海軍を辞めた中島知久平が、1917年に小さな飛行機研究所を興したのが始まりだった。 そこで戦闘機をつくった人々は敗戦とともに航空機を奪われ、自動車の世界に活路を求めた。 他社が真似しない独自の機構へのこだわりが、生き残ってきた理由だ。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.4倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のワンポイント
SUBARUは販売の多くを北米市場に頼っています。為替や関税、現地の金利動向といった外部要因の影響を受けやすい事業構造なので、北米の景気に関するニュースが業績に直結しやすい会社だと言えそうです。
海軍を辞めた男の狙い——軍需を受注する側に回る発想
SUBARUの出発点は、1917年に中島知久平が群馬県で立ち上げた飛行機の製作事業です。日本の航空機産業がまだ黎明期だった時代に、軍の外側から航空機づくりに乗り出しました。
軍に頼るのではなく、軍需を受注する側に回る——この発想の転換が、のちの中島飛行機の出発点になっています。
日本最大級の航空機メーカー——戦後は自転車で食いつないだ
中島飛行機は陸海軍向けの戦闘機やエンジンを開発し、三菱重工業と並ぶ日本最大級の航空機メーカーに育ちました。しかし敗戦とともにGHQから航空機の研究・製造を全面禁止され、社名を「富士産業」に変えて自転車やスクーターの製造で食いつなぐことになります。その後、日本最大級だった航空機メーカーは12社に解体され、組織として一度姿を消しました。
「六連星」——5社の結集で生まれた富士重工業
旧・中島飛行機の流れをくむ富士工業・富士自動車工業・大宮富士工業・宇都宮車輌・東京富士産業の5社が、1953年に共同出資して「富士重工業株式会社」を発足させました。SUBARUのロゴマークである「六連星」は、これらの企業と富士重工業自身を合わせた6つの星を表しています。
幻の量産車「すばる1500」——自動車屋になれなかった
1954年、当時の責任者だった百瀬晋六が試作車「すばる1500(P-1)」を完成させ、百瀬は「我々はこのP-1で自動車屋になった」と振り返ったと伝えられています。しかし量産のための設備投資を確保できず、市販には至りませんでした。
FF方式への転換——プロペラシャフトを消した
1966年発売の「スバル1000」で、SUBARUはプロペラシャフトを消すためFF方式と水平対向エンジンの組み合わせを初めて採用しました。ここから半世紀以上続く、SUBARUのエンジンの個性が始まりました。
レオーネの挑戦——世界に先駆けた乗用車4WD
1970年代初め、東北電力が宮城スバルに製作を依頼したことをきっかけに、富士重工業はレオーネの4WD化に着手しました。1972年には商用のエステートバンに4WDを搭載して発売し、国産初の乗用タイプ4WD車になっています。
当時の4WDは市場が小さく、大手が手を出しにくい領域でした。水平対向エンジンの低い重心が4WDの走行安定性と噛み合ったことで、規模で戦えない中堅メーカーが選んだニッチが独自の強みに育っていきます。
WRCの黄金期——インプレッサが掴んだ3年連続世界一
富士重工業はレガシィで世界ラリー選手権(WRC)へ本格参戦を始めます。とはいえ当時の富士重工業は赤字を抱えた経営危機のさなかで、活動を支えたのは世界中のディーラーが販売したチューニングモデルの利益でした。
1993年にレガシィが初優勝し、後継の「インプレッサ」が本格的な戦力になります。そこから1997年にかけて、3年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得しました。経営が苦しい時期に育てたラリーでの実績が、SUBARUというブランドの知名度を世界に広げています。
日産・GM・トヨタ——移り変わった大株主
SUBARUは長いあいだ、自社より規模の大きい自動車メーカーを大株主に迎えながら経営してきた会社です。現在の筆頭株主はトヨタ自動車で、電動化などの領域で協業も進んでいます。
それでも水平対向エンジンとAWDという独自の技術は、経営の後ろ盾が変わっても手放されませんでした。規模で大手と競わないSUBARUが選ばれ続ける理由は、この一貫性にあります。
「アイサイト」誕生——ぶつからないクルマを実現させた
2008年、SUBARUはステレオカメラで前方の状況を認識し、自動でブレーキをかける運転支援システム「アイサイト」をレガシィに搭載しました。専用のレーダーに頼らないカメラ主体の方式は、当時としては早い実用化です。
その後の改良を重ねるなかで「ぶつからないクルマ」という評判が広がり、安全性能は、規模で大手と競わないSUBARUが価格以外で選ばれる大きな理由になっています。
完成検査不正——53万台に及んだリコール
2017年、SUBARUの群馬製作所で完成検査に関わる不適切事案が発覚しました。当初「2017年末までに是正した」とされていた説明も、実際には不正が続いていたことがのちに判明します。
最終的に約53万台に及ぶリコールとなり、品質最優先を掲げてきた会社の看板に傷をつける出来事になりました。
品質保証体制を立て直し——品質でも評価される会社になった
完成検査不正を受け、SUBARUは完成検査部門を製造本部から品質保証本部に移管して独立させ、静脈認証システムの導入や測定データの改ざん防止策を進めました。2026年の米国J.D.パワー調査では「アセント」がカテゴリー首位となり、SUBARUブランド全体の順位も前年から4つ上昇しています。
