父の店を継いだ柳井正は、なぜ世界3位まで駆け上がれたのか。「高品質・低価格」を実現したSPAモデル企画・生産から販売までを1つの会社が一貫して手がける仕組み(製造小売業)。品質・在庫・価格を自社でコントロールしやすい。と、一勝九敗の哲学を深掘りする。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上はほぼ2倍
(会社に残った利益。現金の増減とは異なります)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のワンポイント
株価には海外成長の持続性への期待が強く織り込まれている。円安は海外比率の高い利益を押し上げる一方、中国景気の減速と創業者引退後の経営体制は懸念材料だ。
9カ月で辞めた——柳井正の逆張り少年
柳井正の高校時代のあだ名は「山川」だったという。人が「山」と言えば自分は「川」——常に逆張りする性格を表したものだ。父・柳井等が山口県宇部市の銀天街で経営する紳士服店を継ぐことは早くから決まっていたが、柳井はその「当たり前の道」すら疑い続けた。
早稲田大学政治経済学部を卒業後、父の勧めでジャスコ(現イオン)に入社するが9ヶ月で退職したと伝えられている。帰省して家業に入るとベテラン社員がほぼ全員辞めてしまい、一人で全業務をこなす羽目になった。この苦境が、商売の本質を身体で学ぶ機会となったという逸話が知られている。
倉庫のような店を選んだ——安さで売る発想
1984年、柳井は父から会社を引き継ぎ広島市にユニクロ1号店「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」を出店した。コンセプトは明快だった——「倉庫のような店内に、安くて良い普段着を並べる」。高い接客スキルが必要な紳士服ではなく、物が良ければ売れるカジュアルウェアを選んだのは「自分の性に合っていた」からと柳井は語っている。
1998年、香港での法人登記の際に担当者が「UniQlo」と誤記したことがそのまま定着し、社名の綴りになったという逸話がある。逆張りの人物らしい、偶然からのネーミングだ。
一勝九敗——失敗から学び続けた柳井正
柳井は自著を「一勝九敗」と題したと伝えられている。成功より失敗の方が多く、しかしその失敗から学ぶことで次の一手が生まれるという経営哲学だ。シューズ事業への参入・野菜販売・女性向けブランド「スキップ」——いずれも期待した結果を出せず撤退している。特に大きな失敗が2001年の英国進出だった。ロンドンに大型旗艦店を出店したが現地ニーズとのミスマッチで次々と閉店。「失敗を認め、なぜ失敗したかを徹底的に分析する」という姿勢が後のグローバル展開で活かされたという逸話が知られている。
東レとの提携——「ヒートテック」を生んだ舞台裏
ユニクロの競争優位を理解する上で欠かせないのが東レとの戦略的パートナーシップだ。2003年に誕生した「ヒートテック」は東レの繊維技術(吸湿発熱素材)とユニクロの商品開発・マーケティング力の掛け算から生まれ、毎年数億枚規模を売り上げる超ロングセラーとなった。2012年に登場した「エアリズム」も同じ構図から生まれた製品だ。素材メーカーとの深いパートナーシップによる製品開発はユニクロのSPAモデルの核心である。
英語を社内公用語にした——「グローバル化か、死か」
2010年、柳井はファーストリテイリング社内の英語公用語化を宣言した。「グローバル企業になれなければユニクロは消えゆく存在になる」——この危機感が背景にあったとされる。役員会議から社内メールまですべて英語で行うという大胆な決断は当初混乱も生んだが、海外人材の採用を容易にし、グローバル展開を後押ししたと見ることもできる。
次の変革へ——「情報製造小売業」を柳井正が描いた
柳井正が描くユニクロの次の姿は「情報製造小売業」だ。顧客データとAIを活用して需要を予測し、無駄のない生産と最適な商品配置を実現する構想だという。「未来の小売業は情報産業、サービス産業になる」という言葉を20年前から繰り返してきた柳井の視線は、はるか先を見据えている。世界1位のZARAを運営するインディテックスと並ぶ規模を目指すファーストリテイリングは、欧米での急成長と利益率改善を背景に「世界一」という目標に近づきつつあると見ることもできる。
