国際石油カルテル競合企業同士が価格や生産量について話し合い、競争を制限する取り決め。に単独で挑んだ「日章丸事件」の会社、それが出光興産だ。 95年間守った非上場の看板と、社員を解雇しない経営で生き延び、2019年に昭和シェル石油と一つになった。 いまも社名は1940年の法人化以来変わらないまま、脱炭素という次の商売に挑んでいる。

01

創業から現在へ — ストーリー

1885 — 1940
出光佐三、門司で出光商会を創業
出光佐三は神戸高等商業学校で学んだのち酒井商会に丁稚として入り、機械油の販売に携わりながら独自の商売の構想を温めました。1911年、神戸の資産家・日田重太郎から無利息で8,000円という援助を受け、門司で出光商会を創業します。掲げたのは、産地と消費者を問屋を介さず直結する直販の構想でした。陸上の電化を見越して漁船・汽船向けの燃料油に活路を見いだし、満州鉄道への納入を足がかりに大陸へ販路を広げます。1940年、事業は法人化され、出光興産株式会社が誕生しました。
1945 — 1949
敗戦で全てを失い、従業員を一人も解雇しなかった
敗戦で出光は海外の事業をすべて失いました。それでも出光佐三は従業員を一人も解雇しないという方針を貫き、社員は職を失いませんでした。会社はタンクに残った油をさらう危険な作業などに取り組み、油を回収したとされています。1947年に石油配給公団の販売店指定を受けて業界に復帰し、1949年には民間の石油元売会社に指定されました。
1953
日章丸事件——国際石油カルテルに挑む
イランが石油国有化を宣言すると、イギリスは軍艦を派遣し、石油を買い付けるタンカーを撃沈すると表明しました。出光佐三は「国際法上の正当性は無い」と判断し、出光計助専務をイランへ極秘に派遣してモサッデク首相と交渉させます。1953年、タンカー「日章丸」は行き先を偽って神戸港を出港し、イギリス海軍の監視をかいくぐってイラン産の原油を積み、川崎港へ帰り着きました。イギリスの石油会社は積荷の所有権を主張して提訴しましたが、同じ年のうちに訴えを取り下げ、出光の勝訴で決着しています。
1963 — 1985
独自路線の技術革新と、創業者の死
出光興産は1963年に石油連盟を脱退しました。1967年には世界初の重油直接脱硫装置を千葉製油所に完成させ、技術面でも独自色を示します。1981年、創業者・出光佐三が亡くなりました。1985年には昭和石油とシェル石油が合併し、のちに経営統合の相手となる昭和シェル石油が誕生しています。
1985 — 2006
2兆5,000億円の借金と、非上場からの転身
バブル崩壊後、出光興産は2兆5,000億円規模の有利子負債を抱え、経営が悪化しました。コスト削減と事業構造の転換を進め、有利子負債は2004年度末に1兆1,000億円、2006年3月期には9,800億円まで圧縮されます。出光佐三は株式公開を良しとしませんでしたが、財務体質の立て直しを受け、2006年、東京証券取引所第一部に上場しました。創業から95年、非上場を貫いた会社が外部資本を受け入れた転換点でした。
2015 — 2019
創業家との対立を越え、昭和シェル石油と経営統合
2015年、出光興産はロイヤル・ダッチ・シェルから昭和シェル石油株式の33.3%を取得し、筆頭株主になりました。当初予定していた経営統合は出光創業家の反対で延期され、出光は公募増資で約1,400億円を調達し、創業家の持ち株比率を3分の1未満に抑えます。創業家へ新会社の取締役2人分の枠を用意することで合意に至り、2019年、株式交換により昭和シェル石油を完全子会社化ある会社の株式を100%取得し、経営の意思決定権を完全に握ること。して統合が成立しました。
2020 — 2026
「apollostation」への転換と、いまの出光興産
統合後の出光興産は、2021年に給油所ブランドを「apollostation」へ統一し、全国約6,400カ所の看板を切り替えました。2025年には富士石油を子会社化し、石油業界の脱炭素シフトに備えた設備連携を進めています。2026年3月期の連結純利益は1,719億円(前期比65%増)となりました。
TEN YEARS

10年で、売上は約2.5倍

10兆円
5兆円
2017 · · · · · · · · 2026
売上 純利益(手元に残った利益) 赤字だった年
売上
10年前
31,903億円
↓
現在
81,059億円
約2.5倍に増加
純利益
(手元に残った利益)
10年前
882億円
↓
現在
1,719億円
売上100円につき約2円
従業員
10年前
9,139人
↓
現在
14,392人
約1.6倍に増加
02

事業の構造 — 何で稼いでいるか

柱 01
燃料油事業(ガソリン・軽油の精製と販売)
原油を仕入れて製油所で精製し、ガソリンや軽油、灯油などを全国約6,400カ所の「apollostation」で販売する、出光興産の中核事業です。
柱 02
基礎化学品事業(石油化学製品)
エチレンやプロピレンなど合成樹脂の原料を製造・販売する事業です。使用済みプラスチックの再資源化にも取り組んでいます。
柱 03
高機能材事業(潤滑油・電子材料・電池材料)
自動車・工業用の潤滑油から、電子材料、次世代の全固体電池向け材料まで手がける事業です。石油由来の技術を、新しい素材分野へ広げています。
柱 04
電力・再生可能エネルギー事業
天然ガス火力に加え、太陽光・風力・バイオマスなど多様な電源を保有し、発電から販売まで一体で運営する事業です。
柱 05
資源事業(石油・天然ガス・石炭開発)
石油・天然ガス田の開発や石炭の生産・販売、地熱事業を手がけ、低炭素分野へのシフトを進めている事業です。
03

投資指標

株価
——
東証プライム
前日比
——
——
配当利回り
——
年間予想
PER
——
株価収益率
PBR
——
株価純資産倍率
時価総額
——
円換算
52週高値
——
過去1年
52週安値
——
過去1年

取得中…

投資家の博士

投資家目線のポイント

石油元売りは、原油を仕入れてから製品として売るまでにタイムラグがあり、原油価格の変動が在庫評価を通じて利益を大きく動かすという業界特有の構造があります。決算のニュースを見るときは、本業の状態と原油相場の影響を分けて読む視点が参考になりそうです。

出光興産は石油という祖業を持ちながら、電池材料や再生可能エネルギーなど脱炭素分野への投資も進めています。新しい分野のニュースに接したときは、それが祖業の技術や設備をどう生かしているかを見る視点が参考になりそうです。

「無利息」——出光佐三を支えた8,000円

出光佐三が門司で商売を始めるとき、元手を出したのは神戸の資産家・日田重太郎でした。日田は佐三に8,000円を無利息で融通し、「返済の必要もないし、利子も要らない」と資金を提供したうえで、「君の思うようにやれ」と伝えたとされています。株主も債権者も持たない身軽さで事業を始められたことが、のちに出光興産が長く非上場を貫く経営スタイルの原点になりました。佐三はこの出会いを「人生の大哲学」と捉えたとされています。

問屋を通さない「直売」という賭け

佐三が創業前から温めていたのは、産地と消費者を問屋を介さず直結するという直販の構想でした。知人からは、電気の普及で油が使われなくなるとの懸念を示されましたが、佐三は陸ではなく海に目を向けます。発動機付きの漁船や汽船への燃料油直売に狙いを定め、満州鉄道への機械油納入で得た信用を足がかりに、華北・朝鮮・台湾へと販路を広げました。1932年には年間売上高が1,000万円を突破し、門司の小さな商店は中堅の元売会社へと育っていました。

日章丸、封鎖線を抜ける

1951年にイランが石油国有化を宣言すると、イギリスは軍艦を派遣し、石油を買い付けるタンカーを撃沈すると表明しました。出光佐三は「国際法上の正当性は無い」と判断し、出光計助専務をイランへ極秘に派遣してモサッデク首相と交渉させます。1953年、タンカー「日章丸」は行き先を偽って神戸港を出港し、イギリス海軍の監視をかいくぐってイラン産の原油を積み、川崎港へ帰り着きました。イギリスの石油会社は積荷の所有権を主張して東京地裁に提訴しましたが、同じ年のうちに訴えを取り下げ、出光の勝訴で決着しています。出光佐三の生涯は、のちに作家・百田尚樹の小説『海賊とよばれた男』のモデルになったとされていますが、出光興産の関係者からは、史実と異なる部分が多いとの指摘もあります。

解雇ゼロの誓いと、戦後のタンク底さらい

敗戦で出光は海外の事業をすべて失いました。それでも出光佐三は従業員を一人も解雇しないという方針を貫き、社員は職を失いませんでした。会社はタンクに残った油をさらう危険な作業などに取り組み、約2万キロリットルの油を回収したとされています。1947年に石油配給公団の販売店指定を受けて業界に復帰し、1949年には民間の石油元売会社に指定されました。何もない焼け野原から、会社はもう一度石油を扱う場所に戻っています。

労働組合も、定年も、出勤簿もない会社

出光佐三が掲げたのは「人間尊重」でした。「出光商会の主義の第一は人間尊重であり、第二も人、第三も人である」と述べ、社員を家族のように扱う「大家族主義」を経営の軸に据えます。実際に出光興産は長く、労働組合・出勤簿・定年制・株式公開の「四無主義」を貫きました。この体制は2006年の上場を機に、勤務時間管理や定年制の導入という形で一般的な企業の仕組みに近づいています。

2兆5,000億円の借金と、非上場からの転身

バブル崩壊後、出光興産は2兆5,000億円規模の有利子負債を抱え、経営が悪化しました。出光佐三は「ほかの資本家の主義方針と出光のそれとは絶対に相容れざるものである」との考えから株式公開を避けてきましたが、財務の立て直しには外部資本の力が必要でした。会社はコスト削減と事業構造の転換を進め、有利子負債は2004年度末に1兆1,000億円、2006年3月期には9,800億円まで圧縮されます。創業家は当初上場に反対しましたが、経営陣の説得を受けて方針を転換し、2006年、出光興産は東京証券取引所第一部に上場しました。創業から95年守った非上場という看板を、自ら下ろした年でした。

創業家との2年、「出光興産」という新しい名前

2015年、出光興産はロイヤル・ダッチ・シェルから昭和シェル石油株式の33.3%を取得し、筆頭株主になりました。当初予定していた経営統合は出光創業家の反対で延期され、出光は公募増資で約1,400億円を調達し、創業家の持ち株比率を3分の1未満に抑えます。創業家へ新会社の取締役2人分の枠を用意することで合意に至り、2019年、株式交換により昭和シェル石油を完全子会社化して統合が成立しました。新会社の名前には、1940年の法人化以来の社名である「出光興産」がそのまま引き継がれています。

「apollostation」——看板が変わった日

統合を終えた出光興産は、2021年、出光と昭和シェルに分かれていた給油所のブランドを「apollostation」へ一本化しました。全国約6,400カ所の看板やユニフォームを新しいデザインに切り替え、給油だけでなく地域の暮らしを支えるサービス拠点への転換を打ち出しています。長く別々のブランドで競い合ってきた2つの給油所網が、統合から数年で一つの顔を持つようになりました。

富士石油子会社化と、脱炭素への布石

2025年、出光興産は約261億円を投じて富士石油への出資比率を2割強から92.5%まで引き上げ、連結子会社親会社の決算に売上・利益をまとめて計上する子会社。親会社が過半数の議決権を持つ会社などが対象。化しました。石油業界が脱炭素化という共通の課題に直面するなか、生産設備を融通し合う連携を狙った動きです。2026年3月期の連結純利益は1,719億円(前期比65%増)となり、石油元売りとして生き残るための再編が、いまも続いています。