精密小型モーターで世界の頂点に立ったニデック。 創業者・永守重信が掲げ続けた「絶対達成」の目標に、いつしか自らも追い詰められていった。 永守は経営から退き、いまは後継の岸田体制のもとで、新しい経営の形を築こうとしている。

01

創業から現在へ — ストーリー

1973 — 1988
京都で創業、モーター専業から海外買収へ
1973年、永守重信は仲間とともに京都で日本電産を設立し、精密小型ACモータの製造販売を始めました。海外にも代理店網を広げながら成長し、1984年には米国トリン社の軸流ファン部門を買収して、最初の海外企業買収に踏み出しています。
1988 — 1998
大阪・京都証取、東証第一部へ上場
モーター専業で成長を続けた日本電産は、1988年に大阪証券取引所と京都証券取引所に上場しました。その後も海外拠点を広げ、1998年には東京証券取引所第一部へ上場するとともに、大阪証券取引所第一部にも昇格しています。
1998 — 2016
NY上場、総合モーターメーカーへ多角化
東証上場から3年後の2001年、日本電産は米国ニューヨーク証券取引所にも上場し、日本発のグローバル企業としての存在感を高めました。祖業の精密小型モータに加え、車載用モータや家電・産業用モータの分野で企業買収を重ね、総合モーターメーカーへと姿を変えていきます。2016年、ニューヨーク証券取引所の上場を廃止しました。
2016 — 2022
上場廃止、初めての社長交代と復帰
2018年、日産自動車出身の吉本浩之が、永守以外で初めての社長に就任しました。ですが車載・家電事業の業績低迷が続き、2020年には同じく日産自動車出身の関潤が後任に招かれます。関は翌年にCEOにも就きましたが、2022年、永守が会長として経営の前面に復帰し、関はその後、業績悪化の責任を理由に退任しました。
2022 — 2024
社名変更とニデックへ、後継者交代
2022年、永守は創業メンバーの小部博志を後任社長に据えました。翌年、社名を日本電産からニデックへ改め、旋盤メーカーのTAKISAWAなど工作機械分野の企業買収を進めています。2024年、車載事業本部長を務めていた岸田光哉が指名委員会の選考を経て社長に就任しました。
2024 — 2026
不正会計の発覚と創業者の完全退任
岸田体制のもとでも、車載事業や海外拠点を中心に未処理の「負の遺産」が積み上がっていたことが、2025年の社内調査で明らかになりました。第三者委員会による調査が進められる中、東京証券取引所はニデックを特別注意銘柄に指定します。その後の調査の結果、長年にわたる過度な業績目標と会計不正の実態が判明しました。永守は経営に関わる全ての役職を退き、創業から半世紀余りでニデックを去っています。
TEN YEARS

9年で、売上は約2.2倍

3兆円
1.5兆円
2017 · · · · · · · 2025
売上 純利益(手元に残った利益)
売上
9年前
11,993億円
現在
26,078億円
約2.2倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
9年前
1,110億円
現在
1,644億円
売上100円につき約6円
従業員
9年前
107,062
現在
104,285
ほぼ横ばい
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
精密小型モータ事業
ハードディスク駆動用モータなどの精密小型モータを開発・製造する祖業の事業です。近年はドローンや、AIサーバ向けの水冷モジュールなど、新しい用途にも展開しています。
柱 02
車載事業
電気自動車の駆動用モータシステム(E-Axle)やインバータなど、自動車向けの製品を扱う事業です。かつてはハードディスク用モータに次ぐ次世代の柱として期待されてきました。
柱 03
家電・商業・産業用モータ事業
洗濯機や冷蔵庫、空調機器向けのモータや、産業・商業向けの大型モータを扱う事業です。海外企業の買収によって基盤が築かれ、現在もグループの収益を支える柱の一つとなっています。
柱 04
モーション&エナジー事業
サーボモータや精密ギアボックスなど工場の自動化に使う製品と、風力発電・蓄電システムなど再生エネルギー関連の製品を扱う事業です。家電・産業用モータ事業から分離する形で発足しました。
柱 05
機械事業(工作機械)
旋盤やマシニングセンタなどの工作機械を製造・販売する事業です。三菱重工工作機械やOKK、TAKISAWAなど、同業他社を相次いで買収することで築かれました。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

ニデックは東京証券取引所から特別注意銘柄に指定されています。内部管理体制の改善計画をどこまで実行できるかが、指定解除に向けた審査の行方を左右しそうです。

創業者が経営から完全に退いた新しい体制のもとで、不振が続いた車載事業や海外拠点の再編がどう進むかも、この会社の今後を測る材料になりそうです。

「日本電産。永守電産でも京都電産でもない」——ろうそくの下の決起集会

1973年、28歳の永守重信は日本電産を創業する前夜、京都市内の自宅の6畳間に仲間3人を集め、ろうそくに火をともして決起集会を開いたと伝えられています。永守は「会社名は日本電産。永守電産でも京都電産でもない、日本を代表する世界企業になる」と宣言したとされます。創業時は資金も知名度も売るものもない、ないないづくしの状態だったそうです。

作業場は京都市西京区の桂川のほとりに建てたプレハブ小屋で、広さは9畳に満たず、中古で買ったプレス機と旋盤機が置かれていました。銀行から融資を受けるには担保が必要で、永守は自身の生命保険証を差し出したと伝えられています。もともと35歳での独立を計画していましたが、当時の経済の混乱を好機と捉え、7年前倒しで起業に踏み切りました。

早飯試験——大声とスピードで人を見た創業期の採用

創業直後の日本電産には知名度がなく、有名大学の学生を採用することは難しい状況でした。そこで永守が採り入れたのが、大声を出させる試験や、配られた弁当を早く食べ終えた順に合格を出す「早飯試験」だったと伝えられています。食べるのが速ければ仕事も速い、という発想だったそうです。

この型破りな採用で入社した社員の中には、後に日本電産の急成長を支える幹部に育った人物も少なくなかったとされます。永守は、多少の能力差よりもやる気の強さを重視する考え方を持っていたと報じられています。

「赤字は罪悪」——日本電産セイミツの再建

2011年、永守は買収したばかりの日本電産セイミツ(旧・三洋精密)の社員を前に、「実質的に倒産しています」と切り出したと報じられています。買収前の同社は3期連続の赤字でした。永守はここで「赤字というのは罪悪なんです」と語り、工程の不良率や在庫の水準、経費の使い方まで踏み込んだ数値目標を課して再建にあたったとされます。

日本電産はこうした赤字企業の買収と再建を70社以上にわたって重ね、成長の原動力としてきました。社内では「毒まんじゅうは食うな」といった独自の言い回しも使われてきたと報じられています。徹底した業績管理で不振企業を立て直す永守流は、成功体験として社内に深く根付いていきました。

三度の後継者交代——吉本浩之、関潤、そして復帰

2018年、日産自動車出身の吉本浩之が、永守以外で初めての社長に就任しました。ところが車載・家電事業の業績が低迷し、吉本は退任することになります。2020年には、同じく日産自動車出身の関潤が新たな後継者として招かれ、翌年にはCEOにも就きました。しかし2022年に永守がCEOとして経営に復帰し、関はその後、業績悪化の責任を理由に退任することになります。

関の後任には、創業メンバーの一人である小部博志が就きました。相次ぐ社長交代の背景には、永守自身が設定する業績目標が事業の実力を超える水準だったことがあったと、後の第三者委員会の調査で指摘されています。永守以外の姿で経営を担う社長が根付くかどうかは、この会社の長年の課題であり続けました。

「EVのインテル」を目指した先で——中国トラクションモーター事業の失速

ニデックは、電気自動車の駆動用モータシステム(E-Axle)の事業で、特定の完成車メーカーの系列に属さない独立系サプライヤーとして中国市場に攻め込みました。これは電気自動車の基幹部品を握る「EVのインテル」を目指す戦略だったと報じられています。しかし中国の自動車メーカーの多くは、駆動装置から電池まで自社で内製・統制する「垂直統合原材料の調達から製造、販売までの複数の工程を、一つの企業(グループ)で自社完結させる経営の形態。」を志向しており、独立系メーカーの入り込む余地は限られていました。

競争の激化を受けて、トラクションモーター事業の固定資産は複数の期にわたって多額の減損保有する工場・設備や、買収でついた「のれん」などの資産価値が下がったとき、目減り分を損失として計上する会計処理。処理を迫られることになります。この事業の不振は、後に発覚する大規模な不正会計の発端の一つになったとも指摘されています。ニデックは2026年、中国での合弁事業の解消を発表しました。

「負の遺産」——高すぎる目標が生んだ隠れ資産

ニデックでは長年、営業利益率売上高に対して、本業のもうけ(営業利益)が占める割合を示す指標。が一定の水準に届かない状態を「赤字」とみなし、その達成が絶対視されていました。目標は多くの場合、事業の実力を超える水準にトップダウンで設定され、達成できない拠点には強い督促が繰り返されます。この重圧の中で、本来なら計上すべき損失の処理を先送りする資産が各地の拠点に積み上がっていきました。社内ではこれが「負の遺産」と呼ばれていました。

2016年からは、この「負の遺産」を洗い出して処理する取り組みが始まりましたが、処理費用を各拠点の業績目標の中でまかなう仕組みだったため、思うようには進みませんでした。2022年度には大規模な処理が行われたものの、その年の営業利益を一定水準以上に保つという条件が付けられたため、なお多くの「負の遺産」が翌年度以降に持ち越されることになりました。

発覚——中国子会社の疑義から始まった全社調査

2025年、子会社の内部監査部門が、中国子会社での会計処理の疑いを本社に報告したことをきっかけに、社内調査が始まりました。調査を進めるうちに、ニデックグループの様々な拠点で、資産性に疑いのある資産の処理時期が恣意的に検討されている資料が見つかり、会社は独立した第三者による調査が必要と判断します。第三者委員会が設置され、延べ500回を超える聞き取りと大規模なデータ調査が行われました。

調査が進められる中、東京証券取引所はニデックを特別注意銘柄に指定しました。その後の調査の結果、棚卸資産の評価損や固定資産の減損を回避する処理、収益の前倒し計上など、多岐にわたる不正が国内外の拠点で見つかっています。第三者委員会は、不正の根本原因は行き過ぎた業績目標と、それを是正できなかった社内の仕組みにあると結論づけ、最も責めを負うべき人物は創業者である永守重信だと指摘しました。

「経営者としての私の物語にピリオドを打つ」——創業者、最後の決断

2025年、永守重信は代表取締役をはじめとする経営の役職をすべて退き、非常勤の名誉会長となりました。しかし不正会計の全容をめぐる混乱が続くなか、名誉会長の職についても本人の意向で辞任することになります。永守はステークホルダーに向けたメッセージで、「私にとってこれはまさに慚愧の至りであり、もって、この際、潔く自ら身を引くことを決意しました」と綴りました。

メッセージには「本日をもって、『経営者としての私の物語』にピリオドが打たれます」とも記されています。1973年、ろうそくの明かりの下で仲間と「日本を代表する世界企業になる」と誓った夜から半世紀余り、創業者は自らの手で経営の表舞台を去ることになりました。