精密小型モーターで世界の頂点に立ったニデック。 創業者・永守重信が掲げ続けた「絶対達成」の目標に、いつしか自らも追い詰められていった。 永守は経営から退き、いまは後継の岸田体制のもとで、新しい経営の形を築こうとしている。
創業から現在へ — ストーリー
9年で、売上は約2.2倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のポイント
ニデックは東京証券取引所から特別注意銘柄に指定されています。内部管理体制の改善計画をどこまで実行できるかが、指定解除に向けた審査の行方を左右しそうです。
創業者が経営から完全に退いた新しい体制のもとで、不振が続いた車載事業や海外拠点の再編がどう進むかも、この会社の今後を測る材料になりそうです。
「日本電産。永守電産でも京都電産でもない」——ろうそくの下の決起集会
1973年、28歳の永守重信は日本電産を創業する前夜、京都市内の自宅の6畳間に仲間3人を集め、ろうそくに火をともして決起集会を開いたと伝えられています。永守は「会社名は日本電産。永守電産でも京都電産でもない、日本を代表する世界企業になる」と宣言したとされます。創業時は資金も知名度も売るものもない、ないないづくしの状態だったそうです。
作業場は京都市西京区の桂川のほとりに建てたプレハブ小屋で、広さは9畳に満たず、中古で買ったプレス機と旋盤機が置かれていました。銀行から融資を受けるには担保が必要で、永守は自身の生命保険証を差し出したと伝えられています。もともと35歳での独立を計画していましたが、当時の経済の混乱を好機と捉え、7年前倒しで起業に踏み切りました。
早飯試験——大声とスピードで人を見た創業期の採用
創業直後の日本電産には知名度がなく、有名大学の学生を採用することは難しい状況でした。そこで永守が採り入れたのが、大声を出させる試験や、配られた弁当を早く食べ終えた順に合格を出す「早飯試験」だったと伝えられています。食べるのが速ければ仕事も速い、という発想だったそうです。
この型破りな採用で入社した社員の中には、後に日本電産の急成長を支える幹部に育った人物も少なくなかったとされます。永守は、多少の能力差よりもやる気の強さを重視する考え方を持っていたと報じられています。
「赤字は罪悪」——日本電産セイミツの再建
2011年、永守は買収したばかりの日本電産セイミツ(旧・三洋精密)の社員を前に、「実質的に倒産しています」と切り出したと報じられています。買収前の同社は3期連続の赤字でした。永守はここで「赤字というのは罪悪なんです」と語り、工程の不良率や在庫の水準、経費の使い方まで踏み込んだ数値目標を課して再建にあたったとされます。
日本電産はこうした赤字企業の買収と再建を70社以上にわたって重ね、成長の原動力としてきました。社内では「毒まんじゅうは食うな」といった独自の言い回しも使われてきたと報じられています。徹底した業績管理で不振企業を立て直す永守流は、成功体験として社内に深く根付いていきました。
三度の後継者交代——吉本浩之、関潤、そして復帰
2018年、日産自動車出身の吉本浩之が、永守以外で初めての社長に就任しました。ところが車載・家電事業の業績が低迷し、吉本は退任することになります。2020年には、同じく日産自動車出身の関潤が新たな後継者として招かれ、翌年にはCEOにも就きました。しかし2022年に永守がCEOとして経営に復帰し、関はその後、業績悪化の責任を理由に退任することになります。
関の後任には、創業メンバーの一人である小部博志が就きました。相次ぐ社長交代の背景には、永守自身が設定する業績目標が事業の実力を超える水準だったことがあったと、後の第三者委員会の調査で指摘されています。永守以外の姿で経営を担う社長が根付くかどうかは、この会社の長年の課題であり続けました。
「EVのインテル」を目指した先で——中国トラクションモーター事業の失速
ニデックは、電気自動車の駆動用モータシステム(E-Axle)の事業で、特定の完成車メーカーの系列に属さない独立系サプライヤーとして中国市場に攻め込みました。これは電気自動車の基幹部品を握る「EVのインテル」を目指す戦略だったと報じられています。しかし中国の自動車メーカーの多くは、駆動装置から電池まで自社で内製・統制する「垂直統合原材料の調達から製造、販売までの複数の工程を、一つの企業(グループ)で自社完結させる経営の形態。」を志向しており、独立系メーカーの入り込む余地は限られていました。
競争の激化を受けて、トラクションモーター事業の固定資産は複数の期にわたって多額の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。処理を迫られることになります。この事業の不振は、後に発覚する大規模な不正会計の発端の一つになったとも指摘されています。ニデックは2026年、中国での合弁事業の解消を発表しました。
「負の遺産」——高すぎる目標が生んだ隠れ資産
ニデックでは長年、営業利益率売上高に対して、本業のもうけ(営業利益)が占める割合を示す指標。が一定の水準に届かない状態を「赤字」とみなし、その達成が絶対視されていました。目標は多くの場合、事業の実力を超える水準にトップダウンで設定され、達成できない拠点には強い督促が繰り返されます。この重圧の中で、本来なら計上すべき損失の処理を先送りする資産が各地の拠点に積み上がっていきました。社内ではこれが「負の遺産」と呼ばれていました。
2016年からは、この「負の遺産」を洗い出して処理する取り組みが始まりましたが、処理費用を各拠点の業績目標の中でまかなう仕組みだったため、思うようには進みませんでした。2022年度には大規模な処理が行われたものの、その年の営業利益を一定水準以上に保つという条件が付けられたため、なお多くの「負の遺産」が翌年度以降に持ち越されることになりました。
発覚——中国子会社の疑義から始まった全社調査
2025年、子会社の内部監査部門が、中国子会社での会計処理の疑いを本社に報告したことをきっかけに、社内調査が始まりました。調査を進めるうちに、ニデックグループの様々な拠点で、資産性に疑いのある資産の処理時期が恣意的に検討されている資料が見つかり、会社は独立した第三者による調査が必要と判断します。第三者委員会が設置され、延べ500回を超える聞き取りと大規模なデータ調査が行われました。
調査が進められる中、東京証券取引所はニデックを特別注意銘柄に指定しました。その後の調査の結果、棚卸資産の評価損や固定資産の減損を回避する処理、収益の前倒し計上など、多岐にわたる不正が国内外の拠点で見つかっています。第三者委員会は、不正の根本原因は行き過ぎた業績目標と、それを是正できなかった社内の仕組みにあると結論づけ、最も責めを負うべき人物は創業者である永守重信だと指摘しました。
「経営者としての私の物語にピリオドを打つ」——創業者、最後の決断
2025年、永守重信は代表取締役をはじめとする経営の役職をすべて退き、非常勤の名誉会長となりました。しかし不正会計の全容をめぐる混乱が続くなか、名誉会長の職についても本人の意向で辞任することになります。永守はステークホルダーに向けたメッセージで、「私にとってこれはまさに慚愧の至りであり、もって、この際、潔く自ら身を引くことを決意しました」と綴りました。
メッセージには「本日をもって、『経営者としての私の物語』にピリオドが打たれます」とも記されています。1973年、ろうそくの明かりの下で仲間と「日本を代表する世界企業になる」と誓った夜から半世紀余り、創業者は自らの手で経営の表舞台を去ることになりました。
