手術で体を縫う針や、歯の治療器具をつくる会社、マニー。栃木の小さな工場が、なぜ120か国以上で使われるようになったのか。 転機は、当時「不可能」と言われたステンレス製縫合針の実用化だった。 特定の分野だけに絞る経営方針は、創業以来ずっと貫かれてきた。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.8倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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松谷正雄——栃木の小さな工場で医療機器づくりを始める
松谷正雄は1956年、現在の高根沢工場がある場所で個人として起業し、1959年に株式会社松谷製作所として法人化したと社史に記されています。地方からでも世の中に貢献できる産業をつくりたいという思いが、その出発点でした。
当時主流だった鉄製の針は、医療現場で錆による不便を伴っていたといいます。松谷が目をつけたのは、クロムやニッケルを加えた合金鋼、18-8ステンレスでした。ここから生まれたのが、「差別化」と「世界一を目指す志」だと社史では位置づけられています。
メスづくりの失敗——極細治療器へ舵を切った
会社を存続させるため、松谷製作所は手術で使うメスの製造にも挑戦しました。ところが、縫合針で培った針金の技術と、メスに必要な板金の技術はまったくの別物です。結局、畑違いの分野に手を出し、損失を出す結果に終わっています。
この失敗の教訓から生まれたのが、「極細治療器以外はやらない」という方針です。自社の得意な技術だけで勝負するマニーの事業領域の輪郭は、ここで定まりました。
競合が諦めた加工——レーザーで挑む
アイレス縫合針の開発で、マニーは針に糸を通すための穴をあける方法を研究していました。競合他社はドリルで加工していましたが、マニーが使うステンレスにはドリル加工ができませんでした。
そこで行き着いたのが、レーザーで穴をあける技術です。当時は費用対効果の面から見合わないという見方が多かったものの、安全性を追求するという方針のもとで開発が進められました。このレーザードリリング技術が、その後の会社の発展を支える技術になったと社史では位置づけられています。
「これで世界一になる」——営業基本方針に息づく誓い
マニーは1980年代後半、「企業理念」「社訓」「経営基本方針」「営業基本方針」を相次いで制定しました。そのうち「世界一の品質を世界のすみずみへ」は、営業基本方針として掲げられています。この言葉は、創業間もなくステンレス製の針が完成した際、創業者が「これで世界一になる」と宣言したことに由来すると社史に記されています。
世界一の品質を実現しても、行き渡らなければ患者が良い治療を受ける機会を失う、という考え方が込められていると社史に記されています。
松谷貫司——2代目としてマニーを率いる
松谷貫司は1964年に松谷製作所(後のマニー)へ入社し、1986年には代表取締役社長に就任しました。アイレス針(糸付き縫合針)の開発を主導し、事業の柱に育てたと報じられています。
ドイツ企業を買収——開発と製造に体制を絞った
2015年、マニーはドイツの歯科修復材メーカー、Schütz Dental Groupを子会社化しました。先進国での新製品投入を加速化する狙いでした。
その後、このうち販売部門にあたるSchütz Dental GmbHの株式を譲渡しています。開発・製造を担うグループ会社を残し、事業体制を開発・製造に特化する形に整理しました。この会社は後にMMGへ社名を変更し、自社ブランドの育成を進めています。
中国での自主回収——新社長の就任が重なる
2024年、中国市場向けの「マニーダイヤバー」が現地の抜取検査で不合格となり、自主回収を実施しました。会社は、対象は中国の製品登録における独自の記載事項に関するものであり、他の地域で販売する製品への影響はないと説明しています。
同じ年、日立製作所出身でマニーの社外取締役を務めていた渡部眞也が、新しく代表執行役社長に就任しました。それまでの齊藤雅彦社長は執行役会長に退いています。
製品登録の記載不備——回収規模が想定を超える
2025年、中国向けのダイヤバーで製品登録の記載情報に不備が見つかり、想定以上の量を自主回収することになりました。25年8月期の純利益はこの影響で前の期を下回り、トランプ米政権の関税措置も重なって減益要因になったと報じられています。
回収完了後は、規制当局の承認を経て販売を再開しました。数字だけを見ると後退した年でしたが、その後、中国での売上は回復に転じています。
栃木の地方都市を拠点に——世界120以上へ届ける
栃木県の地方都市に本社を置きながら、世界120以上の国・地域の医療現場に製品を届けています。
