始まりは、政府から借りた小さな工場だった。 戦艦「武蔵」を生んだこの会社は、戦後の財閥解体第二次大戦後、GHQの占領政策で三井・三菱・住友などの財閥系企業グループが解体された出来事。で3つに割れ、また一つに戻っている。 自動車を送り出し、ロケットを受け継ぎながら、いまも稼ぎ続けている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.3倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
ガスタービンと防衛の受注は、電力需要や国の予算という外部要因に左右されやすい面があります。受注から売上計上まで数年かかるため、当期の受注動向を業績の先行指標として見る視点が参考になりそうです。
三菱重工業は大型客船や国産ジェット機など、新しい分野への挑戦で巨額の損失を計上した過去があります。新規事業のニュースでは、それが祖業の延長線上にあるかを見る視点が参考になりそうです。
「九十九商会」——家紋が重なり、スリーダイヤが生まれた
三菱の源流となった土佐藩の海運会社「九十九(つくも)商会」は、創業時、「三角菱」と呼ばれる意匠を船旗として採用しました。これが現在のスリーダイヤの原型と言われ、藩主・山内家の家紋「三ツ柏」と岩崎家の家紋「三階菱」に由来すると考えられています——三菱グループの公式サイトはそう説明しています。
この図柄が変遷を経て、明治43年に現在の「スリーダイヤ」の形になったと三菱重工は説明しています。長崎で造船業を始めるより前、海運会社の旗印の中に、のちの三菱重工業の起点がありました。
長崎造船所——借りた工場を、弟が買い取った
1884年、岩崎彌太郎は政府の工部省長崎造船局を借り受け、長崎造船所と名付けて造船事業に本格参入しました。三菱重工業は現在もこの年を創立年と位置づけています。
彌太郎は翌年に没し、事業は弟の岩崎彌之助が引き継ぎました。彌之助は長崎造船所への設備投資を積極的に進め、1887年、借用していた工場等の買収を完了させています。名実ともに三菱の造船所になった瞬間でした。
戦艦「武蔵」——長崎造船所が抱えた光と影
長崎造船所では、第二船台の巨大なガントリークレーンのもとで、超弩級戦艦「武蔵」が建造されました。同じ造船所は零式艦上戦闘機の設計・生産も担い、軍需の最前線に立っています。
戦争は、この造船所に別の傷跡も残しました。1945年に投下された原子爆弾により、長崎造船所でも多くの工員や動員学徒が死傷しました。三菱重工業の歩みには、兵器を造った側面と、戦禍を受けた側面の両方が刻まれています。
「財閥の再来」——批判を越え、一つに生まれ変わった
「財閥の再来だ」——3社の再統合が計画されると、そんな批判が上がりました。GHQによる解体からまだ日が浅く、政府内にも慎重論があったといいます。
公正取引委員会の審査は難航しましたが、1964年に合併が認められ、三菱重工業として再び歩み始めました。合併までには、分割から一つに戻るまで、14年の歳月がかかっています。
クライスラーとの契約——三菱重工から自動車が巣立った
クライスラーとの合弁契約をきっかけに、自動車事業を専業会社として独立させる決断が下されました。京都製作所の一部や名古屋・川崎・水島の工場が、そのまま新会社に引き継がれています。
こうして自動車という新しい産業が、祖業の重工業から巣立っていきました。新会社の名は、三菱自動車工業株式会社です。
「2,408億円」——客船事業が損失を呑み込んだ
欧州のアイーダ・クルーズ向けに大型客船2隻を受注したものの、度重なる設計変更が連鎖し、建造の現場は混乱しました。
2016年3月期までの累計損失は2,408億円に達しました。三菱重工業は大型客船の受注を当面停止し、現有人員で対応できる中小型船やクルーズフェリーに事業を絞る方針へ転換しています。祖業である造船の看板事業が、身の丈を超えた挑戦で大きくつまずいた出来事でした。
「MSJ」——15年越しの夢が、開発中止に終わった
2008年、三菱重工業は初の国産ジェット旅客機の事業化を決定し、三菱航空機を設立しました。開発機は「MRJ」から、のちに「三菱スペースジェット(MSJ)」へと名を変えています。
ですが、運航に必要な型式証明の取得は難航を極め、納期の延期を重ねました。2023年、三菱重工業は開発活動の中止を発表しています。参入表明から15年越しの断念でした。同社は、蓄積した知見を防衛分野の次期戦闘機開発などに生かす方針を示しています。
H-IIA——JAXAから三菱重工に引き継がれた
日本の主力ロケットH-IIAは、当初、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が主体となって開発・運用していました。コスト競争力を高めるため民間移管が検討され、2002年、三菱重工業が移管先企業に選定されています。
段階を踏んだ移管の末、2007年に打ち上げた13号機で民営化が実現し、以後は「三菱重工のロケット」として打ち上げを担うようになりました。祖業の造船とはまったく異なる宇宙分野に、三菱重工業はこうして根を下ろしています。
過去最高益——ガスタービンと防衛が会社を立て直した
MSJからの撤退後、三菱重工業はエナジー事業と防衛・宇宙事業に力を注ぎました。データセンター向けの電力需要拡大を背景に、世界市場でシェア首位を獲得したと同社が発表するガスタービンの受注が伸び、防衛費増額を追い風に防衛関連の受注も過去最高水準に達しています。
2024年度、三菱重工業の受注高・売上収益・当期利益はいずれも過去最高となったと報じられています。客船とジェット機という二つの大型プロジェクトでつまずいた反動を、祖業に近い重電・防衛の分野で取り戻した形になっています。
