三菱の岩崎家に生まれた男が、一族の名を使わずに興した会社がある。窓や車のフロント、スマホのチップの原版、バイオ医薬品まで、難しいほうへ難しいほうへと事業を広げてきた。易きになじまず、難きにつく。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.6倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
「困難は覚悟の上」——三菱の名を借りなかった創業
創業者の岩崎俊彌は、三菱の二代目社長・岩崎彌之助の次男です。学習院から一高を経てロンドン大学へ渡り、応用化学を学びました。日露戦争のあとの日本で、窓ガラスの多くを輸入に頼る状況を、俊彌は経済的な弱さの表れだと受け止めます。板ガラスの国産化は、多くの企業が失敗して投げ出してきた分野でした。それでも俊彌は父にこう告げます。「困難は覚悟の上のこと。生涯をかけてでも国産化は成功させる」。
この会社は三菱合資の事業ではなく、岩崎家の分家の事業という位置づけでした。だから社名に「三菱」は入らず、「旭硝子」として世に出ます。俊彌は経営者であると同時に、生涯をエンジニアで通した人でした。晩年は蘭の栽培に打ち込み、北海道大学へ約2万7,000株の蘭を寄贈しています。会社を人に委ね、50歳でこの世を去りました。
積み上がる在庫——第一次大戦が救った赤字工場
最初の数年は、つくっても売れない日々でした。できあがった板は輸入品に見劣りし、値を下げても買い手がつきません。倉庫は売れ残りでふさがり、赤字はかさんでいきます。それでも俊彌は退きませんでした。
風向きが変わったのは、戸畑に米国式の機械を入れた新工場を動かしたころです。第一次世界大戦でヨーロッパから製品が届かなくなり、注文が国内へなだれ込みました。ふくらんでいた赤字はまたたく間に消え、会社は輸出までこなす優良事業へと姿を変えます。海外に頼らず自前でまかなう体制は、創業から数年をかけて、ようやく整いました。
水も油もはじく——溶かして成形できた世界初のフッ素樹脂
1970年代、旭硝子は長年つちかった化学の技術を、フッ素という素材に振り向けます。フッ素の化合物は水も油もはじき、熱や薬品、紫外線にも強く、ふつうの樹脂が音を上げる場所で力を発揮します。
まず、繊維や紙にしみこませて汚れをはじく薬剤を世に出しました。転機になったのは、その翌年に生まれたフッ素樹脂「アフロンCOP」です。溶かして自由な形に成形できる樹脂で、それまでのフッ素樹脂は加工が難しく、この扱いやすさは世界で初めてのものでした。十年ののちには、色あせしにくい塗料用の樹脂も売り出します。建物の外装をおおう塗料から、フィルムやゴムの部材まで、フッ素の素材は暮らしを裏側で支えています。
半導体の原版——旭硝子が世界で数少ない作り手になった
半導体づくりでは、回路の絵を光で焼き付けるために、光をゆがみなく通すガラスがいります。旭硝子がこの分野に入ったのは1980年代、「ガラス材料の技術で何かできないか」という社内の議論からでした。たどりついたのが、不純物を極限まで減らした合成石英ガラスです。
露光装置の光がより短い波長へ進むほど、高純度のガラスが効いてきます。エキシマレーザーが使われ始めたころ、旭硝子は製法の違いを武器にシェアを伸ばしました。久保岳執行役員は「製法による特徴が出て、この頃にかなりシェアを伸ばしました」と説明します。そして、最先端のEUV露光で使うマスクブランクスという原版で、世界でも数少ない作り手の一つになりました。半導体向けの電子部材は、AGCの利益をいちばん多く生む事業に育っています。
過去最高の2,292億円——経営陣は素直に喜べなかった
2010年、旭硝子の営業利益は過去最高の2,292億円に達しました。ブラウン管から薄型テレビへの置き換えで、液晶用ガラスがよく売れたためです。ところが経営陣は、この数字を素直に喜べませんでした。会社の稼ぎが、ひとつの製品の波に大きく左右される。次の柱がなかなか見えない。好調なときほど、過去の成功が変革の重しになります。
利益が四期続けて縮むなかで社長になった島村琢哉は、「両利きの経営」を掲げました。既存の事業を深めることと、次の事業をさがすことを、同時に進める。「安定的な収益を出せば出すほど、過去の成功体験にとらわれて、変革がしづらい」。島村はそう語り、会社の重心を動かしにかかります。
600億円のデンマーク買収——薬づくりを日米欧に広げた
バイオ医薬品は、生きた細胞に薬のもとをつくらせます。わずかな条件のちがいで品質が変わるため、つくり手には厳格な管理が要ります。旭硝子は、ガラスや化学品の工場できたえた品質管理こそ、この仕事に生かせると考えました。
2016年、まずドイツの受託会社を買収して欧州に入り、続いてデンマークのCMCバイオロジクスを約600億円で傘下に収めます。この会社はコペンハーゲンと米国に工場を持ち、動物細胞を使う製造で欧米の顧客をかかえていました。これで日本・欧州・米国の三極がそろいます。さらに横浜の鶴見には500億円を投じて新しい拠点を建て、細胞治療薬や抗体医薬、mRNAの受託へ手を広げました。台湾の鴻海がiPhoneを組み立てるように、旭硝子は薬をつくって製薬会社に渡す側にまわったのです。
従業員52,896人——ガラス一色から5つの顔に育った
有価証券報告書上場企業が事業年度ごとに提出する、経営状況や財務情報をまとめた法定開示書類。によれば、2025年12月期の連結従業員数は52,896人でした。このうち最も多いのは自動車向けのオートモーティブの15,997人です。板ガラス一色で始まった会社は、建築ガラス、オートモーティブ、電子、化学品、ライフサイエンスという5つの報告セグメントを抱える会社に育ちました。
このほか、セラミックス製品や物流・金融のサービスも手がけています。窓ガラスの国産化を目指した会社は、化学品からバイオ医薬品まで手がける会社に姿を変えました。
