた会社が、通信技術を武器にパソコンへと手を広げた。 だが半導体もパソコンも携帯電話も、一度はすべて手放している。 いま海底ケーブルと生成AIという新しい柱で、稼ぐ力を取り戻そうとしている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.3倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
NECの業績は、国内ITサービス(官公庁・自治体向け「パブリック」の受注動向が要)と、テレコムサービス・航空宇宙防衛からなる社会インフラの2本柱で構成されています。決算発表でどちらのセグメントが伸びているかを見る視点が、業績の中身を読むうえで参考になりそうです。
NECは半導体・パソコン・携帯電話など、祖業周辺の事業を繰り返し手放してきた歴史を持っています。新しい大型投資や買収のニュースに接したときは、それが通信・ITインフラという祖業の延長線上にあるかどうかを見る視点が参考になりそうです。
エジソンの元部下——日本初の外資系企業を興した
1857年に生まれた岩垂邦彦は、工部大学校で電信を学んだのち渡米し、エジソン・マシン・ワークスでエジソン本人のもとで働いた数少ない日本人だったと伝えられています。帰国後は大阪電燈の初代技師長を務めましたが、1899年、42歳のときにウェスタン・エレクトリック社との合弁により日本電気株式会社を設立しました。
設立のタイミングは、条約改正によって外国資本の直接投資が認められた発効日そのものに合わせられています。日本電気は日本初の外資系企業として事業を始め、電話交換機の国産化に取り組んでいきました。
戦時下で消えた社名——住友通信工業への転身
日本電気の親会社は、1925年にITT傘下のISE社となりました。ですが1932年、ISE社は経営を住友本社に委託し、日本電気は住友グループとの関係を強めていきます。
太平洋戦争が始まると、ISE社が持つ日本電気株は敵国の資産として処分され、外資との資本提携はいったん途切れました。社名も住友通信工業株式会社に変わりますが、敗戦後まもなく日本電気の名に戻り、外資との提携もほどなく復活しました。
「C&C」——アトランタの演壇で語られた未来
1977年、米アトランタで開かれた通信展「インテルコム77」で、小林宏治会長が基調講演に立ちました。テーマは「変化する社会ニーズへの通信企業の対応」。ここで語られたのが、コンピュータと通信を統合する「C&C(Computer & Communications)」という考え方でした。
このスピーチを境に、日本電気は電話交換機とコンピュータをそれぞれ作る会社から、両者を融合させる「世界のNEC」を目指す会社へと看板を掛け替えていきます。1979年の年明けには、朝日新聞に全面4ページの「C&C元年宣言」広告を出しました。
「TK-80」——秋葉原の若者が作った国民機
NECはマイコンのトレーニングキット「TK-80」を1976年に発売し、秋葉原にサポートセンター「Bit-INN」を開きました。もともとは技術者向けの学習用キットでしたが、連日客が押し寄せ、TK-80は2年間で6万台を超えるヒット商品になります。
この熱気を追い風に「PC-8001」、続いて「PC-9801」を発売しました。PC-9800シリーズは独自規格のまま長く国内パソコン市場の過半シェアを握り、「国民機」と呼ばれるまでになりました。
「約25億円」——防衛庁を巻き込んだ水増し請求
東洋通信機による防衛庁への水増し請求が発覚し、過大請求額は約25億円にのぼりました。返納額が圧縮され、国に損害を与えていたことも明らかになっています。事件では、NECの元常務ら4人が背任の疑いで逮捕されました。
この事件をめぐり、NECの社長は金子尚志氏から西垣浩司氏へと交代しています。祖業である通信機事業の周辺で起きた不正は、その後の調達コンプライアンス強化のきっかけの一つになりました。
1,579億円の赤字——半導体からの撤退が本格化した
1999年3月期、NECは連結最終赤字約1,579億円という、当時としては過去最大の赤字を計上しました。韓国・台湾メーカーの台頭でDRAM事業の採算が悪化し、長年圧倒的だったPC-9800の独自規格の優位性も薄れ、大規模な人員削減に踏み切ります。
危機はここで終わりませんでした。2009年3月期にはリーマン・ショックの直撃で連結最終赤字2,966億円を計上し、半導体・携帯電話・海外通信事業の構造改革費用が一度に積み上がります。NECはこの後、10年近くにわたって事業を絞り込んでいくことになりました。
パッカードベルの誤算——レノボとの合弁で首位を守った
NECは起死回生の一手として米パソコンメーカー、パッカードベルの株式を1995年に取得しました。当時のパッカードベルは米家庭向けパソコン市場でシェア5割近くを持つ企業でしたが、品質問題や財務体質の悪化が重なり、出資後ずっと赤字が続き、NEC全体の業績の足を引っ張ることになりました。
国内のパソコン事業も赤字を抱える中、海外メーカーとの規模の差が埋めがたくなり、NECは2011年、パソコン事業をレノボとの合弁会社に移しました(出資比率はほぼ折半)。この合弁はその後も国内シェア24.3%のトップを維持し続けています。
顔認証で積み重ねた、世界第1位の実績
NECは2009年、米国立標準技術研究所(NIST)が実施する顔認証技術のベンチマークテストに初めて参加し、静止顔画像部門で世界第1位の評価を獲得しました。祖業の画像伝送・パターン認識技術の延長線上にある分野です。
以後もNECはNISTのテストで複数回1位を獲得しており、2025年には1,200万人分の画像を用いた「1:N認証」で認証エラー率0.07%という成績を残しています。この技術は世界50以上の国と地域の空港や店舗、自治体などで実際に使われています。
「世界シェア2割」——祖業の技術が支える海底ケーブル
海底ケーブルの市場は、ケーブルを製造・敷設する「サプライヤー」の世界で、仏アルカテル・サブマリン・ネットワークス、米サブコム、そしてNECの3社が市場シェアの9割を占めています。NECは総距離ベースで約2割のシェアを持ち、太平洋や東南アジアを中心に案件を手がけてきました。
日本政府は2025年、2026〜2030年に敷設される海底ケーブルで日本企業のシェアを35%以上に高める目標を掲げました。通信インフラの祖業を持つNECにとって、データの大動脈と呼ばれる海底ケーブルは、成長を狙う新しい柱の一つになっています。
「捨て続けた10年」から、過去最高益へ
2009年の大赤字を起点に、NECは半導体・パソコン・携帯電話・海外通信インフラ事業を次々と手放し、いわば「捨て続けた10年」を過ごしました。縮小均衡とも言われた時期を経て、森田隆之社長が新しい中期経営計画を打ち出すと、翌日には株価が14%下落するなど市場の反応は厳しいものでした。
それでもNECは価値創造モデル「BluStellar」を本格始動し、生成AI「cotomi」やセキュリティサービスを組み合わせたシナリオ型ビジネスへの転換を進めます。営業利益は2,565億円と過去最高水準に達し、かつての市場の懐疑に数字で応える形になりました。
